2007年04月25日00時24分掲載  無料記事
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ガザ地区の無法状態が背景に BBCジョンストン記者の誘拐事件 オーエン・マレー

openDemocracy  【openDemocracy特約】BBCのアラン・ジョンストン記者が誘拐されて4月23日で6週間がたつ。その6週間の間に、いくつかの異例な出来事が起きた。特に、BBCの同僚のひとりが言ったように、アランはニュースを報道するのではなく、そのの一部になった。 
 
 アランを解放するキャンペーンは包括的で国境を超えている。3月29日、サウジアラビアのサウド・ファイサル外相は彼の解放を求めた。4月2日、占領されたパレスチナ領内の怒ったジャーナリストたちは、アランが解放されるまでパレスチナ政府のニュースのカバーを拒否する、自主的な報道禁止令(gagging-order)を組織した。4月12日、BBC、アルジャジーラ、スカイニュースは前例のない同時放送をドーハ、ロンドン、ラマラから行った。 
 
 デモ、宗派を超えた礼拝、連帯の徹夜の祈りがロンドン、ガザ、ベイルート、ダブリンで行われた。パレスチナ囚人を代表すると称するグループがアランを殺害したとする声明を出した後の4月17日、「イスラエルの刑務所にいるパレスチナとアラブの囚人の母親と家族」というガザの組織は誘拐を「パレスチナの大義に反する」ものだと述べた。この声明が出された後、ファタ派のマルワン・バルグーティとハマスのシェイク・ハサン・ユセフを含むパレスチナの囚人からアランの誘拐を非難する声が相次いだ。 
 
 多分、最も驚くべき出来事は、英国のエルサレム総領事リチャード・メイクピースが欧州連合が行っている交渉拒否の方針を破って、パレスチナのイスマイル・ハニヤ首相と会ったことである。 
 
 アランの解放を求めるネット上のキャンペーンも始まった。4つ以上のネット上のキャンペーンや請願が彼の解放を求めて、立ち上げられた。BBCによる創造力に富むキャンペーンのおかげで、彼に関する記事はブログ界で次々と広まっている。 
 
 あるサイトで、BBC海外編集長のジョン・シンプソンは「拘束されたジャーナリストのために、これほどまでの支援が寄せられたのは見たことがない・・・こうしたことは、あなたがいないことをどれほどさびしく思っているかを示している」と述べている。 
 
 アランを解放するためのガザの中と世界中から起きているキャンペーンの幅の広さと深さは、どんな重要な政治的関心事とは違って、人間としての彼自身を象徴している。誘拐されるまで、彼はガザに住み、報道するただひとりの外国人ジャーナリストであったという事実は、彼のプロフェッショナリズムを表している。そこでの彼の仕事の人間性と心遣いは、閉じ込められた領土内で生き延びようとしている普通の人々の苦境への深い同情を表していた。 
 
 アランは、彼とどんなに短い時間を過ごしたとしても、必ず人生に影響を与えるようなまれにみるすばらしい人柄の人物である。彼の話をする能力と、人間の細部を見る恐るべき観察力からして、彼がジャーナリズムを仕事として選んだのは自然の成り行きであった。 
 
 2004年初め、わたしが彼に初めて会ったときのことはよく覚えている。イスラエルの主要チェックポイントを通って、ガザに戻った。近くでの軍事侵攻に対して、女性たちの大きなデモの一団に出くわした。イスラエルのタンクがデモにすぐに近づいてきた。わたしの乗っていたタクシーの運転手は戻ってこなかった。大きな紛争場面の真ん中に巻き込まれて、逃げ道がなくなってしまった。 
 
 アランがわたしを見つけたのは、デモを取材していて、武装ジープで現場を離れようとしていた時であった。彼は引き返してきて、わたしを乗せた。われわれは混乱から逃げ出した。その後数年間の間で、われわれは親友になった。 
 
 アランとわたしはしばしば、誘拐される危険について夜まで語りあった。誘拐されるときは道ずれで、ずっと一緒にいようと決めた。これは、こうした状況で働く時に発達させなければならない奇妙なユーモアの一片である。 
 
 同時に、この会話のテーマは、アランの解放のためのキャンペーンが十分前進していない理由を説明するかもしれない。ガザの「人権のためのパレスチナ・センター」は、過去数年間、数百の小さいが重大な基本法と秩序への違反を見てきた。その多くは、小型武器の拡散と関係している。ほとんどの場合、訴追はされず、正義はほとんど実行されていない。 
 
 ガザの無法性がもとで、政治権力が合法的な権力の源泉から暴力に基づいた権力の源泉へと移行している。一時期、パレスチナの派閥が街頭を支配した。現在では、軍閥がしばしば国家の大義を口実に、ほとんど常に暴力の行使ないし脅迫で、非常に大きな影響力を集めている。 
 
 政府高官と深いつながりのある、ガザの犯罪者の一族などが、アランの誘拐の背後にいるといわれている。しかしながら、ガザ地区での現在の政治的混乱と暗黒さとは、何が起きているのか確認するのが事実上、不可能であることを意味する。 
 
 アラン・ジョンストンの解放は、彼の家族、友人、同僚の最も重要な優先課題になっている。解放された後、将来、同様な事件を防ぐためには、ガザ地区での法の支配の回復が絶対必要である。これは、パレスチナ人(アラン・ジョンストンはプロとして彼らの苦境を報じてきた)の真の利益になるであろう。 
 
*オーエン・マレー アイルランドのチャリティ・開発団体、Tro'caireに勤める。ガザで以前、人権NGO、Front Lineのレポーターとして働く。ロンドンのキングズ大学で戦争学を修士終了。サンデー・タイムズ紙、イスラム・オンライン、エレクトロニック・インティファーダに執筆。 
 
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 
原文 
http://www.opendemocracy.net/conflict-debate_97/alan_johnston_4552.jsp# 
 
(翻訳 鳥居英晴) 
 
参考サイト 
Alan Johnston petition 
http://www.petitiononline.com/freealan/petition.html 
 
BBC Alan Johnston blog 
http://www.bbc.co.uk/blogs/theeditors/2007/04/how_you_can_help.html 
 
Palestinian Centre for Human Rights 
http://www.pchrgaza.ps/about_pchr.htm 


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