2005年09月26日15時42分掲載  無料記事
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アジア人蔑視が評決に影響か?、米での白人ハンター殺害事件

 昨年11月、米中北部のウィスコンシン州の森の中で、鹿狩りに来ていたラオスの山岳少数民族モン族の出身の男性が、口論の末、白人ハンターの男女6人を殺害した。この男性は、白人たちから侮辱的な言葉を浴びせられた主張。また白人ハンターの1人が銃を先に発砲したため、正当防衛で6人を殺害したと反論した。しかし、ウィスコンシン州裁判所の陪審員は16日、男性の主張を認めず、殺人罪で有罪評決を下した。陪審員の12人はいずれも白人だった。男性の家族は、人種差別の評決だと憤っている。(ベリタ通信=有馬洋行) 
 
 男性は、チャイ・ソーア・バン被告(36)。1980年にラオスから移住し、米市民になっていた。ミネソタ州セントポールに住み、トラックの運転手をしていた同被告は2004年11月21日、友人と隣りのウィスコンシン州に鹿狩りにやってきた。同州は鹿狩りが盛んで、市民の多くが狩猟好きなことで知られる。 
 
 米紙ロサンゼルス・タイムズなどによると、バン被告は、森の中で鹿を追っているうちに道に迷った。この後、バン被告は、白人ハンターと遭遇する。彼らもまた、解禁されたばかりの鹿狩りに来ていた。運の悪いことに、バン被告は、この白人ハンターのメンバーの私有地に入り込んでいた。 
 
 白人たちは、退去を求めた際、バン被告に侮辱的な言葉を投げかけたとされる。同被告によると、「おれの土地にアジア人が入ってきてむかつく」などと言われたという。バン被告は退去しようと歩いている時、銃が一発発射されたのとを聞いた。このため持っていた小銃で6人を殺害した。同被告は正当防衛を主張した。被告は州兵勤務があり、銃の腕前は高かった。 
 
 当時現場には、白人ハンターは8人いた。6人が死亡し、2人は負傷しながら生き残った。事件当時、アジア出身の男性が、白人6人を殺害したとのニュースは、大きな反響を呼び、モン族出身者への嫌がらせが相次いだ。 
 
 モン族は、ベトナム戦争時代、米軍に協力する反共組織に属して内戦を戦ったため、1975年にラオスに社会主義政権が誕生した後、多くが難民として国外に出た。ミネソタ、ウィスコンシン両州には、モン族出身の移民者が、10万人いるとされる。ある関係者は「モン族の人々は普通、誰ともトラブルを起こすようなことはし 
ない」と話している。 
 
▽嫌がらせメールも 
 
 アジアの関係組織には「モン族は“ごみ”だ」といった嫌がらせのファクスやEメールが送られた。モン族の家にペンキスプレーで「殺人者」の文字が書かれた。「ハンターを救え、モンを撃て」という自動車ステッカーを売る業者も現われた。 
 
 裁判の中で、バン被告に侮辱的な言葉が投げかけらたことに争いはなかった。しかし、正当防衛かは、生き残った2人の証言がかぎになった。2人は、先に撃ったのは、バン被告と証言した。殺害された6人のうち、当時銃を持っていたのは1人だけで、4人は背中を撃たれていた。逃げるハンタンーらをバン被告が撃ったためとされる。一方、ウィスコンシン州の検察局は、裁判を有利に進めるため、殺害された6人の犠牲者の写真を陪審員に見せる戦術を取ったりした。 
 
 バン被告の弁護士は、生き残った2人の証言は「偽証」だと反論したが、16日の陪審評決はバン被告の主張を認めなかった。ウィスコンシン州では死刑はないため、バン被告は終身刑になる見通しだ。 
 
 バン被告には7人の子どもがいる。同被告の娘は評決後「父親なしでどうすればいいのか」と悲痛な声を挙げた。家族は被告の行為は正当防衛だと主張、事件の背景には「人種差別がある」と、憤りの声を上げている。 


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