2026年08月15日10時37分掲載  無料記事
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アジア

日本のミャンマー外交の失敗(2) 「三本のパイプ」の機能停止 結果責任はだれが負うのか

 ミャンマーのケースはより深刻だと思える。日本の、とりわけ第二次安倍政権時代(2012-2020)のミャンマー政策は三つのルートで成り立っていた。丸山市郎全権大使―政治外交関係、日本ミャンマー協会の渡邉秀央会長―経済関係、笹川陽平日本財団会長―ミャンマー国民和解担当日本政府代表、この三者である。事あるごとに「わが国には欧米諸国にもない独自のパイプがある」と喧伝していたがミンアウンフラインの軍事クーデタ―を読み誤っただけでなく、渡邉会長などはクーデターを声高に支持した。「三本のパイプ」は一夜にして機能不全に陥ってしまった。(宇崎真) 
 
▽「ササカワ」ブランド 
 丸山大使は退任 (2024.9)、渡邉会長は死去(2024.7)、笹川日本政府代表は現時点でもその職にあり、ミャンマー大地震(2025.3)の翌月には首都ネピドーでミンアウンフライン軍司令官と日本政府代表の資格で災害支援等について会談した。だが今年4月のミンアウンフライン大統領就任式には「個人として」出席した。つまり現在細い一本のパイプしかないというわけだ。 
 筆者はこれまでにビルマ/ミャンマーの7州7管区全てに足を踏み入れているが、シャン州やラカイン州の辺境に行っても「ジャパンファンデーション」「ササカワ」の名前を耳にしたし、中国の石油港の取材の際はまずラカイン州都シットウエから南下、チャオピュー港まで行ったときに乗ったフェリーは日本財団からの援助船だった。麻薬事情の取材で何度も行ったシャン州では「日本の援助」による学校、病院が多数存在していた。つまりホンダ、トヨタのようにジャパンファンデーションは一種の「庶民に根を張ったブランド」になりつつあった。この実感は強烈だった。実際北部ミャンマーのシャン州だけでジャパンファンデーションは2百校もの学校を建設したという(日本財団の発表) 
 笹川陽平氏のビルマ/ミャンマー支援はハンセン病治療の人道援助を1976年に開始して以来半世紀近くに及んだ。ネウイン独裁、タンシュエ独裁の時代、テインセイン政権そしてアウンサンスーチー政権と変遷を遂げた現代史のなかでも様々な分野の人道援助を継続しミャンマーの国内で日本財団と笹川氏への評価は定着した。 
 
▽テインセイン政権に援助の大盤振る舞い 
 2011年に発足したテインセイン政権下で国際社会の予測に反し民主改革路線が推進されると、米国はじめ西側各国がそれを歓迎、経済制裁を解きはじめるやいな「アジア最後のフロンティア」として官民一体、メディアも「オールジャパン」態勢でミャンマーに入っていった。 
 民主党政権 (2009-2012) はテインセイン大統領の民主改革をみてミャンマーとの関係改善を開始し、その後7年8か月続いた安倍政権が「三本のパイプ」を用いて強固な関係を築き上げようとした。外務省は「日本の独自外交の成果」と誇った。 
 テインセイン時代にはまず日本政府(民主党野田政権)は3千億円もの円借款帳消し措置をとった。消費税増税や東日本大震災の対応への国民の批判が高まり衆院総選挙で民主党大敗、政権交代で第二次安倍政権が発足、更に2千億円にのぼる円借款放棄・援助を決めた。「大盤振る舞い」の対応だった。 
 それは「ティラワ経済特区」はじめ日本企業の進出へと道を拓いた。これは「途上国への援助と引き換えに自国の企業の進出や受注を図ることは「国際ルール」違反とみなされる(経済協力開発機構 OECD)。つまり日本はミャンマーに急接近した最初の段階から理念を欠いたTied aid(ひも付き援助)をしていたのである。 
 
▽クーデターを予見できず 
 2021年2月のクーデターの可能性を予見した海外メディア、外交官は少なくなかった。 
 中国はそのクーデタ―の三週間前にはミンアウンフライン軍司令官の動きを明らかに警戒していた。(当時の模様を描いた筆者の原稿―2022.8.4日刊ベリタを参照してほしい) 
 だが日本政府の「独自のパイプ」は全く役に立たなかった。日本ミャンマー協会の渡邉会長は「クーデターではなく、憲法で保障された政権移動であり合法だ、断固支持する」とまで言い切った。日本財団会長でミャンマー国民担当日本政府代表の笹川氏は沈黙、大分経って「米国と西側の制裁がなされないことを願う」と述べ、丸山全権大使は「当日深夜ある日系企業関係者からの、首都ネピドーの通信が全て遮断されている、との電話で起こされた。まさかと思いつつアウンサンスーチー氏に電話をいれたが繋がらなかった。民主活動家から、軍がクーデターを起こしスーチー氏、大統領が拘束された、との連絡が入りクーデターを確信した」という。(注) 
 確かにビルマ語達者な丸山大使は各方面に直接連絡とれていたことがわかる。ビルマ/ミャンマーに計5回、27年にわたり滞在し間違いなく外交官として最も同国の歴史社会文化に精通しているに違いない丸山元大使が上記のような経過でクーデター発生を知ったというのは驚き以外の何物でもない。つまり最も肝心の情報、国軍が何を企てようとしていたのかには全く接していなかったというわけだ。こうして「独自外交の成果」はあっという間に崩れた。 
 クーデタ―から5年半経過、5千億円の「大盤振る舞い」含め莫大な国庫予算を費やしたミャンマー外交は今後どうなっていくのだろうか。すべて無駄になったのか、その巨額の一部は軍事政権を支えることになっていたのではないか。ミンアウンフライン大統領をトップとする新政権を日本政府は認めず、「アセアンの対ミャンマー基本方針―5項目要求」を後押しするとの姿勢だという。これは明らかに「独自外交」の失敗を認めたことに 
他ならない。 
 1988年の反政府民主化運動が高揚、それに対し国軍(ソウマウン総司令官)は9月クーデターを起こし民主勢力を徹底的に弾圧した。翌年2月には日本政府が軍事政権を承認したのである。その理由として政府(竹下政権)は軍事政権による「実行支配が確立」等をあげた。だが実際にはクーデターで大打撃を被った日本の関連企業と商社の強い要求に応じたとみていい。1988年クーデターと2021クーデター、その外交の負の歴史を日本政府はどう分析するのだろうか。  (つづく) 
 
(注)丸山氏の2024.12.25「論壇ーミャンマーの現状と今後の日本の対応」(一般社団法人「霞関会」ホームページ) 


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