2019年02月25日13時36分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201902251336121

沖縄/日米安保

辺野古「反対」7割超とドナルド・キーンさん死去 元米軍通訳として記した「日本兵の沖縄人食肉」の戦慄 

 米軍普天間飛行場の移設をめぐる名護市辺野古沿岸部の埋め立てについて、沖縄県民の72%が県民投票で「反対」を表明した日、日本文学研究者のドナルド・キーン氏の訃報が伝えられた。二つのニュースに直接の関連はないが、私は昔読んだ琉球新報のある記事を思い出した。「真実の苦さ」と題する大田昌秀・琉球大学教授(のちの県知事)の一文で、キーン氏の第二次大戦中の手紙が紹介されている。米軍の日本語通訳官だった若きキーン氏は、ニューギニア戦線での日本兵による人肉食で最初に犠牲にされたのが沖縄人だったことを記している。(永井浩) 
 
 大田氏は長年、沖縄戦や戦後の米軍政について米国で資料収集をつづけてきた。キーン・コロンビア大学教授の手紙はその中にあり、「ショッキングな事実が記録」されていた。キーン氏は戦時中、沖縄にも来たことがあり、同じテントに起居していた一米軍中尉との会話を記したものだった。 
 
 以下、「真実の苦さ 非人道的悪業の戦争 証拠資料が語る衝撃の真実」という見出しがついた大田氏の「日曜評論」(1987年8月23日)を読んでみる。 
 
 その中尉は、日本人は生来邪悪だから絶滅すべきだと主張し、その一例として、ニューギニアその他で行われた「人肉食」を挙げた。中尉が日本軍の捕虜に対して恐ろしい行為じゃないかと話したところ、日本人捕虜はこう答えたという。「もしあなたの戦友が、自分は死ぬことを知っていて『おれの肉を食って生きのびてくれ』と言ったらどうします。おおぜいの人が生きるために個人を否定する犠牲的精神に打たれませんか」 
 
 これについてキーン氏は、「もちろん、ニューギニアで食われた人たちが、そんなふうに頼んだかどうかは分からないが、共同の利益という形でなら一群の人が生きるためには、人間の肉を食ってもいいと日本人は考え得るという事実は残る」と述べている。 
 
 大田氏はこの発言を、「沖縄戦から戦後にかけての『日本』と沖縄とのいびつな対応関係を示唆して余りある」と述べ、「とりわけキーン氏のつぎの記録に、私は、戦慄を禁じえなかった」として明らかにされるのが、日本軍が生きのびるための人肉食で最初の犠牲とされたのが沖縄人だったという事実である。キーン氏の記録は以下のようにつづく。 
 
「この島(グアム)で最近、食人事件の裁判があった。二人の被告は、収容所の中で、食人の話をしたところ、聞いた連中は本能的に嫌悪を感じて、係り将校に通報したので引っ張られたのであった。(中略)話はこうだ。 
 組織的な部隊からずっと以前に離脱し、グアムのジャングルに隠れていた日本兵の一団があった。リーダーの‶オホラ瓩蓮∩阿らグアムにいた沖縄人を、ある日激怒に駆られて殺した。この一団は、何か月もジャングルをさ迷い、トカゲや草の根を食って生きていたので、オホラは、久しぶりの御馳走にこの沖縄人を食うのは、いい思いつきだと考えた。彼らは、頭と足を切り取って土の中に埋めた。脂肪と軟骨も、別々にした。オホラは肉を厚切りにして焼いた。連中が坐りこんで、沖縄人を食べていると、ジャングルにいるほかの連中が、臭いを嗅ぎつけて仲間入りした」 
 
「二、三日後、オホラは、(被告の一人)ショウジに向かって、十二、三になる沖縄人の少年を殺せと迫った。ショウジは肯じなかった。 
『しかし、シゲルはいい子です。あの子を殺すのはよしましょう。トカゲで生きていけます』『お前がシゲルを殺さなければ、その代わりにお前を殺して食うぞ』 
ショウジは慄え上がった。そしてシゲルの隠れ場にいって、御馳走があるからと連れてきた。(中略)シゲルは殺され、身を以って御馳走になってしまった。シゲルを殺したのは、もう一人の被告で、その夜みんなで会食した。シゲルの御馳走は、その父よりうまかった。被告側は、これはジャングルの掟だと抗弁した」 
 
 キーン氏は、語をついでいう。 
「日本人が、ニューギニアや、マーシャル群島の諸島で、人肉を食ったことは知っていた。しかし、身近にそんなことがあったのには驚かされた。人肉食の話を聞くと、誰でもまず神経質に笑う。人肉を焼くとか、内臓を平らげるといった行動の細部を想像してみるだけでも、人は本当にショックを受けるものだ」 
 
 大田氏の文章は、つぎのように結ばれている。 
「私は、ショックもさることながら、沖縄人が真先に食われた事実に嫌悪を感じ、その意味を考えずにはおられなかった。聖戦といわれた太平洋戦争は、真相が明らかになるにつれこの上なく非人道的悪業に充ち満ちていたことがいちだんと明確になりつつある」 
 
 この評論が琉球新報に掲載された1987年、手元の年表には沖縄をめぐるこんな出来事が記されている。 
 9・18 昭和天皇の腸に疾患判明。9・22 入院、沖縄訪問中止。10.7 退院 
 10・26 沖縄国体で、日の丸掲揚と君が代斉唱が問題となる 
 
 沖縄戦を経験した大田昌秀氏は生涯、反戦・平和の姿勢を貫き、1990年に知事に当選してから2期8年にわたり米軍基地問題を訴えつづけた。 
 2017年6月に92歳で亡くなったときの朝日新聞記事から引用すると、1995年9月に米海兵隊員らによる少女暴行事件が起きると、地主が契約に応じない米軍用地を政府が強制使用するために必要な手続き(知事の代理署名)への協力を拒否。10月には、事件に抗議する県民総決起大会に参加し、米軍基地の整理・縮小と米軍人らの容疑者を特別扱いする日米地位協定の改定を求めた。 
 沖縄県宜野湾市の住宅密集地にある普天間飛行場の危険性を訴え、96年の日米両政府による返還合意につなげた。本土と沖縄の経済格差の解消も求め、政府から基地を抱える地域を中心にした振興策を引き出した。しかし、普天間返還問題で98年、日米両政府が計画していた名護市辺野古沖への移設を拒否。政府との対立を深め、98年秋の知事選で自民党が擁立した稲嶺恵一氏に敗れた。 
 
 しかし、太田知事の遺志は、辺野古移設反対の翁長雄志知事、玉城デニー知事へと受け継がれ、今回の県民投票への結果となった。 
 
 奇しくもその同じ日に96歳の生涯と閉じた「反戦主義者」ドナルド・キーン氏が、沖縄についてどのように考えていたかは、琉球新報の氏の訃報記事で紹介されている。 
米軍通訳で沖縄戦参加 ドナルド・キーンさんが生前、沖縄で語っていたこと 
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-880367.html 
 
 先のキーン氏の手紙の一節、「共同の利益という形でなら一群の人が生きるためには、人間の肉を食ってもいいと日本人は考え得るという事実は残る」に、引用者の太田氏はわざわざ原文にはない傍点をふっている。 
 
 かくして安倍政権は、みずからの延命のために「辺野古」を犠牲にしても構わないという考えを変えようとはしない。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。