2007年01月02日11時24分掲載  無料記事
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リバーベンド日記

アメリカの当初からの計画通りイラクは粉々になった

  また一年が過ぎ去っていく・・・ 
 
 こんなことがあれば、自分の国が深刻な問題に見舞われているとわかる。たとえば・・・ 
1.国連が無秩序と流血状態をただ見守るだけの特別な部門「国際連合イラク支援ミッション(UNAMII)」を設置しなければならないとき。 
2.上記の部門が自分の国の指揮で運営されていない。 
3.このひどい状態に国を追いやった政治家たちは、もはや国境の内にも国境近辺にもいなくなっている。 
4.米国とイランの一致できる唯ひとつの意見が、この国の状態が悪化しているということ。 
5.8年戦争(注:イラン・イラク戦争)と13年間の経済封鎖がこの国の「黄金時代」のように思えてくる。 
6.国は1日に2百万バレルの油を「売っている」らしいのだけれど、発電機のためのガソリンを買うために闇市で4時間も立ち行列して待っている。 
7.5時間ごとに1時間だけ電気がつくっていう状況なのに、さらに政府はそれさえ切り詰めると通告している。 
8.戦争を支持していた政治家たちはテレビ討論で、これは「宗派抗争」か「内戦」なのかということに時間を空費している。 
9.2週間行方不明であった親類の遺体の身元確認が実際にもしできるなら運が良いと人々は考えている。 
 
 平均的イラク人の1日の生活は、遺体の身元確認や、自動車爆弾を避けることや、監禁されたり、追放されたり、誘拐されたりしている彼らの家族たちを探すことだけに明け暮れている。 
 
 2006年は、はっきり言ってこれまでで最悪の年だった。間違いないわ。このすさまじい戦争と占領は、目下この国を全力で叩きのめしている。ここに大きな固く乾いた地面があって、それを粉々にするようなことを想像してみて。地面を穿つ最初のくさびの役割を果たすのがミサイルや最新の軍事技術で、これらが経済基盤を破壊することによって最初の裂け目ができる。次に幾つかもっと小さなくさびとして働くのが、チャラビやアル=ハキーム、タラバーニー、パチャチ、アラウィー、そしてマーリキーなどの政治家たち。裂け目は徐々に数を増し、固かった地面を横切って伸び、沢山の骸骨の手のように地面の端に向かって伸びていく。圧力をかけ、あらゆる方角から囲んで押したり引いたりすると、ゆっくりと、しかし確実に、あちこちで大小のかけらとなってバラバラになり始める。 
 
 それがいまのイラクよ。アメリカ人たちはとてもうまく粉々にしたわ。それがはなっからの計画だったんだと、ほとんど誰もがこの一年で確信するようになった。彼らには、単なる失敗だったというには、あまりに失敗が多すぎた。「間違い」で済ませるにはあまりに凄まじい破壊だった。ブッシュ政権が選んで支持し登用した人たちは、誰の目にも明らかにひどかった−詐欺師で横領チャラビから、テロリストのジャファリ、私兵を率いたマーリキーまで。イラク軍を解体したり、憲法を廃止したり、そして私兵集団にイラクの警備を任せるなどと決めたことはあまりに不利なことで、これを意図的と言わずしてなんと言うのだろうか。 
 
 今の疑問は、でも何故?ということ。この数日間わたしは自問自答してきた。イラクをここまで痛めつけて一体アメリカは何を得るというのか? この戦争と占領は大量破壊兵器だとかサッダームが現実的な恐怖であったからだとかいまだに信じているのは錯乱したばか者たちだけに違いない。 
 
 アル=カーイダ? 笑わせるわ。オサーマが遠くアフガニスタンの山々の中の10ものテロリストキャンプで育成できただろうテロリストたちより、もっと多くの者たちをブッシュはこの4年間で効果的に生み出したわ。わたしたちのところの子どもたちは、今では「狙撃兵」や「聖戦戦士」ごっこをしてアメリカ兵の眉間を撃ったり軍用ジープを転覆させて遊んでいるもの。 
 
 この年は特に転換点だった。ほとんどのイラク人が多くのものを失った。本当に多くのものを。この戦争と占領によって私達が喪失したものを言い表すことなんて不可能だわ。毎日40体ほどの、切断され腐敗した様々な状態の遺体が見つかっていると知っていることから湧き上がってくる気持ちを言い表せる言葉なんてありはしない。イラク人ひとりひとりに覆いかぶさっている恐怖の黒く厚い雲を埋め合わせてくれるものなんてありはしない。手に負えなく怖しいものは、名前が「スンニ的」か「シーア的」かなんて馬鹿げたことで区別されること。もっと恐ろしいもの―戦車に乗ったアメリカ兵、地域をパトロールする黒いバンダナに緑の旗を持った警察、検問の黒い覆面をしたイラク軍兵士。 
 
 もう一度、自らに問いかえさざるを得ないのだけど、なぜこのようなことすべてが起こったのか?修復できないほどにイラクを破壊した理由は何だったのか?イランだけが得をしたように見える。イラクでのイランの存在はとても確固としたものになっていて、聖職者やアヤトラを表立って批判しようものならそれは自殺行為だ。状況はもはやアメリカの力を超えて、修復不可能なところまで行ってしまったのだろうか?それともこれは最初からの計画の一部? 考えるだけて頭が痛くなってしまうわ。 
 
 今一番わからないのは、なぜ火に油を注ぐようなことをするのかということ。スンニとシーア穏健派は南部の大きな都市や首都から追い出されつつある。バグダードはシーアが立ち去ったスンニ地域と、スンニが立ち去ったシーア地域とに引き裂かれていっている−ある地域は脅迫のもとで、またある地域は襲撃の恐怖のうちに。人々は検問で大っぴらに銃撃されたり、ゆきずりの車から撃たれて殺されていっている...多くの大学では授業を中止した。何千人ものイラク人たちはもはや子供たちを学校にやってはいない―安全ではないからだ。 
 
 なぜ今サッダームの処刑を主張して事態を悪化させるのか?サッダームを絞首刑にして誰が得をするのか? イランよね、当然。だけど他には誰?この処刑がイラクを打ち砕く最後の一撃になるのではないかと私は本当に怖い。あるスンニとシーアの部族は、もしサッダームが処刑されたら、アメリカ人に対して仲間を武装させるぞと脅した。一般的にはイラク人たちは次に何が起こるか注意深く見守っていて、最悪に対して黙って準備している。 
 
 サッダームはもはや統治者でもなければ何者でもないというのに、やはり今だからやるのだ。アメリカの執拗な戦術的プロパガンダによって、サッダームはいまや全スンニアラブ人の代表となっている(彼の政権の殆どがシーアだったことは無視して)。アメリカ人たちは、演説やニュース記事そしてイラクの操り人形たちを通じて、彼が占領に対するスンニアラブ人の抵抗勢力を象徴していると主張してきた。基本的には、この処刑によって、アメリカ人たちが言っていることは「見よ、スンニアラブ人たちよ。これがおまえたちの首領(おかしら)だ。すっかりわかっているぞ。我々は彼を絞首刑にする。おまえらの運命も同じだ。」とこういうことだ。間違えないで欲しい。この裁判と判決、そして処刑は100%アメリカのものだということを。何人かの登場人物たちはまあイラク人だけれども、制作、監督、編集は正真正銘のハリウッドよ(安物のね、いっとくけど)。 
 
 だからこそ、もちろん、タラバーニーは死刑判決に署名したくなかった―ならず者が突然改心したわけでもなく、絞首刑にした責任をとりたくなかっただけのことよ―署名しても、はるか遠くまで逃げおおすことなどできないだろうから。 
 
 マーリキー政権は喜びを隠し切れなかった。彼らは実際の法廷に先んじて処刑承認を発表した。数日前の晩のことだけど、あるアメリカのニュース番組がマーリキーの事務局長であるバシーム・アル=ハッサーニーにインタビューしていた。彼はアメリカ英語訛りで来るべき処刑のことをカーニバルに参加するような口調で喋っていた。彼は品がなく、とんでもないばか面で座り、彼の会話は「'gonna', 'gotta' and 'wanna'」(注:アメリカ英語で通俗的な発音の仕方)..で散りばめられていた。つきあってるのがアメリカ兵たちばかりだと往々にしてこうなるのよね。 
 
 ただ一つ確実に言えることは、アメリカ人たちはイラクから撤退したがっているのだけれど、本格的な内戦にしてから出たいのだろうということ、なぜなら、もし撤退して状況が実際に良くなってきたりしたらかっこ悪いから、違う? 
 
 ここ2006年の終わりにきてわたしは悲しい。国の状況のためだけに悲しいのではなく、私たちのイラク人としての人間性の状態のために。わたしたちはみんな、4年前に私たちが誇りにしてきた思いやりや礼節を失ってきている。わたし自身を例にとってみると、4年ほど前には、アメリカ兵の死を聞くたびに身を縮める思いをしていたものだった。彼らは占領者ではあるけれど、彼らもまた人間で、彼らがわたしの国で殺されていっていることを思うと眠れぬ夜を過ごしていた。彼らは海を越えてこの国を攻撃しに来たのだから気にすることはないのだけど、実際に同情していたのだ。 
 
 わたし自身のこういった気持ちをまさにこのブログに書きつづっていなかったならば、かつてわたしがそんな気持ちでいたことがあったなんて信じられなかっただろうと思う。今では、かれらは単なる数字でしかない。この4年近くの間に3000人のアメリカ人が死んだ? 本当? それはイラク人の1ヵ月の死者数にも満たないじゃない。アメリカ人には家族がいた?それはお気の毒さま。わたしたちもおんなじよ。道端の遺体や遺体安置所で身元確認を待っている遺体たちもね。 
 
 今日アンバールで死んだアメリカ兵の命はわたしの従兄弟の命よりもっと大切だって言うの? わたしはそうは思わないわ。従兄弟は6年もの間思い続けてきた女性と婚約したまさに先月のその夜に撃ち殺されたのよ。 
 
 アメリカ人の死者数の方が少ないからといって、アメリカ人の死の方がより重要だってことにはならないわよ。 
 
午後1時 リバー 
(翻訳:リバーベンド・プロジェクト/ヤスミン植月千春) 
 
*このブログは、2006年12月29日、サッダーム処刑直前に書かれた。 
(この記事は、TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです) 
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