2006年08月01日14時51分掲載  無料記事
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中米自由貿易協定は憲法違反だ! 非武装・コスタリカからの訴え 安原和雄

  「コスタリカ平和の会」(事務局長=弁護士・大山勇一氏、会の正式名称は「コスタリカの人々と手をたずさえて平和をめざす会」)は06年7月29、30の両日、小諸千曲川ほとりの温泉宿で、非武装で知られるコスタリカ(中米)に学ぶ「平和勉強会」を開いた。その主役はコスタリカから来日した大学院生の若者で、彼は米国がコスタリカに迫っている「中米自由貿易協定の批准」は憲法違反だとして6月、コスタリカ最高裁の憲法法廷に訴えた。なぜ憲法違反なのか。「中米自由貿易協定はコスタリカの平和生存権を侵害する」というのが彼の主張である。以下は私(安原)も参加した「平和勉強会」の報告である。 
 
 まず「中米自由貿易協定の批准は憲法違反」と訴える大学院生のスピーチの内容(要旨)を以下に紹介したい。 
〈話し手〉はロベルト・サモラ君(25歳)=現在、コスタリカ大学法科大学院生 
 彼はもう一つの次のような憲法違反の判決を勝ち取った実績がある。 
 ―米国のイラク攻撃(03年3月開始)に賛成する「有志連合」にコスタリカ政府が名を連ねたとき、彼はそれを憲法違反としてコスタリカ最高裁の憲法法廷に訴えた。これに対し、憲法法廷は04年9月、憲法違反であるとの判決を出し、有志連合のリストからコスタリカの国名を削除するようコスタリカ政府に求め、その通りになった。 
 
〈通訳(スペイン語)兼解説〉は竹村 卓氏=富山大学人文学部教授、コスタリカ問題の専門家 
 
▽中米自由貿易協定の狙いは「米国の覇権の維持」 
 
 米国との自由貿易協定、いいかえれば米国が追求している自由貿易はラテンアメリカへのヘゲモニー(覇権)を米国が維持しよういう狙いがある。歴史的にいえば、米国は軍事的介入を行ってきたが、いまでは左翼政権もいくつかの国で登場しており、軍事的介入ができなくなった。そこで米国は通商貿易の形でラテンアメリカへの支配を行おうとしている。 
 
 コスタリカでは水力発電、電信電話、医療保健などは公営である。そのお陰で電力・水道料金などは安い価格で供給されている。しかし他の中米諸国は米国の要請で民営化を受け入れ、安い価格でのサービスがむずかしくなっている。米国の民営化路線は、それによって儲けようという企みといえる。民営化という新自由主義の経験は明らかにネガティブなものである。自由貿易協定という名称は〈自由〉を銘打ってはいるが、コスタリカの人々に自由をもたらすものではない。 
 
 米国がコスタリカに協定の批准を迫っているのは、米国にとってコスタリカが対中米政策の中でカギとなる国だからである。なぜカギになるかというと、コスタリカは社会的、経済的、かつ民主主義の点でも中米諸国の中で発展している国だからである。 
 
〈安原のコメント〉 
 目下、コスタリカが批准するかどうかが問題になっている中米自由貿易協定(CAFTA)の対象国はグアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカの中米5カ国とカリブ海のドミニカを含める6カ国。このうちコスタリカを除く5カ国はすでに批准し、発効している。 
 コスタリカは04年2月、協定に調印はしたが、いまなお批准していないため、協定は発効していない。ところが、06年2月の大統領選で僅差で当選したアリアス氏は新自由主義、自由貿易を容認する姿勢を打ち出している。だから批准、発効を阻止するためにサモラ君が憲法違反の訴えを起こした。 
 
▽なぜ憲法違反なのか―コスタリカの平和生存権を侵害する 
 
 中米自由貿易協定がなぜコスタリカの憲法違反といえるのか。 
 第一はコスタリカの平和生存権を侵害することになるからである。 
 同協定の付属文書に「小型武器(ピストルなど)、ミサイル搭載可能な戦車、装甲車、その他の武器の輸出入・取引は自由」という趣旨が記されている。文中の「その他の武器」という文言がくせもので、核兵器も含めて取引が自由、ということにもなりかねない。 
 このように様々な武器の取引が自由になると、平和生存権を侵害することになる。コスタリカ憲法に平和生存権という文言が記されているわけではないが、これはコスタリカの人々が歴史的に努力して獲得してきたものである。 
 
 上述した「米国のイラク攻撃に賛成する有志連合にコスタリカが加わるのは、憲法違反」という最高裁の判決文にも、その理由として「有志連合に加わるのは平和生存権の侵害」という趣旨が書かれている。憲法条文に明記されてはいないが、平和生存権は実在する権利と理解することができる。 
 
〈安原のコメント〉 
 自由貿易協定は目下、米国、日本を中心に関係各国との間で結ばれつつあるが、これを「平和生存権の侵害」という視点から憲法違反として最高裁の判断を求めるケースは珍しいのではないか。非武装で平和を追求する国として知られるコスタリカならではの訴えといえよう。 
 なおコスタリカ憲法21条は「生命の不可侵性」を宣言しており、いのちを何よりも尊重する国柄である。 
 
 第二の憲法違反の理由は、国際法上の「禁反言」(前言と矛盾する言動を禁じること)の規定に反するからである。 
 現大統領のアリアス氏が主宰する「アリアス財団」がまとめた「小国での小火器(小型武器)利用の影響」に関する研究報告書は、「自由な取引によって小火器が出回れば、被害をもたらし、つまりは平和を脅かす」と結論づけている。これは大量の小型兵器は平和生存権の侵害を意味することをアリアス氏自身が認めたも同然である。 
 
 しかも同大統領は以前「小火器の取引は禁止すべきであり、その取引は自由貿易には含まれない」と主張していた。ところが06年2月大統領に当選すると、その前言をひるがえす発言を行っている。これは国際法上の「禁反言」条項に反する。コスタリカ憲法7条は国際法上の規定を尊重すると定めているのだから、アリアス大統領の発言(反言)は憲法7条に反するだろう。 
 
〈安原のコメント〉 
 アリアス氏は、現在2回目の大統領職にあり、初回の在任中の1987年、非武装・永世・積極中立宣言(1983年)を基盤にした積極的な対話平和外交、中米和平協定調印などの功績でノーベル平和賞を受賞した。そのアリアス大統領が自身の前言をひるがえすような矛盾した言動をとっていることに法科大学院生の若者が「正義の怒り」を発したと評価できるだろう。 
 
▽コスタリカ、日本ともに岐路に立つ平和憲法 
 
 サモラ君が憲法違反の訴えを起こしたのは、以上のような理由からである。彼は再び憲法違反の判決を勝ち取ることができるかどうか、その行方は今のところ未知数である。 
サモラ君は次のようにも指摘した。 
 「中米自由貿易協定は、その名称から受ける印象と違って、貿易・経済に限らない性質のもので、米国の真の狙いは、コスタリカの平和を破壊することにあるのではないか。それが本当の目標ではないか」と。 
 
 これには同感である。私は次のようにも読みとれるのではないかと思う。 
 「米国の次の目標は、北朝鮮というよりもむしろコスタリカであり、その意図はコスタリカの平和路線の破壊にある。現在ラテンアメリカでは反米志向の左派政権が次々と誕生している。それに対する米国の反撃が始まった。その突破口と位置づけられているのがコスタリカではないか」と。 
 
 中米のコスタリカは1949年の憲法改正によって軍隊を廃止し、警察力によって国内治安と沿岸警備に当たっている。コスタリカの国是は、�〃蛎發稜兒漾↓⊆�然環境の保全、�J刃臓�人権教育の重視―の三本柱で、軍隊廃止で浮いた財政資金を教育、医療などに回している。 
 コスタリカは軍隊を廃止したまま、今日に至っており、ここが平和憲法9条で非武装(戦力の不保持、交戦権の否認)をうたっているにもかかわらず、日米安保=軍事同盟下で今日、強大な軍事力をもつに至った日本との大きな違いである。そういうコスタリカの平和憲法が自由貿易協定の批准・発効によって風穴を開けられるかどうかの岐路に立っているともいえる。 
 
 一方、東アジアに位置する日本も、平和憲法9条の改悪によって平和理念を破棄し、「戦争への道」に公然と進むかどうかの岐路に立たされている。 
 その裏で糸を引いているのがコスタリカでも、日本でもほかならぬ米国であるところが共通している。 
 
▽葉っぱや虫たちも、そして自然も平和を求めている 
 
 小諸千曲川を眺望できる温泉宿「中棚荘」の露天風呂に浸ったとき、目に付いたのが真っ白い紙片に書かれた「お願い」と題する次の文言である。 
 
当館の露天風呂は 
葉っぱや虫たちも大好きです 
時々入りに来ています 
お気になるようでしたら 
逃がしてあげて下さい 
 
 何気ない文章にもみえるが、私はそこに平和へのメッセージを読みとった。ここには葉っぱや虫たち、いいかえれば自然のいのちを尊重するこころ、気遣いを感じさせてくれる。 
 
 この温泉宿は、実は「千曲川旅情の歌」などで知られる自然主義の代表作家、島崎藤村(1872〜1943年)が定宿としていた。藤村が好んで使っていた部屋がそのまま残っており、手の届くほどの距離に千曲川を望むことができる。そこには自然が限りなく広がり、いのちがいっぱい息づいていた。それが平和であった。藤村はそう感じとったにちがいない。 
 
▽平和観の転換を―狭い〈平和=非戦〉から広い〈平和=非暴力〉へ 
 
 さて今日、平和はどこにあるのか。 
 平和とは単に非戦の状態を指しているだけではない。〈平和=非戦〉という平和観は狭い平和観である。今日、かりに戦争がなくても、自然や人間のいのちが無造作に踏みにじられるか、軽視されているのが日本の現実である。 
 
 親殺し・子殺しなどの凶悪犯罪、自殺、過労死、交通事故などさまざまな事故死、生存権の否定につながる失業、自由・人権の無視、人間性の疎外、さらに浪費経済がもたらす資源エネルギーの収奪、地球環境の汚染・破壊―これらはいずれも21世紀型の多様な暴力である。もちろん戦争は究極の国家暴力であるが、それ以外の多様な暴力が続くかぎり、平和とはいえない。いいかえれば、〈平和=非暴力〉という広い平和観が求められる時代となった。 
 平和生存権は人間に限らない。葉っぱや虫たち、そして自然全体も平和生存権をもっているという認識が必要である。 
 
 平和をこのように広くとらえれば、平和は守るものではなく、新たにつくっていくものであることが理解できる。なぜならかりに戦争はなくとも、多様な暴力は世界規模で日常生活の中に実在しているからである。「平和=非戦を守る」という感覚の人が少なくないが、この感覚は戦争さえなければ、平和―ということになり、それは戦争以外の多様な暴力を容認する結果となりかねない。こうして日常的な多様な暴力に慣らされると、やがて究極かつ最大の暴力である戦争を拒否する感覚も鈍くなるだろう。 
 
 戦争を含む多様な暴力を拒否し、現状変革によって非暴力の状態をつくっていく努力を重ねることこそが平和創造への道である。このことを考えさせられる小諸千曲川ほとりでの「平和勉強会」であった。 


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