2006年09月06日14時34分掲載  無料記事
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ムシャラフ政権にとって裏目に出る可能性 バルチスタン反政府部族長の殺害 イルファン・フセイン

openDemocracy  【openDemocracy特約】バルチスタンの上空を飛ぶと、月の風景を横切るような印象を持つ。平らな平原が盛り上がり、荒れた丘と険しい岩山が連なる。夏には気温が54度にもなる。雨はめったに降らない。モンスーンの時でさえそうだ。情け容赦のない地形が何キロにもわたって眼下でうねる。旅行者は、このような厳しい環境でどうやって生活を維持しているのかと不思議に思う。 
 
ここはアケメネス朝(紀元前550年−紀元前330年)のゲドロシア地方である。アレキサンダーの軍隊が帰路に暑さと渇きで、大きな打撃を受けた。しかし、厳しく容赦のない地表の下には、ガスと鉱物が埋蔵されている。それらが、バルチの民族主義者とパンジャブが支配的な連邦政府との間での戦闘状態にある紛争の中心にある。 
 
 79歳のナワブ・アクバル・カーン・ブグティが8月26日、暴力的で不可解な状況のもとで最期を遂げたのは、荒涼としたバームボレ丘にある洞穴の中であった。ブグティの部族長であった彼は、バルチ民族主義の一番の象徴であった。逮捕を恐れて、忠実なボディーガードを連れて、砂漠に避難していた。 
 
 何ヶ月にもわたり、正体のはっきりしないバルチスタン解放軍(BLA)は、ガスのパイプラインとその他の政府の資産を攻撃している。バルチ民族主義者の要求には、ガスからのロイヤルティーを引き上げること、軍の新しい駐屯地の建設の中止、大規模開発計画の見直しがある。スイのガス田からのガスが、バルチスタン以外の地域に供給されている。 
 
 こうした要求をする背景には、人口形態の現実がある。バルチスタンはパキスタンの土地の面積の40%以上を占めるが、人口は5%でしかない。もし、グワダルでの近代的な港湾の建設のような連邦政府が指導し、資金を出しているプロジェクトが建設され続けられると、非バルチ人が流れ込み、地元の人々が少数派になってしまう、という十分根拠のある恐れがある。彼らは、隣のシンドの運命を見ている。同州にはパンジャブと北西辺境州から港湾都市カラチに労働者が流れ込んだ。 
 
イスラマバードとクエッタ 
 
 イスラマバードから見ると、バルチ人の態度は、インドまで延長する可能性のあるイランからのガスパイプラインを建設する戦略と調和しない。その他の計画としては、中央アジアからアフガニスタンとバルチスタンを通り、グワダルまで結ぶパイプラインがある。グワダルから輸出する計画だ。 
 
 このようにバルチスタン州はパキスタンの将来のエネルギー計画のかぎなのである。しかし、ペルベズ・ムシャラフ大統領はバルチ人と真剣に交渉しようとはせずに、彼らを脅そうとした。今や、ブグティの死は殉教者を提供した。そして、ゲリラ攻撃は拡大しそうである。 
 
 歴史的にバルチスタンは常に難しい地方であった。80%が部族の地域で、連邦政府の命令はほとんど伝わらない。1973年には、暴動は残虐なやり方でパキスタン軍によって鎮圧された。それ以来、バルチ人は不満を抱いてきた。強欲なパンジャブが支配す中央政府に鉱物資源を奪われているとういバルチ人の思いから、そうした不満が高まっていた。 
 
 さらなる緊張のもとになっているのは、地域の民族の構成が変化していることだ。バルチ人は南部では多数はであるが、パシュトン人が北部に住んでいる。この人口のバランスが、ソ連のアフガニスタン占領(1979年12月−1989年)の間に、乱された。数十万人のパシュトゥン人がバルチスタンに流れ込んだ。 
 
 一方、部族自治地域の存在自体は、私的な投資を妨げている。ビジネスマンは、部族の土地で操業するために、大きな分け前を強要する部族長のなすがままになっているように感じる。学校、特に少女のための学校は、部族の長老の手中にある。実際、バルチスタンの女性の識字率は国内で最低である。国政、州、地元の選挙の投票率もそうである。 
 
 ナワブ・アクバル・カーン・ブグティは、最初に人を殺したのは12歳の時だったと誇っていた。今日においても、殺人は部族の法のもとで重罪と見なされていないし、名誉殺人は日常的である。 
 
 バルチスタンの一人当たりの国民所得が全国一低いというのは、それほど不思議ではない。遠くはなれ、地形が厳しいことから連邦政府は、州政府の予算の90%に当たる補助金を支給していたことを別にして、同州を放置していいることで満足していた。しかし、過去数年の間、別のガス源を確保する必要が高まったため、インフラを開発する組織的取り組みがなされてきた。 
 
 中国政府がイラン国境に近いグワダルに近代的な港湾を建設する援助をしている。カラチとグワダルを結ぶ近代的な高速道路が2005年に完成した。新しい港と国道を結ぶための調査が行われた。しかし、これらすべての構想はバルチ人民族主義者によって抵抗にあっている。中国人の技術者数人が殺害され、ガスパイプラインやその他の施設に対するロケット攻撃に対する一連の攻撃が行われている。 
 
 明らかに、部族長や部族の長老は現状を維持するという既得権を持つ。現在、彼らは、貧しく、教育を受けていない部族の人々に対して、文字通り生殺与奪の権を握っている。それらの指導者の多くは、民族主義尾者と提携をし、一部は独立を要求している。 
 
 ムシャラフは、インドがBLAに武器を与えて漁夫の利を得ていると非難した。現在続く蜂起に加えて、部族地域は広大な密輸ネットワークの十字路であった。そのネットワークに沿って、ヘロイン、銃それに人間がイランと湾岸に運ばれた。利益の一部は部族長をぜいたくにし、バルチのゲリラを維持するためにも使われた。 
 
ブグティの危険な死体 
 
 人口が構成が複雑で、部族が混じっていることの結果のひとつは、バルチスタンは大きな政党を持たないということである。もっと正確に言うと、バルチスタンは、州都クエッタで不安定な連立をなすモザイクのような小さなグループによって運営されている。 
 
 現在、65人からなる議会の約半数が閣僚である。閣僚ポストをこのように分配するのは、議員を買収し、連立与党を支持するための方法である。連立では、宗教指導者の連合である統一行動評議会(MMA)が主要なパートナーである。 
 
 部族の名誉と伝統の概念が深く根を下ろした地域で、ムシャラフがブグティの死とその影響の扱いでヘマをしたことが、憎悪の波を引き起こした。当初政府は、軍が洞穴に向けミサイルを撃ち込み、引火した時に彼は死んだと主張した。続いて起きた爆発で洞穴は崩壊し、彼と仲間が死んだ。 
 
 この話はまもなく変わり、軍のスポークスマンは後になって、こう主張した。将校がブグティと「交渉する」ために洞穴に入った。数秒後、「不可解な爆発」が起き、落石でその下にいた人たちが死亡した。ブグティの死体が1週間後に取り出されたとき、デアラ・ブグティでかぎのかかった棺に入れられて埋葬された。クエッタの彼の家族には引き渡されなかった。彼の長男のジャミル・ブグティは埋葬されたのは彼の父親ではないと主張している。 
 
 作戦全体がパキスタンの政党各派の間で広く非難された。多くの軍と情報機関の前のトップが高まる一方のこの声に加わっている。ムシャラフにとって、彼の敵の話はこれでおしまというわけにはいかない。死んだアクバル・ブグティは、遠い洞穴にいた時よりもずっと強い敵になったかもしれない。 
 
*ルファン・フセイン パキスタンの英語紙ドーンのコラムニスト。 
 
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 
 
原文 
http://www.opendemocracy.net/conflict-india_pakistan/baluchi_insurrection_3875.jsp# 
 
(翻訳 鳥居英晴) 


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