2006年12月17日15時25分掲載  無料記事
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ビルマの民主化支援は日本国憲法の実践 ビルマ市民フォーラム10周年集会

  ビルマ(ミャンマー)の民主化運動を支援するため日本人と在日ビルマ人がつくった市民組織「ビルマ市民フォーラム」(PFB)の設立10周年集会が16日、東京・池袋のECOとしまで開かれた。タイ・ビルマ国境でビルマ人難民への医療活動をつづけているビルマ人女医、シンシアマウンさんは「ビルマの人権状況の改善のため、日本での活動を期待している」と述べた。PFBの永井浩代表は、「ビルマの民主化支援は日本国憲法の理念の実践である」とあいさつ、在日ビルマ人たちが一日も早く祖国に帰れるようこれからも力をあわせよう、と訴えた。(ベリタ通信) 
 
▽スーチーさんからのメッセージ 
 
 PFBが発足したのは1996年12月。100人以上の日本人と在日ビルマが集まった会場には、ビルマの民主化運動指導者アウンサンスーチーさんからのメッセージも届いた。スーチーさんはフォーラムの設立を祝して、次のように述べていた。 
 「正義と自由への道が短かく平坦だということは、まずありえません。この道を歩んでいくのに、わたしたちは巨大な勇気と忍耐力を蓄える必要があります。この険しい道のりでわたしたちを力づけてくれるのは、国籍や人種・民族、信条にかかわりなく、人が生まれながらに有する人権の尊さを認識している世界中の人びとの精神的、実質的な支援です」 
 
 スーチーさんはこの前年の95年7月に、軍事政権による6年間におよぶ自宅軟禁から解放され、政治活動を再開しはじめていた。首都ヤンゴンの自宅前で毎週開かれる市民との対話集会に集まる人びとは、回を重ねるごとに増えていった。彼女は軍事政権に対して終始、対話をつうじた問題解決を訴えた。国際社会は軍政が民主勢力に少しでも歩み寄ることを期待した。PFBも、軍政下での民主化活動ゆえに日本に逃れてこざるをえなかったビルマ人の仲間たちが帰国できるような状況の回復を願って活動をおこなった。 
 
 ビルマで何が起きているのかをできるだけ多くの人びとに知ってもらうために、日本人研究者やビルマ人らによる講演会を定期的に開催した。テーマは民主化、人権のほかに難民支援、地雷、労働運動、少数民族、エイズ、女性など多岐にわたった。国会議員や外務省に、日本政府がビルマの民主化支援の姿勢を取るよう要請し、彼らも参加する国際セミナーを開催した。ビルマの民主化への支援を訴えて都内を何回かデモ行進したりもした。これらの活動についてメディアの取材を働きかけた。 
 
 PFB事務局長の渡辺彰吾弁護士を中心とした弁護団は、在日ビルマ人の難民認定のため手弁当で奔走した。日本の難民鎖国の門戸がすこしずつ開かれ、PFB発足当時はゼロだったビルマ人の難民認定数は2006年現在で計117名となった。ビルマ人に日本への理解を深めてもらうために、日本語教室や、労働運動や日本国憲法を学ぶ勉強会も開かれるようになった。 
 
 昨年6月、三度目の軟禁下で60歳の誕生日を迎えたスーチーさんを励ますため、世界各国の市民団体と足並みをそろえて東京で開催した記念イベントには、予想外に多くの著名人らがメッセージを寄せてくれ、定員400名の会場に入りきれないほどの人びとがかけつけた。この問題をまだ忘れていない日本人が少なくないことが確認された。 
 
 しかし、ビルマの民主化を願う世界中の人々の期待はことごとく裏切られつづけてきた。 スーチーさんはこの間、さらに二回も自宅軟禁に置かれ現在も三度目の軟禁がつづいている。彼女の率いる国民民主連盟(NLD)への軍政の弾圧はきびしさを増し、くわえて軍政の迫害を逃れてタイ国境にやってくる少数民族の難民は増加の一途をたどっている。 
 
 軍政は欧米諸国のみならず、東南アジア諸国連盟(ASEAN)の仲間の国々からの民主化要求にも耳を貸そうとしない。業を煮やした国連安保理はついに今年9月から、ビルマの民主化問題を正式議題として協議を開始し、年内にも安保理決議案を提示する姿勢を示している。 
 
 このような状況のなかで、PFBのメンバーをとくに失望させたのは、日本政府の態度だった。ビルマ問題の解決に努力する国際社会のなかで日本は突出した無知と鈍感さを露呈しつづけたからである。日本は民主主義国であるにもかかわらず、民主化運動を理由に軍政に迫害されて日本に逃れてきたビルマ人たちへの難民認定には及び腰だった。最近も、ビルマ問題の国連安保理での議題化に最後まで反対姿勢を崩そうとしなかった。 
 
▽「わたしたち」のための民主化支援 
 
 PFBの10周年集会には約100人の日本人とビルマ人が集まり、これまでの活動を記録した映像や在日ビルマ人によるビルマ舞踊を鑑賞しながら、これからの活動について意見交換した。 
 
 タイから駆けつけてくれたシンシアマウンさんは、ラングーン大学の医学生だった1988年に民主化運動に参加し、その後軍政の弾圧を逃れてタイ国境にたどりついた。同国境地帯には、彼女の出身民族であるカレンなど約15万人が難民生活をしいられている。彼女はタイ領内のメーソットにメータオ・クリニックを開設し、国際社会などからの支援を受けてビルマ難民に無償の医療活動をつづけている。 
 
 シンシアマウンさんは、この日都内のべつの集会でアジア各地で人権のために戦っている各国市民と意見交換をしてきたところだと述べ、「人権を奪われているのはビルマの人々だけではない。ラオス、カンボジア、アフガニスタンでも多くの人々、とくに女性と子供が人権侵害に苦しんでいる」と報告した。そしてこのような状況を改善していくためには、アジア各国の市民同士の協力が不可欠だとし、「ビルマの民主化のために日本人とビルマ人が協力していくPFBの活動がさらに発展していってほしい」と期待を表明した。 
 
 PFBの永井代表は、PFBが10年もつづいていることはビルマの民主化がいまだに達成されていない証であり、一日も早くその活動が停止しビルマ人たちが民主化の実現した祖国に戻れるようにするためにさらに多くの人びととの協力の輪を広げる努力を粘り強くつづけていこう、と呼びかけた。 
 
 同代表は、日本国憲法が前文で、「われらは、平和を維持し、専制と隷属、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存することを確認する」とうたっていることを指摘、「わたしたちがビルマの人びとが置かれている専制と隷属、恐怖と欠乏の除去に努めることは、わたしたちが国際社会で名誉ある地位を獲得するための責務である」と述べた。 
 
 また、ビルマの民主化運動をつらぬく最大の特長は、非暴力による抵抗の精神である。これが評価されて、アウンサンスーチーさんは1991年にノーベル平和賞を授与された。 
 
 永井氏は、「この姿勢は、武力による国際紛争の解決を放棄した日本国憲法9条と共鳴しないだろうか。ますます暴力による問題解決の風潮が強まる現在の国際社会において、これこそわたしたちが世界に向かって強く発信しなければならないメッセージであろう。つまり、ビルマの民主化への支援をつうじて、わたしたちは日本国憲法を世界の人びとの共有財産とすることも不可能ではない。ビルマの民主化への支援は『かれら』のためではなく『わたしたち』のためでもある」と訴えた。 


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