2005年11月09日14時12分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200511091412123

【IPSコラム】ノーベル賞とスウェーデン銀行のゲーム ヘイゼル・ヘンダーソン

 アルフレッド・ノーベルの子孫で人権派弁護士のピーター・ノーベルは、経済学を科学として認めさせる宣伝によるものだと思っている。10月26日のわたしとのインタビューで、ノーベルは「経済学は科学だとは思わない。スウェーデン銀行賞はノーベル賞と切り離してもらいたい」と語った。(IPSコラムニスト・サービス=ベリタ通信) 
 
 2005年のスウェーデン銀行経済学賞(一般にはノーベル経済学賞として知られる)が最近、発表された。受賞者であるイスラエル・ヘブライ大学のロバート・オーマンと米国・メリーランド大学のトーマス・シェリングは数学者でゲーム理論家である。経済学は、ゲーム理論の手法を採用した。それが人間の行動と人々が行うゲームに深い洞察を与えるためだ。 
 
 常に合理的な個人はいつも他人との競争において、自己の利益を最大限に追求するという伝統的な「ホモ・エコノミクス」のモデルは、いまや非現実的なものと見なされている。経済学の中心にある人間行動についてのこの寒々しいモデルは、他の多くの科学者、また神経科学者、微生物学者、心理学者、人類学者、そう、ゲーム理論家による最近の研究によって、間違いであることがますます証明されている。最近のスウェーデン銀行経済学賞の多くが、経済学を超えて、人間の行動を研究している科学者に与えられているのは、そのためである。 
 
 経済学はColossus(巨人)のように、公共政策と私的な意思決定にまたがる強力な専門職である。ほとんどの大学やビジネス・スクールでは優先的に資金が拠出されており、他の分野の研究をそれ自身のものとして取り入れて、影響力を広げている。他の社会「科学」のように、物理科学や「自然」科学より、「より柔軟」とみなされてきた。実際、経済学者は、自分たちのモデルは信頼のおけるものではなく、経済動向を予測することはまれで、経済発展では失敗していることを認めている。 
 
 では、スウェーデン銀行は1968年にノーベル賞委員会に対して、アルフレッド・ノーベルを記念するために経済学賞(100万ドル)をどのようにして認めさせたのか。アルフレッド・ノーベルの子孫で人権派弁護士のピーター・ノーベルは、経済学を科学として認めさせる宣伝によるものだと思っている。10月26日のわたしとのインタビューで、ノーベルは「経済学は科学だとは思わない。スウェーデン銀行賞はノーベル賞と切り離してもらいたい」と語った。 
 
 3人のいとことともに、ピーター・ノーベルは4年前、この「偽ノーベル」経済学賞は切り離して授与するように求めた文章を書いた。2004年、スウェーデン銀行賞はフィン・キドランドとエドワード・プレスコットというまたも2人のシカゴ学派の経済学者に贈られた。中央銀行は政治的管理から自由であるべきであると(空想的な数学で)証明しようとした1970年の論文に対するものであった。この時にはついに、多くの数学者が反旗を翻した。2004年12月、そのようなモデルの誤用に抗議する数学者による記事が現れ、(わたしのを含めて)多数の論説が続いて出た。 
 
 今年のスウェーデン銀行賞の受賞者、オーマンとシェリングは、経済学者のように、紛争と競争にほとんど焦点を当てているが、人間行動についてと人々と組織が行うゲームの多くについての研究者である。経済学とゲーム理論におけるこの偏りは、人間の行動における、より協力的で、分かち合い、利他的な半面を不当に扱っている。人類の成功における協調についての有力な証拠は、新たな科学的研究によって確認されている。(結びつける作用をする)オキシトシンを含むホルモン、他人への思いやりのもとになっている人間の脳にある「ミラー」細胞がそうである。これはわたしの「持続可能性のための21世紀の戦略」で探っている。 
 
 2005年のスウェーデン銀行賞が人間の対立と競争的態度について研究しているゲーム理論家に与えられたのは驚きではない。シェリングの数学的ゲーム理論モデルは紛争に焦点を当てており、ベトナム戦争中にベトコンの抵抗を打ち破るために国防総省に利用され、失敗した。 
 
 オーマンもまた、冷戦時代にソ連の軍事力について米国に助言するために働いた。1965年から1968年の間、オーマンは米軍備管理軍縮庁のために、ソ連とどのように兵器「ポーカー・ゲーム」をするか助言する文書も共著した。しかし、人間の行動を深く掘り下げるために、数学的モデルを利用しようとするのは、それを経済学で利用するのと同じく不適切であるようだ。他の科学の新しい研究によって、人間の行動はいかに複雑であるかがわかっている。社会と人間の相互関係を研究しているほとんどの専門分野は、全体の行動範囲を、紛争と競争から、協力、分かち合い、思いやり、利他主義にいたるまで包括的にとらえる。 
 
 チャルーズ・ダーウィンの著作でさえ再評価されている。ダーウィンは競争と適者生存についてはごく短く触れているだけで、人類の成功のカギとして、きずな、分かち合い、協力を人間の特質として焦点を当て、人類の進化は利他主義に向かうと予測した。 
 
 経済学とゲーム理論はどのようにして競争にとりつかれたのか。一つの説明としては、ダーウィンの理論が、「適者生存」を階級制度を正当化するものとみなしたビクトリア時代の英国のエリートに乗っ取られた、というものである。 
 
 もっと説明したもの(どこの女性にも聞き慣れたもの)は、単に男性の心理というものである。それには攻撃的行動を増すホルモンのテストステロンの効果も含まれる。経済学はその核において家父長的であった。自己の利益を競争的に最大限に追求するという「合理的行動」という定義は、協調的行動、分かち合い、思いやり、自発的活動を「非合理」とする。 
 
 この理論だと、経済学はすべての無給の仕事(ほとんどの国でのすべての生産の少なくとも半分)を無視し、(わたしが愛の経済と呼ぶ)子供を育て、家計を管理し、家族のために食物を作る仕事を「非経済的」と扱うことになる。 
 
 ゲーム理論家は、一つの犯罪で2人の罪人が信頼の欠如によって、双方に最悪の結果をもたらす「囚人のジレンマ」のような競争的な「勝ち負け」、「負け負け」ゲームに焦点を当てる。しかし、女性を対象にした最近の研究によると、彼女らは「囚人のジレンマ」を拒否し、最善の結果(ウィンウィン・ゲーム)を勝ち取る。なぜなら、彼女らは互いに信頼していたからである。 
 
*ヘイゼル・ヘンダーソン 未来学者 著書「地球市民の条件―人類再生のためのパラダイム」 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。