2003年04月23日19時01分掲載
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星川淳:インナーネットスケープ@屋久島(1)水辺からの旅立ち
今日も屋久島のどこかで雨が降っている。
遠くはベンガル湾に発するアジアモンスーンの湿気、近くは沿岸の海水が温められて湧き上がった蒸気。その雲が、島の中央にそびえる2000m級の山塊で冷やされ、森を潤す。山頂付近は北海道と同じ熊笹や高山植物とまばらな矮生木の異界。中山帯はスギ、モミ、ツガの針葉樹と各種広葉樹が混生する通称ヤクスギ原生林。元来、固有亜種ヤクジカとヤクザルの世界である。そしてぐるりとヒトの住む下界は(最近は生息域を下降させたサルとシカの農作物食害も頻発)、ヒマラヤ東山麓から中国雲南地方を経て、東日本の太平洋岸や朝鮮半島南部まで広がる常緑照葉樹林����。
それら多種多様な木々の葉と枝と幹をつたい落ちた雨は、林床からすばやく川筋へ流れ出し、花崗岩の巨石を縫って海をめざす。といっても周囲100kmあまりの島のこと。川の全長はせいぜい20~30km程度。有機質の溶出しにくいガラス管のような花崗岩川床を流れ下る水は、豪雨のピークを除けばまさに清流そのもの。河口に近い人里直前まで飲用に適する。
こうして屋久島の住人は日々、地球の水循環を文字どおり目前にしながら暮らすことになる。太平洋と東シナ海に囲まれ、視界のどこかにいつも海があることと相まって、このうえなく“水っぽい”環境といえるだろう。居住歴20年を超えた私も、いつしか水性人間と化して水をめぐる旅に誘われた。
ただし、水をめぐる旅は時をめぐる旅とも重なる。私のフィールドは環太平洋地域の過去・現在・未来����前後2万5000年ぐらいずつ、合わせて約5万年の現在(いま)を足の向くまま訪ね歩き、あるいは風まかせに航海する。たいていは心の中で、機会に恵まれれば現実に体を運んで……。
そのため書き手としてのテーマは、最終氷河期の終わりに陸続きだったベーリング海峡を越え、ユーラシアから北米へ渡っていった先史モンゴロイド狩猟民の冒険だったり、古代ポリネシアで未知の島々をめざす《星の航海師》たちの技術だったり、いっぽうでは半減期2万4000年の放射性毒物プルトニウムのゴミを子孫に押しつける原子力発電の問題点だったり、はたまた屋久島の環境政策にかかわる地方自治の望ましい姿だったりと、われながら節操がない。しかしよくよく目を凝らせば、その底には水のつなぐ縁があり、屋久島のように清らかな水が流れる世界を取り戻そうとする魂の絆がある。
旅のしかたはこうだ。
まず、水辺に座る。透明にほとばしる渓流がいい。いまでは源流域まで遡らないとなかなかお目にかからないが、屋久島ならどこにでもある。
なめらかに千変万化する水紋を眺め、水音に耳をすまして、この瞬間、地球という巨大な生命が流れる水を血液として生きている、その力強い鼓動を感じる。そして、自分の体内でも赤い血潮がめぐりながら、同じ生命の鼓動を刻んでいるのを感得する。
こんなとき、私は“戻ってきた”という想いを抱く。英語だと「カミングホーム」����ふだんは自他さまざまな人間ごとにかまけているけれど、この休むことなき透明な流れこそが生命の現場であり原点なのだ、と。老子も『道徳経』で同じようなことを語っている。水流を哲学した最初の人か。ついでに、老子を愛する現代の水の哲人であるSF界の大御所、アーシュラ・ル=グィンの代表作は『オールウェイズ・カミングホーム』(平凡社)。そう、われわれは「つねに原郷への途上」にいて、そこには水がある。
ここから旅立つ世界を、私は《インナーネット》と呼ぶ。内なる自然と外なる自然を横断し、時空の壁を突き抜けつつ、しかもこの地球の生命循環にしっかりと根ざした認識の網。同じ織物(ウェブ)であることによって、インナーネットはインターネットとも相性がいい。ただし、生命の現場から遊離した電脳世界の暴走や偏向に対しては歯止めとなり、バランス要素となる。
もう一つ、私が水辺に魅かれる理由は、異なる領域が接する境界面(インターフェイス)に、精神のオゾンとも呼べる第三の気配が立ち昇ること。水辺、海辺、野辺など、日本語の「辺」はそうした境界を表わす言葉だろう。
集団の真ん中にいるより、いつも外部と触れる周辺へ出たがる人間は、一種のビーチコーマー(岸辺漁り愛好者)といえるだろう。何か新しい漂着物や発見を求めて、辺縁へ辺縁へと引き寄せられる。しかも変化の波をもろにかぶる最前列より、外部にも内部にも目配りして変化に対応しやすい二列目か三列目を好む。
9・11以来、世界精神に深い亀裂が走ってはじまった21世紀。屋久島という辺境の水辺からインナーネットの風景を書き綴ってみたい。定点観測者の眼には辺縁が中心となり、都市が辺境となる。いま、大都会では見えない地球生態系の激変が、屋久島のような最前線で鮮烈に現出しつつある。しかし、ワイルドなのは自然だけではない。荒れる現代人の心も大いなる自然の一部なのだ。
初出:『FRONT』2002年4月号(財団法人リバーフロント整備センター発行)
星川 淳(ほしかわ・じゅん)
1952年、東京生まれ。作家・翻訳家。82年より屋久島在住。著書に『環太平洋インナーネット紀行』(NTT出版)、『屋久島水讃歌』(南日本新聞社)、『地球生活』(平凡社ライブラリー)、共著に坂本龍一監修『非戦』(幻冬舎)、訳書にP・アンダーウッド『一万年の旅路』(翔泳社)、J・ラヴロック『ガイアの時代』(工作舎)、W・R・ピット+S・リッター『イラク戦争』(合同出版)ほか多数。「星川淳の屋久島発インナーネットソース」http://innernetsource.hp.infoseek.co.jp/
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