2006年09月21日11時05分掲載  無料記事
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イラン核問題

保守系各紙は西側挑発、改革・穏健派は対話主張 イラン各紙に見る最近の論調

◆日本より多い新聞数 
 
 テヘラン市街が動き出す午前6時、街角のキオスクが店を開く。店の脇には、すでに暗いうちに配達されていたその日の朝刊の束が、10個ほど山積みにされている。 
 
 「一番売れるのはハムシャフリー、うちでは500部仕入れるよ。次はジャーメジャム、それにシャルグがそれぞれ150部。俺かい? 俺はスポーツ新聞しか読まないけどね」 
 
 キオスクの販売員はそう答えながら、新聞の束を手際よく店先に並べてゆく。数えてみると、普通紙、スポーツ紙合わせて、ざっと60紙は下らない。各州に無数の地方紙があることを考えれば、この国の新聞の数は相当なものである。 
 
 イランの新聞の歴史を紐解けば、1837年に初めての日刊紙が創刊され、1905年の立憲革命まで、およそ70年をかけて新聞メディアが民主主義と言論の自由を育んでいった歴史がある。現在のイスラム共和国体制下にあっては、新聞創刊に当局の認可が必要なのは勿論のこと、内容がイスラム体制に反していないかという厳しい制約がある。 
 
 にもかかわらず、これほど多くの新聞がしのぎを削っているのは、ラジオとテレビという放送メディアが国営部門に限られているため、成熟したこの国の言論が、新聞を通してしかその発露を見出せないのかもしれない。 
 
 ここ数年、発禁処分を受けた多くの新聞、あるいはそのために活躍の場を失ったジャーナリストたちがウェブジャーナルを開設する動きも活発だが、各家庭でのパソコン普及率の低さを思えば、キオスクでコイン1、2枚で気軽に買える新聞に勝る情報メディアはないだろう。 
 
 しかし、イランの新聞数の多さには、もう1つ理由がある。それは、政党や自治体の機関紙が多く含まれることである。テヘランで最大の発行部数40万部(2000年まで全国紙だったが当局の要請により現在はテヘラン市のみで販売)を誇るハムシャフリーはテヘラン市が発行元である。 
 
 それに続く発行部数を持つジャーメジャムはイラン国営放送のオフィシャルペーパーである。イラン第2の発行部数を持ちながら今年になって発禁処分を受けたイランはイラン国営通信のものだった。さらに、発行部数十万前後の政党系日刊紙が無数に存在する。 
 
 こうした中、政党や政府機関とまったく繋がりを持たない有力日刊紙として、シャルグが挙げられる。2003年7月に創刊された若い新聞社だが、発禁処分を乗り越えて、今も発行を続ける改革穏健派の有力紙として国民の信頼は厚い。発行部数は伏せられているが、25万部から30万部と推定され、国内3番目の発行部数と言われている。 
 
 テヘラン市民にどの新聞をよく読むのかと尋ねると、多くの人がハムシャフリー、ジャーメジャム、シャルグといった上位3紙の名をすべて挙げる。つまり、左右織り交ぜて、バランス良く情報を取り入れようという姿勢が窺える。あるタクシードライバーは筆者の質問にこう答えてくれた。 
 
 「新聞を選ぶ基準は、それが右寄りか左寄りかじゃなく、自分自身だよ」 
 
 つまり、紙面を見て、自分で判断して、その日の新聞を決めるということだ。配達制度の整った日本にはない柔軟性である。 
 
 
◆包括案への回答をめぐる報道 
 
 8月23日、キオスクに並んだ新聞各紙は、ヨーロッパ包括案に対しイランが回答を与えたというニュースを一面トップで伝えた。この包括案は約2ヵ月前に国連安保理常任理事国とドイツを加えた6ヵ国によってイランに提示され、各種の見返りを与える代わりにウラン濃縮活動を即時停止するよう求めたものだった。これに対する回答期限が8月22日。回答内容はイラン政府の要請で公表されなかったが、最大の焦点であるウラン濃縮の即時停止をイランが拒否したことだけは明らかにされた。 
 
 23日付のアーフターベ・ヤズド(改革派・イラン・イスラム参加戦線)は、包括案への回答が公開されなかったことに対し、こうした秘密主義によって国内から幅広い意見を集めることができない点と、じき欧米の政府高官やメディアから回答内容が少しずつ漏れてくることを指摘し、「イラン人が海外メディアから情報を得ることを奨励しているようなものだ」と批判した。 
 
 この批判は見事に的中し、当事国のメディアでありながら、西側から伝えられる情報に振り回されるような報道が、その後の国内各紙に目立った。 
 
 24日、包括案へのイランの回答に対する西側からの反応がひと通り出揃うと、この日のレサーラト(保守派・イスラム連合党)は一面トップで、「アメリカの破壊連合は崩壊寸前」、「ヨーロッパ諸国はアメリカを支持してアフガニスタン、イラク、レバノンに巻き込まれたが、さらなる深刻な竜巻には巻き込まれたくないと思っている。 
 
 イランとの関係における中国、ロシア、フランスの莫大な経済的利益は、アメリカが意図する制裁拡大にとって深刻な障害である」というニューヨークタイムズの記事と、「イランへの経済制裁は、イランが石油を武器にして抵抗した場合、より大きな損害を西側諸国にもたらすだろう」というワシントンポストの記事を引用した。 
 
 ケイハーン(保守強硬派)もまた、一面トップに「イランの回答は5+1の相違を広げた」との見出しで前述のニューヨークタイムズの記事を引用し、さらにユナイテッドプレスが「イランへの経済制裁で石油価格の高騰は避けられない」と報じていることを伝えた。 
 
 26日付のレサーラトは、「脅しはもういい。我慢にも限度がある」との大見出しで、「もしその限度を越えたなら、イラン国民は議会にNPT脱退を迫るだろう。イラン国民は政府に抑止力のため核兵器を作らせるかもしれない」との、モハンマドレザー・バーホナール国会副議長の発言を一面トップで伝え、多くの新聞もこの発言を報じた。 
 
 保守系各紙が、イランの権利の強調と、西側の反応への苛立ちによる挑発的な記事を伝える中、改革派、穏健派に属する新聞には、対話の道を探る姿勢が目についた。 
 
 23日付、カールゴザラーン(穏健改革派・建設奉仕党)は社説の中で、「イランでは核活動を中断する意思は少なくとも公式には存在せず、西側にもこのイランの希望に柔軟に接する兆候は見られない…(中略)、もし両者が互いにまったく柔軟に接する用意がないと気付いたなら、イラン核問題における政治的、技術的論争は、威信の戦いの色を帯び……抑制は誰からの手からも奪われるだろう」と懸念を述べている。 
 
 また、シャルグは24日、紙面一面を割き、「核戦略の手本 日本と北朝鮮の経験」と題する特集記事を載せた。この特集記事では、「対照的なこの2国から、我が国の核政策決定者は学ぶことができる」とし、北朝鮮の核開発の経緯と、戦後日本の核開発の経緯を詳細に描き、照らし合わせている。 
 
 「北朝鮮の指導者が、もし核兵器獲得が自国の地位と名誉を国際社会で押し上げると考えていたのなら、実際、このような変化は起こっていないばかりか、他国に比べ、より貧しく、より経済は遅れ、国際社会でより低い地位を得たと言わねばならない」と、「国家の威信」を声高に叫ぶイラン首脳陣を批判する一方、戦後日本が国際社会の懸念から独自の核開発を妨げられ、日本の核開発が平和目的だとIAEAから完全に承認されるまで20年近い歳月を要したことや、日本が国際社会から信頼を得るために、率先して軍縮条約等に調印してきたことなどが述べられ、行動と忍耐によって国際的信頼を勝ち取ってゆくことの必要性を訴えるとともに、自国の権利の主張に偏りがちな現政府の国際アピールの仕方に忠告を与えている。 
 
 こうした姿勢に少なからず影響を与えたのは、8月2日のドイツのフィッシャー元外相のイラン訪問ではないかと思われる。彼はイラン・イスラム参加戦線党首(当時)レザー・ハータミー氏との会談で、西側はイランの平和的核開発の権利を十分理解しているとした上で、万が一、イランが核兵器を入手した場合、トルコ、サウジアラビア、エジプトなど中東諸国が次々に核兵器獲得に走り、中東での核競争が開始されることは最悪の事態であり、西側の何よりの懸念がそれであることを真摯に伝えた。そして、イランと西側の信頼がまだ醸造されていないのがこの問題の根本であり、両者が互いに一歩後退し、交渉をやり直すべきだと訴えた。 
 
 その後、保守系各紙の間でさえ信頼構築という言葉がイラン核問題のキーワードとして語られるようになった。1人の人間の真摯な訴えがメディアの論調を変えることもある。アメリカの恫喝的な一言でそれが覆ってしまうのも、国際問題が所詮、人と人との心の問題であることを物語っている。 
 
◆アメリカとの関係 
 
 前述したシャルグの特集記事の中で、次のようなくだりがあった。 
 
 「たとえアメリカの信頼を得られなくても、それ以外の国々の信頼を得ることで、アメリカを恥じ入らせることができるだろう。国際的信頼を得ることはイランに機会を与え、国際的信頼を失うことはアメリカに機会を与える」 
 
 このくだりから察するところ、イランにとって、アメリカという国はもはや国際社会の中に含まれないということである。 
 
 日本人にとって、アメリカを無視して国際社会を捉えることは難しい。日本で報じられるイラン核問題への論評には、決まって「イランは国際社会に背を向けるのか」、「対イラン決議は国際社会の重大な警告だ」と主張が見られ、こうした表現からは、日本にとって国際社会とはアメリカそのものであるという見方さえできる。なぜなら、イランの核開発に対し断固阻止を叫んでいるのは、実際のところアメリカだけだからである。 
 
 一方、イラン人にとってアメリカとは、巨大な存在でありながら、革命以来27年間にわたって自分たちを「悪の枢軸」、「テロ支援国家」と罵倒し続け、諸外国に自国への経済制裁を強要してきた国である。 
 
 中国と家具の貿易を行なっている筆者の友人は、国連による経済制裁の可能性について、「俺たちはずっと経済制裁を受けてきた。今さら何の制裁だよ」と意にも介さない様子だった。アメリカによる敵対、制裁は、今やイラン人にとって当たり前の事実であり、今後もアメリカ無しでやっていく覚悟が、人々の内に無意識に芽生えていたとしてもおかしくはない。昨年のイラン大統領選挙では、改革派、保守派双方の立候補者がこぞってアメリカとの関係改善を公約の1つに掲げたが、その結果は、唯一そうした公約を掲げなかったアフマディネジャードの勝利であった。そして今、この穏健改革派の新聞でさえ、アメリカを必要のないものと切って棄てている。 
 
 イランの民主化を叫び続けてきたアメリカに、今、熱心に手を差し伸べているのは、皮肉なことにイラン政府である。シャルグが29日に伝えたところでは、イラン石油国有公社がアメリカの石油会社にイランの石油産業プロジェクトへの参加を呼びかけたという。同公社の専務理事によれば、目下、アメリカではイラン制裁法によって2000万ドルを越えるイランのエネルギー部門への投資は禁止されているが、こうした呼びかけによってアメリカの政治家の考え方が変わるかもしれないからだという。 
 
 また、26日のハムシャフリーは、イギリスの日刊紙ガーディアンが暴露した、包括案へのイランの回答内容を一部引用して報じた。それによると、イランは回答の中で、アメリカによる一部の主要な制裁の解除と、アメリカがイランの現体制の変更を追及しないという確約を求めているという。そして、こうした要求が実現されるならば、ウラン濃縮作業の停止もあり得るという。 
 
 イランの回答がガーディアンの報じた通りであるならば、イラン政府は核問題の解決とともに、対米関係も一気に解決してしまおうという魂胆なのだろうか。逆境をチャンスに変える見事な綱渡りと言える。今後のアメリカの対応に注目したい。 
 
*大村さんのこれまでの「イラン便り」は下記に掲載されています。 
http://www.mekong-publishing.com 


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