2006年08月26日11時07分掲載  無料記事
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「プレカリアート」からの反撃の第一歩 警察の妨害はねのけ秋葉原でサウンドデモ 攝津正

  2006年8月5日(土)、秋葉原で「メーデー!メーデー!メーデー! 4・30弾圧を許すな8・5 プレカリアート@アキバ〜やられたままで黙ってはいないサウンドデモ→集会〜」が催された。4月30日、「自由と生存のメーデー06」が警察権力から弾圧を受け、逮捕者3名を出していた。今回は、その事態を受けて、弾圧への反撃の第一歩という位置づけで、緊張感をもってこの取材に臨んだ。 
 
 プレカリアートとは、こなれない外来語だが、「不安定な生を強いられる人達」という意味である。「不安定な」という意味のプレカリティという言葉と、プロレタリアートという言葉の合成語であると聞いている。ユーロメーデーなどで自然発生的に用いられ始め、広がったものだということだ。 
 
 新自由主義と呼ばれる政策、いわゆる小泉「改革」が進む中で、大多数の日本に居住している人達の生活は不安定化している。フリーターやパート・アルバイトは勿論だが、それだけではない。先日放映された「ワーキングプア」についてのNHKの特集番組でも明らかになったように、職人や農民、自営業といった階層も没落しつつある。また、仮に正社員になれたとしても、激しい競争を強いられ、過労死・過労自殺の危険に晒されるわけで、「安定」を享受している層といったものは極めて少なくなってきている、というのが現状であるだろう。 
 
 そうした現実に対して声を挙げ、少しでも変えていきたいとの願いを持って、私は他の複数の人達と協働して今回のデモと集会に取り組んだ。状況が酷くなっているにも関わらず沈黙するのか、声を挙げるのかというのは、政治的自由の問題である。私は、声を挙げるべきだと考えたし、周りの人達にも一緒に声を挙げようと誘ってきた。 
 
 そして、当日である。私達は、秋葉原のデモ行進に出発することができた。とはいえ、警察や公安の妨害や嫌がらせが無かったわけでは全くない。警察は、デモが「遅足」なので「東京都公安条例違反」だという警告を頻繁に出してきたし、私達が歩道でビラ撒きをしようとしたところ妨害してきて、歩道から力づくで追い出し、また、デモ隊列の中から沿道の市民にビラを渡そうとしていたことさえも妨害して、市民に「チラシを受け取っちゃだめですよ」などと言っていた。そうした陰湿な妨害にも関わらず、沿道の市民は概ね私達デモ隊に好意的で、多くの人達がチラシを受け取ってくれた。メディアの人達も、妨害に怒って抗議していた。表現の自由を侵害する警察に対して、これからも批判の声を届けていきたい。 
 
 私達のデモは、サウンドデモである。前回、DJが荷台乗車していたことが「道路交通法違反」だというふざけた論理で逮捕攻撃を仕掛けてきたので、今回は、道路交通法第56条の特例規定を活用し、荷台乗車を許可させた。それで、権力側が私達を弾圧できる根拠はほぼなくなった。街頭で堂々とサウンドデモを実現し、踊り、訴え、叫び、フリーターの賃金を上げろとか、過労自殺させるななどと参加者が思い思いに自分の気持ちを訴えた。 
 
 デモは、概ね成功と言ってもいいだろう。その後、総評会館で、集会を持った。格差社会についての連合のDVDを視聴した後、フリーター全般労働組合から私が少し提起し、その後、野宿者や生活困窮者に住所を提供する活動などをされているNPO法人「もやい」の湯浅誠さんのお話しをうかがって、参加者間で討論をした。湯浅さんのお話しでは、現代に新たな「貧困」が現出している、という内容で、漫画喫茶で生活する若者などについて言及された。 
 
 プレカリアートの権利の十全な獲得や街頭表現の十全な奪い返しなど、今後の課題は残ったが、ささやかな第一歩としては評価できる内容ではないか、と私は思う。自分としても今後、さらに強力な取り組みを準備していきたい。 
 
なお、私達実行委のサイトは以下である。 
http://sounddemo.nobody.jp/ 
 
注・本原稿は攝津が個人の立場から書いたものであり、実行委の見解を公式に表明するものではありません。実行委の公式見解については、実行委のサイトでご確認いただければ幸いです。 


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