2005年05月10日04時05分掲載  無料記事
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リンチ化しつつあるJR事故報道 会見での記者の暴言に批判集まる

 JR福知山線の事故をめぐり、マスメディアのJR西日本批判には異様な「リンチ」的な要素が醸し出されてきた。「水に落ちた犬を叩け」という姿勢があまりに露骨で、職員の「些末な問題行動」ばかりに焦点を当てた報道が目立つ。事故直後の部長職らによるボーリング大会にはやや問題があったとしても、はたして事故のあった区間から遠く離れた職場の同僚の送別会まで自粛すべきだったか。事故の原因となったスピードの出し過ぎの遠因が、数十秒の遅れでさえ処罰の対象になった「血の通わない効率優先の管理体制」にあったことを考えれば、職員間の人間的な交流や福利厚生としての娯楽のすべてを「常識外れ」と断罪すべきではないはずだ。ネット上のブログでは会見での記者たちの「ヤクザまがいの言葉遣い」にも批判が集まっている。(東京=稲元洋) 
 
 JR西日本のすべての職員を対象にした「袋だだき」が行われているかのような報道の中、同社職員への乗客らによる悪質な嫌がらせも起きている。各メディアの報道によると、女性車掌がホームで客にこづかれて線路内に転落しそうになったり、先頭車両の正面ガラスに「命」の字をさかさまに張り付けられたりする事件が起きており、安全運行に支障が出るまでに至っているという。 
 
▽私的な飲酒もだめなのか 
 
 一般乗客の反応がここまでエスカレートしている背景には、マスメディアの「JR西日本職員はすべてけしからん」との印象をあおるような報道が影響しているとみられる。 
 
 確かに事故直後に行われたボーリング大会、ゴルフ大会などは自粛が妥当だったと思われるものもあるが、事故のあった線区から遠く離れた職場の送別会を含め、JR西日本職員に対して一切の飲酒や娯楽は取り止めて当然とまで言い切れるだろうか。 
 
 犠牲者に黙とうをささげたうえで、酒を酌み交わせば、事故原因をめぐる本音の議論も交わされ、職場のコミュニケーションは高まったかもしれない。マスメディアの論調は、私的なものを含め、飲酒や種々の娯楽に至るまで全社員が謹んで当然と言わんばかりだ。 
 
 たとえ重大事故を起こした会社の社員であっても、少なくとも私的な時間においても、法律に触れない限りにおいて、よほど突飛でだれが考えても常識外の遺族感情を逆なでするような行為をしない限り、基本的に自由な行動を制限されるべきではない。 
 
 事故の原因解明と再発を防ぐという目的での報道であれば、列車の運行上のささいなミスを犯した職員に対しても実施される「日勤教育」という名の非人間的な再教育の実態などをつぶさに暴き、「安全よりも定時運行優先」といった意識を植え付けた幹部と会社の硬直した管理体質に批判を向けるべきだ。この事故の原因はどうみても「運転士の怠慢」「不注意」といった範ちゅうのものではない。しかし、現状のマスメディアの論調が生む結果は「効率優先はそのままにしたさらなる管理強化」ではないか。 
 
▽「107人殺したんやぞ」 
 
 「J考現学」と題したブログサイトでは、JR西日本の会見に出席した記者たちの「暴言」を列挙している。 
 
 各メディアのサイトから拾い出したという暴言は次のようなものだ。 
 
 「どんでもない会社や」 
 「あんたたちは、ちゃんと仕事してるんか!」 
 「覚えてないことはないだろう!」 
 「あー、もう泣くのはいいから」 
 「あんたらは107人、殺したんやぞ」 
 「どの面下げて、遺族に会ったんや!」 
 「命より仲間内の親睦なのか」 
 
 遺族にはこの言葉を会社幹部に浴びせる権利はあるかもしれない。しかし、記者たちの言葉としてを聞くと、自らの立場を勘違いしたごう慢さばかりが伝わってくる。 
 
 マスメディアの若手記者たちが運営しているとみられるサイト「メディア探究 現役若手記者による、メディアリテラシー入門」というサイトでも次のようなメディア批判が多数書かれている。 
 
 「ボーリングだの三次会だの焼き肉だの、言い方は悪いですがどうでもいい話を追求し、謝罪を求める報道に心底嫌気がさしていた」 
 「マスコミの役目とは事故の本質を遠ざけるごとく、くだらない 
『不祥事』探しをすることでしょうか? もはやテレビは単なる『ネタ』と思っている傾向がありありと見えている。JR内の労組対立には何故だか無視の構え、また旧国鉄から引きずる『マル生問題』やJRに至る過酷なイジメなど、踏み込まなくてはいけない事柄に対して、あんなJR西日本の糾弾会見場所で待機してるだけが記者の役目じゃない」 
 
 「善福寺手帳」というブログサイトは記者たちの姿勢の本質をこう批判する。 
 
 「単に記者の『言葉遣い』が不快なのではなく、なぜそんなに偉そうになれるのだと記者の人間性を疑ってしまうのだ。たとえば事故直後現場に駆けつけた記者は、救出活動を少しでも手伝っただろうか。遺族に謝罪に現れたJRの幹部に向かって、遺族より先にマイクを向けて話させようとしていなかったか」 
 「今回『たまたまJR西日本だった』かも知れない。同じサラリーマンとして、同じ『企業という組織にいる人間』として同じ過ちを犯したかも知れない、という畏れや謙虚さが感じられない」 
 
 ブログの中には、「あの行儀の悪さを首相会見での質問で見せれば」と皮肉るものもあった。 


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