2009年04月30日13時40分掲載  無料記事
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中国

中国のチベット 回答のない問題 李大同

openDemocracy  【openDemocracy特約】半世紀を経て、中国のチベットは行事を記念する新たな祝日が与えられた。「農奴解放日」である。胡錦濤中国共産党中央委員会総書記を含む幹部政治家のグループは、チベットにおける民主的改革の50年を記念する催しに出席した。公式メディアは、今日の業績を宣伝する一方、歴史的チベットにおける「農奴」の邪悪を非難した。中国の外相と首相は内外の記者に対して、ダライ・ラマの「独立の姿勢」(彼が放棄して久しいもの)を非難した。 
 
 中国軍がラサを「解放」し、ダライ・ラマと彼の信奉者の多くがインドに亡命した1959年の時期を祝うこの熱狂は、北京の指導部がチベットの指導者と「交渉する」政策を放棄したことを示している。交渉は世界の世論のよって、五輪の直前の段階で始めるように強制されたものであった。 五輪を成功理に終わらせたこと自体が、政府が厳しい立場をとる一つの理由であり、西側諸国が世界的金融危機で生き残るために中国の助けを求めていることもう一つの理由である。中国はもはや口を閉ざす必要はない。チベット問題は行き詰っている。 
 
 強硬姿勢はチベット問題についての広範な誤解を反映している。問題を理解している中国の人たちでさえ、問題の最も重要な点がどこにあるのか知らないようだ。結局のところ、ダライ・ラマは独立の求めを放棄し、チベットは中国の一部であると繰り返し述べ、外交と国防(当然、チベットでの軍隊駐留権を含む)についての北京の権利を受け入れ、中国憲法と「地区民族自治法」の枠組み内だけの自治権の拡大を求めることに合意した。ではなぜ、中国政府は交渉のための基礎さえ認めようとしないのか?小平が1979年にダライ・ラマの兄に会った時に述べた「独立を除いて、どんな問題も討議できる」と述べた小平のアプローチはどうなったのか? 
 
 共産党は1949年に権力を握る前は、民族自治についてまったく異なる立場をとっていた。イデオロギーの一部として、「民族自決」の考えを全面的に採用していた。これは、国民国家という近代欧州の思想からきたもので、レーニンのエッセイ「民族の自決権」(1914年)でもっとも幅広い解釈を与えられた。共通の文化的特質を持ち、民族と自身を見なすなどの集団は、恒久的祖国内に自治権と独立主権国家を樹立する権利を持った。 
 
 どの帝国にとっても、これは崩壊をもたらすことは明らかである。ソ連は、この運命を避けるために激しい努力をした。100の異なる民族がおり、それぞれは紙の上では、ソ連を離脱する憲法上の権利を有していた。しかし、すべてのこうした民族は、より高い統一した目標をイデオロギー的に信じて団結した、幸せな社会主義家族というイメージを作ろうとした。実際には、「多民族家族」は一党支配、暴力的抑圧、経済的搾取によって捕らわれ、自治権でさえ与えられなかった。 
 
 中国共産党はソ連の設計図に密接に従った。1928年、6回党大会(モスクワで開催)は、「民族が独立し、分離する権利を認め、中国内のすべての民族が中国から離脱し、彼ら自身の国を形成できると認めた時にのみ、われわれは真の共産主義者になるであろう」と宣言した。1931年11月7日、同党は江西省に中華ソビエト共和国を樹立した。同共和国の1934年の憲法14条は、次のように述べている。「中華ソビエト共和国は、中国内の少数民族の民族自決権を認める。少数民族でさえ分離して独立国を樹立する権利を保持する」。 
 
 1949年に権力を掌握して以来、党は民族を「識別」してー作り出してーソ連から学び続けた。中華民国の5つの民族―漢族、満州族、蒙古族、回族、チベット民族―は、1986年までに56になった。地区民族自治区の設置もソ連方式が採用された。ただし、「国」を意味する一体化という中国の歴史的伝統は、「区」になった。 
 
 民族の違いを作り出し、強化することにより、少数民族は国より、民族と同一性を確認するようになった。今日でさえ、民族自治区の党書記で、その民族出身者である者は一人もいない。いわゆる自治は常に、漢族の書記の指導と監督のもとにある。党が分裂や権威の喪失をそれほど心配するなら、そのシステムの意味はそもそも何であったのか? 
 
 「民族自治」の問題の中心には、二つの問題がある。一つは、異なる民族の間の関係(民族自治の原則が受け入れられるなら、あつれきを起こす可能性が生じ、必然的に民族独立の可能性も含む)。第2に、自決への道に通じる政治的メカニズムの問題である(自治は民主主義と指導者とその政策に対する投票に基づいてのみ可能であるので、民族の多数の意志は永続的脅威であるので)。「民族自治」の両側面はこうして、公式政策にとって困難なものとなる。最初のものは、党が受け継ぎ、推進する統一中国の理想と相いれず、第2のものは一党政治システムと相いれない。 
 
 この観点から、ダライ・ラマが何をしようと、忠実な中国市民であると宣言しようと、独立を否定しようと、中国憲法内でチベット自治を達成しようとすると宣言しようと、中国政府はそれに対応することはできない。中国政府は、問題を回避する公式イデオロギーの矛盾に縛られている。 
 
 その政策は別な面でも行き詰まっている。チベット亡命政府がチベット人民の自然な代表であるとするダライ・ラマの見方とかみ合う基本が欠けている。50年間にわたり、党はチベットのエリートを注意深く選別し、訓練してきた。その多くの党員は中国、北京でも教育を受け、戻ってから政府の役職につき、中国語とチベット語のバイリンガルである。彼らの多くは、昔の「農奴」の子孫である。 
 
 それに反して、亡命政府の人々はチベットに住んだことがない者が多く、インドか西側で教育を受け、英語はうまいが、中国語はまったく話せない。自由選挙が行われても、地元のエリートが有利かもしれない。彼らは人々に「新参者」に権力を渡さないように説得するであろう。ダライ・ラマの帰国に最も反対しているのは、この台頭しつつあるチベットのエリートではないか、とわたしは思う。中国のチベット支配は彼らにかかっている。彼らは、同地域に関する中央の政策に影響を及ぼすことができ、権力に利害を持っている。 
 
 積み重ねられた結果は、均衡状態である。中国の政治システムと民族の制度は。チベット問題は解決できないということを意味している。 
 
*李大同 中国人ジャーナリスト。共産主義青年団(共青団)の機関紙「中国青年報」の付属週刊誌「氷点」の前編集長。 
 
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 . 
 
 原文 
 
(翻訳 鳥居英晴) 


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