2007年04月03日14時43分掲載  無料記事
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根津教諭の「君が代」拒否

<停職6ヶ月「出勤」日記・1>自己紹介文の手渡しを「やめてほしい」と副校長 

  根津公子教諭(八王子市大沢学園養護学校)は、今年も新学期に教壇に立つことができなかった。今年の卒業式で「君が代」を拒否したとして、東京都教育委員会から停職6ヶ月の処分を受けたからだ。新学期が始まる4月2日、これまで2度の停職処分のときと同じように、新しい勤務校の校門の前まで「出勤」し、校内に向かう職員に自己紹介の手紙を渡そうとした。以下はその初日の報告である。(ベリタ通信) 
 
停職6ヶ月「出勤」初日の報告です。 
 
根津公子 
 
4月2日(月) 
 
朝、真っ先に外に出てみた。夜中の雨はほとんど上がり、時折霧雨が降る程度。まずはほっとした。今日は、大沢学園養護学校に「初出勤」。 
 
30日に校長面接に行った折、「2日に行われる職員紹介で私を紹介してほしい。自己紹介もさせてほしい」と校長にお願いしたけれど、「都教委に訊かなければわからない」とのことだった。この日帰宅すると、「参加はできないことを都教委と確認した」との返事がファックスで入っていた。 
 
でも、このままでは6ヶ月間、私は“ユウレイ”にされてしまう。いやだ。あれこれ考えて、出勤する職員に手紙を手渡そう、と決めた。 
 
 7時40分、校門前着。友人2人が同行してくれた。「おはようございます。今日からここの職員になりました根津と申します。『君が代』で停職6ヶ月の・・・」と自己紹介し、一人ひとりに手紙を手渡した。あるいは手渡そうとした。 
 
「新聞で見ました。がんばってください」「私たちの代表でやってくださっていて、と思っています。ありがとうございます」「来られたこと、友人から聞いています」などと言ってくださる方もいて、一人じゃない、とうれしかった。でもやっぱり一方には、手を出してくれない人や、「中に入るようになってからいただきます」という人も。まあ、これが社会だけれど。 
 
手渡し始めてまもなく、2人の副校長が、「止めてほしい」と言いに来た。学校管理者側の「職務」を意識して来たのだろうか。その割には、2人は、あっさりとしたもので、すぐに中に入ってしまった。 
 
今日は、短時間で「退勤」した。 
 
以下は手渡した手紙。 
 
南大沢学園養護学校教職員の皆さま 
 
4月1日付でこの学校に異動になった根津公子と申します。31日付新聞報道でご存じかと思いますが、今年もこの3月の卒業式の際の「君が代」不起立・不伴奏で35名の教職員が懲戒処分を受けました。私は、停職6ヶ月に処され、ここの職員になったにもかかわらず、中に入ることができません。自己紹介だけでもさせてほしいと校長にお願いしたのですが、「都教委との確認」で承諾できないとのご返事でした。 
 
そこで、紙面をもって自己紹介等させていただきたいと思います。どうぞ、最後までお読みくださいますよう、お願い申し上げます。そして、1年間どうぞよろしくお願いいたします。 
 
◇◇◇    ◇◇◇     ◇◇◇ 
 
 1950年生まれの56歳。担当教科は家庭科です。新任校は江東区立大島中学校でしたが、第一子の喘息で八王子に転居。喘息が軽減するまでの数年間市内の小学校に、その後は同じ市内の中学校2校に10年ずつ在職し、担当教科の授業づくりだけでなく、学年職員集団で平和教育等に情熱を注いできました。とっても楽しい日々でした。 
 
 2000年に八王子から多摩に、2003年以降は、調布、立川、町田の各中学校に1〜2年での異動を強行されてきました。 
 
 ですから、養護学校の経験は全くありませんし、知識もありません。皆さんから教えていただくことばかりだと思います。よろしくお願いします。 
 
 ところで、停職6ヶ月の先はもう猶予はなく、次は免職です。ですから、1年後の卒業式で、校長が起立を求める職務命令を出さない決断をしてくれない限り、私は免職にされます。免職覚悟で、おかしいことにはおかしいと言い、行動していくつもりです。 
 
私は「君が代」が国民主権の憲法に抵触し、歴史的清算も終わっていないと考えます。しかし、だから起立しないのではありません。「君が代」に限らず、強制に反対なのです。 
 
私は生徒たちに、こう話してきました。「ここにいる人におまんじゅうをあげる、と言われたら喜んでもらう。でも、全員が食べることを強制されたら、私は食べたくても絶対に食べない。食べたくない人の権利を侵害することになるから。君が代に反対するのも同じ理由です」と。 
 
強制の行き着く先は、自由と民主主義が奪われた社会、ファシズムです。70年前に日本の歩んだ道を想起すれば、これを良しとする人はいないでしょう。大きく前提として、このことがあります。 
 
加えて、都教委が進める「日の丸・君が代」は教育行為に反し、教育を破壊することだと考えます。知識や資料をもとに考え合うのが教育です。「日の丸・君が代」について生徒が考え意見形成できる資料も機会も提供せずに、起立・斉唱を指示することは、調教に他なりません。子どもたちを戦争に駆り立てた戦前の軍国主義教育と同じです。 
 
また不服従の教員を処分することで徹底させるこの強制の仕方は、生徒たちに「命令には考えずに従え」「長いものには巻かれよ」と教えるようなものです。子どもたちを時の政権担当者の好みの色に染め上げることは許されないことです。 
 
私は生徒たちが自分の頭で考え判断できる人に、「真理と平和を希求する」(改定前の教育基本法)人になってほしいと願い、仕事に当たってきたつもりです。ですから、私はこうした都教委に加担はできません。 
 
さて、養護学校の子どもたちとの接触がなかった私がここで養護学校と「日の丸・君が代」、あるいは「君が代」について申し述べるのはおこがましいことですが、誰を対象としても、教育の条理に違いはないと思います。強制で縛るのではなく、自分の気持ちを出し合い、考え合い、尊重し合ってともに進んでいくことが、大事だと思います。 
 
とりわけて知的障がいや学歴に対する偏見・差別が根強く残る日本社会において、ここに通う子どもたちが、自己に誇りを持ち、正当に自己を主張し表現して生きていくことを学び取ってほしいと思います。そのとき、「君が代」の強制は子どもたちの学びを妨げるものになるはずです。 
 
東京の教職員で、都教委の「君が代」強制・処分に賛成する人はほとんどいないだろうと思います。校長たちも賛成ばかりではないようです。 
 
私は2年前の卒業式での体験で、もう自分に嘘をつくのはやめよう。おかしいことにはおかしいと言っていこうと決めました。治安維持法下では、生命の危険に晒されましたが、今はまだ生命の危険はないですし、56歳の私には養育義務も家庭責任もありません。懲戒免職になっても何とか生きてはいけます。だから、大して迷うことなく、この決断ができたのだと思います。将来があり、家庭責任がある若い人たちの分も声をあげたいと思っています。 
 
停職期間中、私は不当処分に納得していませんし、仕事をする意思が十分ありますので、「君が代」処分を受けた当時の学校(立川、町田)、そして今日から着任するはずだったここに、順繰りに校門前まで「出勤」します。また、都教委には抗議に行きます。 
 
皆さま、どうぞご理解ください。声をかけてくだるとうれしいです。 
 
2007年4月2日 
 
根津公子 


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