2005年09月02日08時24分掲載  無料記事
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イラクの巡礼者事故で目撃者が恐怖の瞬間を語る

【東京1日=齊藤力二朗】バグダッド市内のアインマ橋で起きた事件では、多数の人が犠牲になった。現地の自由メディアが、このほど目撃者証言を掲げた。 
 
 『バスラ・ネットに掲載された事件当時現場から数十メートルの距離に居た実兄の証言によるアブ・ガイス氏の報告』 
 
 31日の早朝にサドル派の一団がサドル・シティーを出発、何事もなくチグリス川に架かるアインマ橋(シーア派地区のカーゼミーヤとスンナ派地区のアーザミーヤを結ぶ)に到着した。(シーア派の聖廟がある)カーゼミーヤ地区側からは橋が狭いので、巡礼者はごった返していた。突然ばたばたと人々が倒れ始め、恐怖に駆られた。 
 
 誰かがマイクで「離れろ。離れろ。爆弾ベルトを着けたテロリストたちがここにいて、自爆するぞ」。パニック状態が起き、川に飛び込む者も居たし、踏み殺されたものも多い。。千人以上が死亡した。無色無臭の毒ガスが使われたとの話もある。 
 
 事件は偶然のものではなく出来るだけ多数、特にサドル支持者を殺傷するために十分に練られている。 
 
 不可解な点がいくつもある。何故巡礼者は狭い場所に閉じ込められたか。元来修理中であった橋が何故通行可能になったのか。何故迫撃弾がタージー地域方面から撃ち込まれたのか。何故ドレイミー国防相はイラク軍や治安部隊が自爆する前に特攻戦士を何人も殺害したと言ったのか。 
 
『バスラ・ネットの特報より』 
 
 事件発生後の政府の対応は消極的であったが、特にスンニ派地区のアーザミーヤからの多くの市民が懸命に救助や献血を行った。政府高官の声明は責任転嫁と非難合戦で二転三転した。疑問点は、最初に橋は閉鎖されたのに、50万人もの巡礼者(大部分はサドル・シティーからのサドル派)が密集するようになって橋が開いたのか。誰が開橋を命じたのか。誰が発砲したのか。巡礼客の中に自爆者が居るとのデマを流したのは誰か。 
 
 (傀儡政府肝いりの)イラーキーヤ衛星テレビは、サドル派幹部のアーラジー氏(米軍に逮捕されたことあり)とのインタビューをしたが、発言内容がテレビ局の気に入らなかったと見えて、1コマしか放映されなかった。 
 
 事件を詳細に語ったカーゼミーヤの住民によると、橋の入り口にはコンクリートのバリケードが設けられ閉鎖されていた。反対側から国防省と内務省の部隊が巡礼客に向けて発砲したため、人々は人々は危険な事態が発生したと気付いた。この時、橋にいた部隊員の一人が逆戻りしようとした人々を止めようとして「自爆攻撃者が居る」と叫んだため大混乱が起きた。 
 
 迫撃砲の発射に関して、「数日前から空も陸も米軍によって厳重な警備下にある場所で発砲されるとは?」と人々は不審がっている。 
 
『イラーキ・リーグより』 
 
 国家防衛隊が、救急車を通すために人々を散らすよう集中的に発砲した。そのため巡礼者は恐慌状態になり四方に駆け出した。ニュースでは事件前に警備隊が発砲したことになっているが、事実は発砲したのは事件後である。 
 
『イスラム・メモより』 
 
 警官が、「爆弾搭載車やテロリストがいるから、一箇所に固まるな。早くここを動け」と叫んだ。 
 
『穏健な論調のイスラム・オンラインによる目撃者談』 
 
 イラク内務省は3日前から、アインマ橋に通じるラース・ハワーシュ街道を除いて、カーゼミーヤ地区につながる全道路をセメントのブロックで閉鎖した。そのため、カーゼム聖廟への道は数千人の巡礼者でごった返した。 
 
 流言蜚語の発生源は、現在米軍が使っている旧諜報局本部がある一帯だ。その一帯に居る数千人のシーア派教徒が、アインマ橋を通ってアーザミーヤ地区に引き返し始めたために、カーゼミーヤに向かう群れと揉み合いになり惨事につながった。 


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