2005年12月29日15時13分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200512291513504

豪州の名将の息子が軍規違反で除隊に 偉大な父親が重圧に?

  偉大な父親を持った子どもたちに掛かるプレッシャーは相当なものがある。まして、父親と同じ職種で働いている場合には、父親の存在が厚い壁となって立ちはだかるようだ。オーストラリアでこのほど、名将として知られた前同国軍司令官の息子が、兵士としては許されない「無許可離隊」という軍規違反などにより、近く除隊させられることが分かった。「無許可離隊」の理由は明らかにされていない、関係者の間で波紋を広げている。(ベリタ通信=都葉郁夫) 
 
 このニュースをスクープした同国の全国紙オーストラリアン(電子版)によると、「無許可離隊」をしたのはデイビッド・コスグローブ兵士(22)。 
 
 軍人を敬うオーストラリアでは「コスグローブ」名は、既に伝説になっているほど、国民のだれもが大きな「誇り」とともに、強く記憶にとどめている。 
 
 その人は、今年7月初めに、3年間に及んだ重職を無事務めて退役した「ピーター・コスグローブ軍司令官(陸軍大将)」で、その名を一躍全国にとどろかせたのが、1999年9月に起きた東ティモール騒乱だった。 
 
 オーストラリア政府は、自国も深く関係していた東ティモールで、独立の是非をめぐり独立反対派が住民虐殺を行うなど、大騒乱に陥ったのを機に、オーストラリア軍主体の「多国籍軍」派遣を決定、その司令官にコスグローブ大将(当時陸軍少将)を任命、99年9月20日に東ティモール・ディリに派遣した。 
 
 コスグローブ氏は、約20カ国から編成される多国籍軍を巧みにまとめ上げるとともに、住民虐殺と都市破壊を続けていた独立反対派を押さえ込み、さらにその背後で暗躍していたインドネシア軍と困難な交渉を続けた。 
 
 その結果、反対派勢力は壊滅状態となり、インドネシア軍も東ティモール撤退を受け入れ、2002年5月20日の東ティモール独立への道筋をつけた。 
 
 この功績で一躍「国民的英雄」となったコスグローブ氏は多国籍司令官を終えた後、オーストラリア陸軍司令官そして同軍司令官へと、まさに絵に描いたように昇進階段を上り続け、今年7月4日、惜しまれながら司令官を退いた。 
 
 その英雄の名が今回は“スキャンダル”の中で登場し、オーストラリア国民を驚かせた。報道によると、シドニー北方のハンター地区にある陸軍シングルトン基地勤務していた息子のデイビッド兵士は今年10月、ローンパイン兵舎から「無許可離隊」した。 
 
 このため同兵士は軍法会議にかけられ、最長14日間の営倉入りを命じられた。しかし、“出所後”も自動車事故を起こすなど、軍規違反行為が目立ち、ついには軍当局から「兵役不適格者」の“らく印”を押され、2006年3月の退役が決まったという。 
 
 コスグローブ家を襲ったこの不祥事の最中、やはり陸軍に勤める兄フィリップ・コスグローブ兵士(25)が依願退役することに。フィリップ兵士は昨年末、イラクに派遣されたが、今年5月、バグダッド市内で自動車爆弾テロ攻撃を受けて負傷した。依願退役の理由は明らかにされていない。 
 
 今回の事態に軍当局は「個人情報保護」を理由にほぼ沈黙を守り、また、退役後カンタス航空役員に就任したコスグローブ元司令官からも海外出張中のため、この件に関しコメントはとれていない。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。