2006年04月08日12時33分掲載  無料記事
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根津教諭の「君が代」拒否

停職「出勤」に物々しい警備の出迎え でも生徒たちとはしばしの交流

停職「出勤」に物々しい警備の出迎え でも生徒たちとはしばしの交流 
 
  卒業式での「君が代」拒否で東京都教育委員会から停職3ヶ月の処分を受けた、根津公子教諭は7日、新任先の鶴川二中に「出勤」した。門前で待ち構えていたのは、公安警察官らしき男たちを含む物々しい警備態勢。でも生徒たちは、同教諭が手にしたプラカードに目をとめると、「ああ、根津先生ですか」と言って色々と話しかけてきた。一日の様子を根津教諭が報告する。(ベリタ通信) 
 
 
根津公子です。 
 
河原井さんは出勤時間に合わせて、豊田駅と日野駅でチラシまきをした。大勢が参加してくださった。 
 
 私は、鶴川二中校門前に「出勤」。8時ぴったりに着くと、ご丁寧な「お出迎え」。すぐに物々しい警備に遭遇することになった。副校長のほかに市教委らしき人が2人いる。訊いたら案の定、S統括指導主事とM指導主事だと言う。「校長の要請でいらしたのですか」と訊くと、「違う。市教委の判断で来た」とのこと。理由は、「何かあるといけないから」だと。昨日の、立川市教委と同じだ。 
 しばらくすると、市教委の2人は、「○○が来たから」とか言って帰っていった。気づくと、公安警察かと思われる男の人が4人いる。私を観察しているようだ。彼らは、「品川」「多摩」ナンバーの2台の車で来ていた。品川ナンバーの車は卒業式が終わり、生徒も保護者もすべて帰った1時頃に引き上げたが、多摩ナンバーの車は、5時まで居残った。 
 
 さて私は、プラカードを持って、ここにいる人たちに混ざって、「おはようございます。おめでとうございます」と生徒や新入生の保護者に声をかけた。「○○○」と書かれた名札を首にかけた人は私の前に立ちはだかろうと、何度も繰り返した。私とプラカードの文字が見えないようにしていることは明確だった。 
 
 登校してくる生徒の数が少ないと思っていたら、2,3年生は係や合唱の生徒だけが登校したのだと言う。その生徒たちの下校時にも、副校長および入学式の外警備に当たった教員とともに私も生徒たちに「さよなら」と声かけをした。面識のない私にきょとんとし、プラカードを見るので、「停職3ヶ月」の文字を指して、「これが私です。校長先生からお話があったでしょ」と言うと、「ああ、根津先生ですか」。さすが中学生の記憶力!ほんとうにすごいものだ。 校長には前もって、「私をいない者にしないで。停職3ヶ月であることを理由とともに生徒たちに紹介してほしい」と頼んでいたところ、昨日の着任式で「7月から出てくる根津先生」と紹介したのだそうだ。 
 
「停職って何に?」「なぜ停職なの?」「なんで起立しないと停職なの?そんなの自由じゃん!」「君が代って、どういう意味か知らないよ」と生徒たち。しばしの間、交流をした。 
 
 3時、「プラカードを写していいですか」とデジカメを持ってきた副校長が私に訊いた。「さんざん皆が見ているものだから写してもかまわないけれど、それは市教委へ報告書を出せと言うこと?」と答えると、副校長は、「いやいや。先生方が見ていないから」と、あまりに陳腐な答えをした。報告書作成送付以外に写す目的はないだろうに。 
 
 10人の方が門前に訪ねてくださった。 
 
 寒くて、曇り空だったのに、帰りには、紫外線の影響なのか、顔が熱っている。何よりも長時間「通勤」。ここまで記録を打つのに、睡魔との闘いだった。 
 
 
追記:プラカードには次のように書いた。「ご入学おめでとうございます。希望に燃えた今の気持ちを大切にしてください。  私は4/1付で二中に着任しました。でも今、停職3ヶ月の処分に。  卒業式の「君が代」斉唱の際起立しなかったことが処分の理由です。私は間違っていると思うことには、従えないのです。」 


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