2007年04月30日16時50分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200704301650281

根津教諭の「君が代」拒否

<停職6ヶ月「出勤」日記・5>35年前は日の丸への抗議は「不当でない」との判決

4月25日(水) 
 
 南大沢学園に。雨。今朝も出勤してきた校長は私に、「O校長です。できれば、これをやめていただきたいのですが」と言う。「その法的根拠を示してからおっしゃってくださいと、前から申し上げていますでしょう」と返事をするが、校長は何も言わずに中に入っていってしまった。今朝は3人の副校長のいずれも、私の横に立たなかった。 
 
 登校してくる生徒たちに挨拶をしていると、何と懐かしい顔がある。立川二中の卒業生。お互いにすぐにわかって、再会を喜んだ。保護者の一人が「入学式の時は、その場では分からなくて」と声をかけてこられた。私が配った自己紹介の手紙を読まれて、声をかけてくださったのだ。「6ヵ月後にいらっしゃるのを楽しみにしています。がんばってください。応援しています」と。じっくりプラカードを読んで会釈をされる保護者もいらしたりする。同僚となるはずの人たちからも友好的な感触を受ける。 
 
 先週、経営企画室の担当者に尋ねたことへの返事を聞きに行った。ところが返事は、「上司の命令」により校地外ですると言う。驚いて聞き返したが、埒が明かないので仕方なく言われるままに門の外に出た。すると何と、担当者は校長同伴で出てきて、メモを私に渡した。私は、経営企画室の職務範囲のことなのに、校舎内で対応はしないというのはどういうことかと校長に質した。校長曰く、「私の判断です」「停職中だからです」「ここにいられるのは迷惑だ。やめてほしい、と言いましたよね」。会話にならなかった。 
 
 「根津を校地に入れるな」と、校長は都教委にきつく言われているのだろうけれど、良質の判断というものがあってもいいんじゃないか。対面した人とのやり取りで、臨機応変、その場の判断が必要となることはないのだろうか?これは、停職である私に対してだけのことではなく、職員に対しても、生徒たちに対してもだ。この一件も、上意下達で縛られた今の東京の学校が、思考停止の人間を生み出している一例だ。 
 
 先週ほどではないけれど、たくさん着こんでもやっぱり寒い。隣の喫茶室で、友人の持ってきてくれた昼食を食べ、体を温めた。 
 
 下校する生徒たちを見送り終わるともう4時。 
 
4月26日(木) 
 
 鶴川二中へ。久しぶりの晴天。 
 
 先週満開だった八重桜は、このところの低温でまだかなりその状態を保っていて、目を楽しませてくれる。生徒たちの登校が終わり、その景色を楽しんでいるところに、いつものおじいさんが、私を見つけてやってこられた。「あんたはまじめだなあ」とおっしゃる。「まじめが取り柄なの」と私。 
 
 学区に住まわれる小学生のお子さんを持つAさん、次には、学校から5分の距離に引っ越していらしたBさんが訪ねてくださった。Bさんは、今までに何度か訪ねてくださって、今日初めて会えたのだとおっしゃる。私のことを気にかけてくださっていたことに感謝する。 
 
 自転車で通りかかった女性がしばらくプラカードを見ていて、声を出された。「またですね」。どう受け取ったらいいのか分からず、「どういう意味ですか?」と尋ねると否定的なことばを一言言われ、「でも受賞もされているんですよね」とおっしゃる。「新聞を見た」のだと。そして、「受賞といういいこともして、著名な人なのだから、こんなところに立っていないで、力をいいことに注いたらいいじゃないですか」とおっしゃり、私の返事は待たずに自転車のペダルをこぎ去ってしまわれた(注:受賞とは、多田謡子反権力人権賞のこと)。 
 
 処分と受賞との対比を、その中身で判断するのではなく、帯で判断するこのような人は、案外多いのかもしれない。13年前の被処分時にも八王子のある中学校で、私についてこれに類似した話がされたという。 
 
 10時半過ぎ、昨日連絡を受けた横浜の学生たち3人がいらした。社会のこと、自分の生き方をまじめに考えていることが、話をしていてびんびん伝わってくる。彼女らとは1時間ほどの約束で、午後は聴講を予定していたが、彼女らの熱意に動かされて予定を変更。そのままじっくり語り合うことにした。Bさんのご厚意を受け皆で、Bさん宅で昼食をいただいた。 
 
 校門前に戻ると、置いていったいすの上に、たんぽぽと八重桜で作った花束が置かれていた。束ね方を見て、すぐにわかった。Cさん(小学3年生)だ! とっても幸せな気持ちに包まれた。帰宅して「ありがとう!」のメールを送ると、案の定Cさんだった。1時間もお母さんと私の帰りを待ってもらって、ごめんね、Cさん。 
 
 下校時間帯に1年生の一人がプラカードをじっと見て、「うちのお母さんも、立たないって言っているよ」と話してきた。「君が代」の歌詞の解釈について、話しになった。 
 
 夕方からは、映画学校の学生3人の訪問を受けた。この学生たちもとてもまじめな、自分を持っている人たちだった。とりわけ韓国からの留学生Dさんは、私の書いたものをほとんど全て読まれたのではないかと言うほどに準備をされていた。 
 
4月27日(金) 
 
 都庁での情宣、チラシ撒き。今日は9人で。河原井さんは10人以上の方に、「がんばってください」「応援しています」と声をかけられ、あるいは、チラシに自分から手を出されたと言う。 
 
 今回のチラシは、片面が、「集団自決」から「軍強制」を削除した教科書検定について、そして今国会で先に成立ありきの教育関連3法案について。もう片面は、1972年の新聞記事から。この記事は、大阪の高校で「日の丸掲揚」に抗議した組合役員の行為が「違法、不当とはいえない」とした判決について。判決は、「校長は教職員が納得するまで話し合うべきだ」とも言っていると言う。職務命令と処分で脅す現在と、何と違うことか。この頃の感覚を皆が取り戻し、流されないようにしなくてはいけない。 
 
 11時半、都教委教育情報室の課長、係長に面会し、署名の扱われ方や他にいくつかのことについて質問を伝え、メモを渡してきた。 
 
 夜下高井戸シネマで行なわれた「君が代不起立」上映会に駆けつけた。昨日のDさんも参加されていた。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。