2005年09月10日02時22分掲載  無料記事
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ヨルダン再編成のシナリオ

【東京9日=齊藤力二朗】イラクの分割計画が着々と進んでいるように見えるが、これはパレスチナ人の追放やヨルダン領の再編をも視野に入れた大掛かりな計画の序曲であるようだ。19日付のイスラム・メモは、著名なエジプト人ジャーナリスト、タルアット・ルメイフ氏の鋭い分析を掲載した。 
 
以下抄訳。 
 
 近隣諸国の中で最弱のヨルダンは、イラクやパレスチナで起きている事態により、米国や西側諸国、イスラエルが同国を、この地域の再分割、再編成する最有力候補と考えていることに、ますます憂慮している。 
 
 国家としてのヨルダン再編を求める声は昔からあった。すなわち、レーガン大統領の時代に共和党議員たちは、所謂「ヨルダンの選択」方式によるパレスチナ問題の解決策を発表してきた。またイスラエルのリクード党もこの選択肢を提案してきた。 
 
 イスラエルと米国を占領地外でなく内部で起きていることに関心を集中させることで、この計画のアキレス腱を狙い打つために、パレスチナでインティファーダ(民衆蜂起)が起きたのであるから、イラク分割構想が原因で、(パレスチナ人が人口の半数余りの)ヨルダンは、同じこと(インティファーダ)が勃発する不安を抱え続けてきた。 
 
 イラクの分割構想は、一つには10年以上も続いた北部と南部に対する飛行禁止とともに始まっており、一つには共和党が米国を支配しイスラエル右派が同国を支配するようになって以来、占領下のパレスチナの進展とも同期している。 
 
 時には、「ヨルダンはパレスチナの土地だ」とする米国の宣伝により、時には、イスラエルが「パレスチナ人をパレスチナからヨルダンに追放、あるいは移住させる」との情報を流すことで、ヨルダンは過去何年も標的にされる場所であり続けた。 
 
 このようにヨルダンの懸念は膨らんだり縮んだりしたが、ガザ地区からの撤退後のシャロン首相の計画が明らかになった後には、危険性がさらに増加した。特に(イラクの最有力シーア派政党、イスラム革命最高評議会の党首の)アブドルアジーズ・ハキムが、クルド領のように南部領樹立を打ち出し、イラクの憲法制定がイラクの分割に法的根拠を与えるようになった現段階においてはなおさらだ。 
 
 ハキムの発言は、イラク分割における次の手順は、基本的にスンニ派アラブ人によって構成されているイラク中央部をヨルダンに併合することを意味するし、シャロンの構想はヨルダン川西岸に居住するパレスチナ人をヨルダンに追放することを意味するからだ。 
 
 シャロンの構想は、48年のアラブ人(1948年の建国時にイスラエル領に残留したパレスチナ人)の首をさらに締め、1967年のイスラエルが占領した領土に追いやり、1948年と1967年に移住してきたパレスチナ人と共に、両者をヨルダン領に向かわせるというイスラエルが現実に実行してきた措置を観察することで明らかになったシナリオに基づく。 
 
 『イラク分割と新ヨルダン』 
 一部はイランと米国間で、一部は米国と欧州間で多くの協議が行われている、イラクとその民に企てられている全体像が明らかになったシナリオに基づき、イラク分割に続く計画は、分割を隠蔽するために憲法を制定する方向で進められているようだ。 
 
 また事態を観察することによって、ある筋書きに基づき、南部を分離し、イランに併合する方向に向かっていることが見て取れる。すなわち、出来るだけ大量の埋蔵原油をイランの支配下に置き、(イラン西部のアラブ人が多数派を占める)アラビスタン地方の住民をイランのシーア派とイラクのシーア派の間に閉じ込めるために、南部を分離しイランに併合する方向に、また、トルコとシリアへも圧力をかけるために、イラク北東部のクルディスタン地域を引き離す方向に進展しているようだ。 
 
 この狙いは、イラク中央部を資源のない政治的、経済的に無力化し、イラクの人口集団をヨルダンに組み入れる計画に基づきヨルダンに併合する適地にするか、ヨルダン領を再編成することだ。 
 
 上記のことを示す指標は数も種類も多くある。それらはイラクの植民地主義的な憲法制定と関係するだけでなく、提示されるイラク南部の分離形態がさまざまに発展、増加し、またクルディスタンの分離が急速、熱烈に進行する始まりでもある。 
 
 イラク南部の分離に関しては、ナジャフやカルバラなどでのムクタダ・サドルの民兵に対する米軍による鎮圧作戦中に出されたハーリド・マッキーの声明に現れた。この事件が終結して以来、このような声明は姿を消していたのが、今回アブドルアジーズ・ハキムの口から復活したのだ。 
 
 ハキムという発言者の格の高さや、彼の考えが明瞭で、シオニストと英米によるイラク憲法制定劇との関わりがあることから、最早計画が実行段階になったことが明らかになった。そのため、特に亡命王族であるシャリーフ・ハサン・ビン・アリーのグループが、イラクでそれほど有力ではないか無力であることが明らかになった後は、ヨルダン各界に危機感が襲った。 
 
 クルド人に関してヨルダンは次のように解釈しているようだ。「分離案に広範な大衆の支持が得られるようになり、クルド人2大政党と米国、イスラエルに支援されたイラクのクルディスタン独立運動は、確認が必要ないほど明らかになったことを、最近の動きは示している。或は、前回(年初)の選挙劇の最中に行われたクルド人の住民投票の結果が承認された現在では、疑問の余地がないものとして分離問題が話題にされるようになった」。クルド人の主張ではこの住民投票で分離案は支持されたとされている。 
 
 いずれにしても、中部はイラクで孤立するか、南部と北部が分離した後に取り残された場所となり、ヨルダンはイラク中部を併合し、再編する候補となることが明瞭になった。 
 
『パレスチナ人をヨルダンに追放』 
 ガザ地区からの撤退開始以前にシャロンの一方的分離計画は次の狙いがあると言われた。 
1)パレスチナ抵抗勢力からの活動(襲撃)を避ける。 
2)1948年(イスラエル建国)から1967年(第三次中東戦争)の2中東戦争間に占領された領地の人口構成の逆転(パレスチナ人の人口がユダヤ人のそれを凌駕すること)を防ぐ。 
3)ヨルダン川西岸の入植運動を活発化させ、1967年に占領した土地の一部を1948年に占領した土地に編入する。 
 
 しかし最近になってガザからの撤退計画は、1948年と1967年の占領地に居住するパレスチナ人口を、人口の約6割を占めるヨルダン内に居住するパレスチナ人の一部と関連付けて再編成することをも狙いとしていることが明らかになり始めた。この計画はイラク中央部をヨルダンに併合させる構想にも対応している。 
 
 パレスチナ問題を巡る目まぐるしい動きを観察していると、過去の一連の戦争後の難民問題と「安定した」パレスチナ人のこれまでの分布が、パレスチナ人が居留する各地域において、再び動き出す段階に入り始めたことが分かる。 
 
 例えばレバノンでは、難民キャンプの武装解除や、あるいは就業や難民の移動に関する制約を緩和するよう現行手続きの緩和開始などに関する、難民問題が討議された。 
 
 1948年の占領地からの移住者や追放された人たちを含めて、占領下のパレスチナにとってガザからの撤退は、イスラエルの諸問題を(パレスチナ人との)合意なしで一時的に解決することを意味する。また1948年の占領地内部のパレスチナ人に対する締め付けは厳しくなった。それを最もよく表しているのが、シャファー・アムルで起きた計画的な(官製)テロ行為だ。 
 
 各国に離散し「安定した」パレスチナ人の状況は現在、定住化促進の対象になったことが、事態を注視していると見て取れる。 
 
 以下の諸状況に鑑みて、もろもろの動きは、唯一の可能な通路である「ヨルダンの方向への追放」に向けて、パレスチナ人を締め付ける工作の一環であることが明らかだ。 
 
1)エルサレムのアル・アクサー・モスクに関して様々な事件(襲撃計画やさまざまな嫌がらせ)が起き、イスラエル右派は、この地域情勢を一変する危険性を孕む同モスクへの侵入を準備している。 
 
2)1948年の占領地に暮らすアラブ人に対する圧力が増し、彼らに対する虐殺が起きている。 
 
3)1967年の占領地に於いて入植活動が活発化しており、ヨルダン川西岸のパレスチナ人を猛烈に締め上げるために西岸地区への様々な圧力が増大している。 
 
4)心理的、社会的混乱を引き起こすためにシャロン首相が、ヨルダン川西岸で犯罪的な虐殺事件を起こすと予測されている。 
 
『イスラエルと米国の計画の問題点』 
 イスラエルと米国の視点からは、事態はバラ色であるようだ。また実現の可能性が仄めかされるほど、この構想は流布しているようだ。すなわち米国の占領によって戦略的見地からはイラクが解体された後、この恐るべき計画を遂行するためにイスラエルとバグダッド間のチャンネルが開かれるようになったと、一部の専門家は見ているのだ、 
 
 またガザ地区からのイスラエル軍の駐留が終了した後に、イスラエルと米国がヨルダン川西岸に対して締め付ける戦略方針へと路線を変更することは、イスラエル軍にこの計画を実行する能力を与えることになると見る者も居る。とりわけ、レバノンのヒズボラの状況は、地域再編のために米国とイランが交渉していることの一環であるとの噂が囁かれているし、また占領軍として、基地を擁して、イラクとヨルダンに米軍が駐留して居るのであるから可能性が高い。 
 
 しかしながら、かつて米国とイスラエルは、認識能力のお粗末さを示した。すなわちイスラエルは1967年に(周辺地域へ)侵攻し、パレスチナの残った領土のほかに、エジプトとヨルダン、シリアの領土を占領した時に、戦略研究所が事前に綿密に計画を練っていたにもかかわらず、人的能力を超えて拡張し、「いつの日にかは敗北し、その結果は悲惨である」ことに気付かなかった。これこそガザで現在起きていることである。 


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