2007年03月22日18時37分掲載  無料記事
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なぜ日本人に反捕鯨の声が届かないのか 背景に言語問題 

  2月15日に起きた捕鯨母船日新丸での火災により水産庁はその後、南氷洋での調査捕鯨中止を決定した。南氷洋に近い反捕鯨国であるオーストラリアやニュージーランドにとり捕鯨中止は歓迎されているが、日本人船員の死亡の事実もあり、喜ぶべきニュースではない。また日本が捕鯨に関する考えを根本的に改めたわけではなく、来夏になると再び日本の捕鯨船団が南氷洋にやって来ることは確実だ。多くのオーストラリア人やニュージーランド人は、なぜわれわれの強い反捕鯨のスタンスにも関わらず、日本は南氷洋に捕鯨にやって来るのだろうか、と首を傾げている。捕鯨問題をめぐってオーストラリア、ニュージーランドの各紙に英文で寄稿した筆者の記事の要旨を日本語でも紹介する。(アデレード=木村哲郎ティーグ) 
 
■「なぜ日本人は反捕鯨の声が届かないのか」 
 
 捕鯨問題を理解するには、日本の戦後の歴史と、日本の言語及びコミュニケーションの問題に注目すべきだ。 
 
 日本の戦後の復興は「奇跡」であり、現在の歴史教科書本にもそう記載されている。日本人の勤労精神と、米軍による東アジアでの(戦争遂行に伴う)特需などがその要因としてあげられるが、捕鯨も復興に貢献していた。 
 
 元軍船を利用した捕鯨は食糧難の時代に空腹の日本人の腹も満たしていた。多くの日本人(特に戦後を生きた世代)が、鯨肉に郷愁的な感情を持っているのもこのためだろう。日本はかつて敵国であった米国の物質的な豊かさを求め追いかけ、世界第2の経済国家にまで成長した。多くの日本人はこのことを誇りにしておりが、一方で、自国を(自虐的に)米国51番目の州だと形容する日本人もいる。カナダ人よりも自らが米国人に近いと思っている日本人もいるようだ。ただ、米国と日本を隔てる大きな壁がある。それが「英語」だ。 
 
 
▼英語が使われていない日本の現状 
 
 好む好まないに関わらず、英語は世界各地でのコミュニケーションに使われる「地球語」になりつつある。しかし日本では、例え外国人との会話が必要な状況でも、平均的な日本人は英語を使わない。英語を話せる人の数は、人口比率に対し先進国で最低。英語人口が少ないということは、「地球の情報」が入りにくいということになる。 
 
 例えばオーストラリア人やニュージーランド人は、インターネットを利用すれば、地球上のあらゆる情報を入手できる。しかし現実として、多様でさまざまな情報を集めることができるのは英語力があってこそ。平均的な日本人であれば、アクセスできるインフォメーションは限られたものになってしまう。われわれが普段利用しているワールドワイドなインターネットは日本人には利用されず、彼らが使うインターネットはドメスティックな「ニッポン・ネット」、すなわち日本語によるサイトだ。 
 
 もちろん日本人も翻訳された情報を入手することはできる。しかし外国語の日本語への翻訳は大変難しく、日本語へ翻訳する際には「ジャパナイゼーション」され、日本人一般に分かりやすいように翻訳される現実がある。 
 
 このような「ジャパナイゼーション」は毎日、日本の至る所で行われている。大多数の日本人は、パリス・ヒルトンから国際政治までのありとあらゆる国外情報を日本語のみで入手している。しかし多くは「ジャパナイゼーション」された情報だ。つまりグローバルな情報であっても、日本人が知る情報はすでに日本化されているのだ。 
 
 
▼物事の多角性を知ることの出来ない単一的な日本の社会 
 
 日本人に見られるコミュニケーション力に関するもう一つの問題は、オーストラリア人やニュージーランド人に比べ、日本人は多角的な見地から物事を判断する能力が乏しいことだ。多文化主義のオーストラリアやニュージーランドと違い、日本は単一民族に近い。そのため日常で「人々の差異」を感じることが少ない。 
 
 日本人は意見の共有を期待して行動することが通常で、これにより日本では討論が不可欠なアイテムではなく、事実、学校のカリキュラムにはこれがほとんど存在しない。多くの日本人留学生がオーストラリアやニュージーランドの大学で初めて、多角的論理的に物事を判断する「批判的思考法」を知るのはこのためだ。 
 
 このような環境にいる日本人が、反捕鯨側の視点に関心を払わない傾向にあることを説明するのは、難しいことではない。オーストラリアやニュージーランドで連日連夜報道されることもある南氷洋での日本の捕鯨をめぐる問題への日本側の関心は相対的に低い。日本の水産庁は日本人向けに反捕鯨運動の状況をめぐる説明を行う必要がなく、大多数の日本人は捕鯨関係への事実を深く知らないまま捕鯨を支持している。 
 
 残念ながら、日本人がこのような悪循環から抜け出し、日本とは異なる考えや価値に気づくことはないだろう。日本は先進国であり、経済的にも技術的にも世界の最先端。途上国のように他国の価値を受け入れながら発展していく必要はない。 
 
 また英語が話せることで大きく得をすることがないことからも(途上国では英語が話せると給料の桁が変わることがある)、実際に今後、英語力を身に付ける日本人が飛躍的に増えることもないだろう。オーストラリア人やニュージーランド人の多くが習得が難しい日本語を身に付けることと同じくらいにあり得ないことだ。 
 
 われわれオーストラリア人やニュージーランド人は心から捕鯨に反対している。捕鯨問題を即刻に解決させる方法はないのかもしれないが、言語問題やコミュニケーション問題を解決するカギはあるはず。だがわれわれは、問題の根源にある言語問題やコミュニケーション問題に対し、最低限の努力しか行っていない。 
 
*同趣旨の原稿は、3月12日にニュージランド・ヘラルド紙(オークランド)で、13日にプレス紙(クライストチャーチ)で、16日にアドバタイザー紙(アデレード)に掲載された。筆者はオーストラリア国籍。 
 
*英文 Why Japan is deaf to whaling protests (The New Zealand Herald) 
http://www.nzherald.co.nz/section/2/story.cfm?c_id=2&objectid=10428234 


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