2006年04月12日12時36分掲載  無料記事
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逃亡11年、日本人がシンガポールで出頭 死亡事故後、苦悩の末 地元メディア「美談」として報じる

 【クアラルンプール12日=和田等】シンガポールで交通死亡事故を起こして日本に逃げ帰っていた日本人が、事故から11年半たってからシンガポール警察に出頭し、裁判を受けた。地元では「美談」扱いされ、話題になっている。地元華字紙や英字紙が報じた事の顛末を紹介する。 
 
 「主文。被告を罰金6000ドル、免停5年に処す」。シンガポール初級裁判所の法廷で5日、11年半前に起きた交通死亡事故の加害者である日本人の男性被告(39)に対して、判決が言い渡された。 
 
 男性は事故を起こしたあと、裁判を受けることなく保釈中に日本に逃げ帰り処罰を免れていたが、良心の呵責に耐えられなくなり4月4日にシンガポールに戻り、出頭した。 
 
 起訴状によると、この日本人男性は、マネジャーとしてシンガポールに駐在していた1994年10月8日午前3時6分、サウスブナビスタ・ロードを愛車を運転して走行中、ハンドル操作を誤り対向車線に飛び出し、走ってきていたバイクと正面衝突した。サウスブナビスタ・ロードはカーブの多く、難所が多数ある道路で、この事故も曲がりくねったカーブで起きた事故だった。男性は飲酒運転ではなかった。 
 
 この事故で、バイクの後部座席に乗っていたリナ・リエン・ホンゲオックさん(当時16)が意識不明の重体となり4日後に死亡、バイクのドライバーのチュア・チョーヨンさん(同19)が足と顔にケガをした。 
 
 男性は日本に逃げ帰った翌年の1996年10月に結婚。だが、亡くなったリエンさんとケガをさせたチュアさんのことを忘れたことはなく、罪を償うことなく保釈中に逃亡したことに対する悔悟の念が年ごとに強まり、妻とも相談して最終的に出頭することを決断したという。 
 
■呵責の念に耐えきれず 
 
 男性の妻は弁護士を通じて裁判所に以下のような手紙を出し、夫の情状酌量を願い出た。 
 「夫はずっと事故のことを非常に悩んできました。悶々とした10年でした。大変なことをしたのに逃げ帰り罪を償うことをしなかったからです。夫の苦悩を知り、私も悩みました。結婚して10年、精神的プレッシャーもあってか子宝に恵まれず、3年前に不妊治療も受けましたが成功しませんでした。あの事故のバチがあたったかもしれないとも考えるようになりました。夫はシンガポールに行って自首し、裁判を受ける覚悟を決めました。私も賛成しました。深く反省している夫に寛大な処置をお願い申しあげます」。 
 
 男性も自らシンガポール警察に手紙を書き、出頭する意思を明らかにしたという。4日午後1時すぎ、チャンギ空港に着いた直後に被告を待ちかまえていた警官が、空港から初級裁判所に直接連行した。 
 
 翌日、ただちに下された判決で判事は「シンガポールと日本両国間に犯人引き渡し条約はない。被告はシンガポールに戻って出頭しなければ、日本では自由の身でいられた。事故からすでに10年以上経過したのに、被告は出頭してきた。また、ケガを負わされた被害者も被告に軽い刑を科すよう願い出ている」と述べ、温情判決を言い渡した背景を説明した。 
 
 男性は事故に対する償いの気持ちを込めて8万シンガポールドル(約560万円)を払う意思を明らかにしている。 
 8万シンガポールドルのうち、リエンさんの遺族に3万シンガポールドル(約210万円)、ケガをしたチュアさんに2万シンガポールドル(約140万円)をそれぞれ払い、残りの3万シンガポールドルをシンガポール救世軍に寄付したいというのが男性の希望だった。 
 しかし、リエンさんの遺族とは連絡がつかず、3万シンガポールドルは宙に浮いたままになった。 
 
 死亡事故を起こして逃げて11年半。判事の指摘したように日本にいれば処罰されないですんだ男性が自らの意思でシンガポールに戻ってきて受けた裁判について、シンガポールとマレーシアの各紙は大きく報じた。 
 
■被害者の母親が名乗り出る 
 
 今月5日に男性は罰金を払って自由の身となり、シンガポールをあとにした。 
 
 だが、6日になって、英字紙報道でこのことを知った故人の叔母にあたるイレーヌ・タンさん(44)が実姉でリナさんの母のタン・ソックホアさん(61)に連絡し、3万シンガポールドルが無事、遺族の手に渡ることが確実になった。男性の弁護士はこの男性に遺族の所在がわかったことを知らせた上で、指示を仰ぎたいと語っている。 
 
■リナさんの事故死から12年、遺族は… 
 
 リナさんは、タン・ソックホアさんと夫のリエン・ソーシューさん(63)の一人娘。娘の死に大きなショックをうけた父親のソーシューさんは心身が弱り果て、事故から1年後に仕事を辞めた。タンさんも夫の介護のため1997年に仕事を辞した。 
 
 家には知的障害のある30歳の息子と、離婚した長男から預けられた孫2人がいる。長男の入れる幾ばくかのお金と年金制度にあたる中央積立金(CPF)で何とか生活を維持してきている。それだけに、事故を起こした男性からの慰謝料3万シンガポールドルは助かると率直にタンさんは語っている。 
 
 またリナさんについて、タンさんは以下のように語っている。「あの娘は13歳からアルバイトで学費を稼いだ働き者で、親孝行な子だった。モデルの仕事もしていた。スチュワーデスになる夢を持っていたのに…。誰でもいつかは死ぬけれど、なぜあの子がこんなに早く死ななければならなかったのか。なぜ、もう少し生きる時間を長くリナに与えてくれなかったのかを神様に問い続けるしかない」 
 
 男性が出頭して裁判を受けたことについては、「出て来てくれてうれしい。どうしてあのような事故が起きたのか説明する者もいなかったし、また謝罪した者もいなかったが、これで少しは救われた気持ちになる」と語ったという。 


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