2006年01月28日17時14分掲載  無料記事
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世界社会フォーラム

批判だけでなく、提案もすべき 世界社会フォーラム  クミ・ナイドゥー

 マリとベネズエラなどで開かれている世界社会フォーラム(WSF)をめぐっては、数千人の活動家たちが準備をしてきたが、WSFの内外で「WSFはどのようなグローバルな解決策を生み出しているのか」と疑問が出ている。(IPSコラムニスト・サービス=ベリタ通信) 
 
 WSFは対話と関与のための場を作るのであって、特定の政策的立場について合意を得ようとすることは意識してしないように務めてきた。しかし、さまざまな市民社会の関係者が共通の立場を見出し、共同して戦略を練り、未来に対して共同行動を計画する有益な機会を提供している。昨年、ポルトアレグレで「グローバルな貧困根絶運動」(GCAP)を発足させたのは、GCAPの組織者による意識的な決断であった。WSFの「もうひとつの世界は可能だ」という幅広く、前向きなメッセージで、こうした努力を連携させるようとするものであった。もっとも、すべてのWSFの代表者が、その政策的立場に同調するという期待はなかった。 
 
 WSFを「反グローバリゼーションのフォーラム」と片付けようとしてきた批判者に対しては、こう指摘することが重要である。フォーラムが代表するのは、要するに、今日、豊かな国でも貧しい国でも普通の市民が直面している不公正で過酷な社会・経済的現実についての懸念と非難の声である。比較的短い期間の間に、WSFは市民団体が一年に一度、世界中の市民が直面している、新旧の不正義の幾つかに対して関心を呼び起こす機会を提供するようになった。それは、拡大しつつある軍事化、深刻化する民主主義の欠陥、地球政治における不平等から、増え続ける人権侵害にまでいたる。これは重要な貢献である。 
 
 WSFは、社会・経済・政治的公正を求める世界中の勢力の緩やかなネットワークを代表するようになった。これを単に「反グローバリゼーション」運動と片付けるのは、これが史上、最もグローバルになった運動のひとつであるということを無視するものである。 
 
 代表者が活動している数多くの分野で、特定の政策的立場について合意に達することは、WSFの意思決定構造からして、特にフォーラムの見解の多様さからして、極めて困難であろう。WSFのメッセージの中に命題的な要素を浮き彫りにすることで、調和が見つかると思う。現在の世界の政治経済秩序についてフォーラムが批判していることには、明瞭に変革のための提案の核心が含まれている。 
 
 WSFのすべての代表者を政策上の立場について、無理やり拘束するのは間違っているが、WSFの内においても外においても、ほとんどのWSFの代表が共有し、提唱するような大きな政策上の方向性はないという俗説を正すことは重要である。 
 
 例えば、南の多くの国が直面している債務危機の問題で、かなりはっきりした勧告について大まかな合意が既にある。いろいろな参加組織の間にも、特定のWSFの連合の中にも、WSFの代表の中にも、個々の違いがあるかもしれないが、考慮すべき合意について、もっと強力に意思疎通する方法を見出すのは可能である。主導的な連合は、別々の部門で、注目を浴びるメディアの会議やWSF周辺で組織されたその他の活動を通じて、WSFの集会が開かれる前でも、間でも、以後でも、それらの立場を率先して押し進めていくことができる。 
 
 コミュニュケや決議について合意しなければならないその他の市民団体の集会から学ぶことも重要である。どのような特定の言葉を決議に入れるべきかをめぐって、議論が集中して、創造性と革新性が疎外され、団結心が消えてしまうことがよくある。違いを認めながら、より幅広いレベルで変革を要求し続けることは、追求する価値があるかもしれない。それが環境、ジェンダー、いわゆる「テロとの戦い」の執行に関することであろうとも。そのような動きは、WSFの烏合の衆は世界が間違っていると不平を述べる仕方は知っているが、それをより平等にし、持続可能にするために何をすべきか答えを知らない、と主張する人々を黙らせることになる。 
 
 世界経済フォーラムは、より大きな資源を持ち、メディアをより利用できる立場にあり、ほとんどの主流派メディアを通じて、そのメッセージを伝えられるという点においては、もちろん有利な立場にある。しかしながら、WSFの動機のひとつは、世界経済フォーラムに対抗するためであったということからすると、未来の世代のためにどんな世界をつくりたいのかということについての思想、ビジョン、展望の戦いにおいて、WSFが代案を示す空間としての役目を果たすということは、極めて重要なものになっている。その代案とは、世界的な公正を確かなものにする努力にまだ積極的に関与していない人々の心に届くものである。 
 
*クミ・ナイドゥー 南アフリカ人。Civicus(市民参加世界連盟)事務局長、GCAP議長。 


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