2007年06月09日10時57分掲載  無料記事
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憲法理念を地方行政に生かす 「足立モデル」構想の活用を  安原和雄

  東京・足立区長選(2007年6月3日投票)は私(安原)が選挙団体「足立の会」会長として支援した宮崎わかこ候補(無所属新)が対立候補の近藤弥生候補(自民・民主・公明3党の推薦)に対し、善戦及ばず、の結末となったが、勝利した場合、「足立モデル」構想を発表すべく用意していた。これは従来のマニフェストや公約とは異質で、憲法理念を地方行政に生かすことを基本に据えて、区民に約束した公約の実現をめざすものである。区長選に勝利しなかったといえ、「足立モデル」構想を捨てて、幻(まぼろし)の「足立モデル」に終わらせるのは「もったいない」ので、ここに公表する。できることなら足立区をはじめ各地域の地方行政に活用していただきたいと考える。 
 
▽「足立モデル」構想とその基本理念 
 
 「足立モデル」は本文の《「足立モデル」の構想とその実現をめざして》と構想を説明した《付属説明資料》の2本柱からなっている。その内容は以下の通り。 
 
《「足立モデル」の構想とその実現をめざして》 
 2007年6月3日 
 
1)基本理念 
日本国憲法の改悪を阻止し、憲法の以下の理念を足立区政に生かし、その実現を図る 
イ) 9条(戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認) 
ロ)13条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重) 
ハ)25条(生存権、国の生存権保障義務) 
ニ)92条(地方自治の基本原則) 
ホ)99条(公務員の憲法尊重擁護義務) 
 
2)「足立モデル」とは 
上記の憲法条項の理念を土台に据えて、それをどう生かすかを縦軸、横軸によって示す 
〈縦軸〉=いのちと平和 
〈横軸〉=自由・人権、民主主義、公正な社会、地球(自然)環境、地方自治(住民の参加・参画) 
 
3)当面の具体策 
「ナースの3大改革宣言(公約)」の実現をめざして 
(詳細は07年5月28日「安原和雄の仏教経済塾」に掲載の「宮崎わかこ候補の3大改革宣言」参照) 
イ)64万人の区民の代表をめざす 
不正や汚職を許さない 
ロ)地域密着型施設をつくる 
  駅前豪華開発から転換する 
ハ)家計の負担を軽くする 
  保育料・介護保険料・国保料の値下げをめざす 
 
 
《付属説明資料》 
 
*なぜ日本国憲法の理念を区政に生かす必要があるのか。 
 「世界の宝」とも評価される日本国憲法であるにもかかわらず、その憲法理念は軽視され、日本の現状は政治、経済、社会の分野で乱脈を極めている。 
 いのちは軽んじられ、平和であるべき日常生活は脅かされている。地方自治の面でも住民の参加・参画(自己決定権を含む)が十分に機能しているとは言い難い。地球(自然)環境の汚染・破壊が果てしなく広がりつつあり、それをどう防ぎ止めるか、国レベルの対策とは別に地域住民の緊急にして適切な行動が求められる。 
 9条を中心に憲法の改悪が行われ、戦争のできる国になれば、いのちと平和が大きな脅威にさらされ、自由・人権、民主主義、地方自治などが損なわれるだけではない。国民(地域住民)の税、保険料などの負担が増大し、社会の公正さが失われる。これに歯止めを掛けるためには憲法改悪を阻止することが地方自治体にとっても当面の緊急にして不可欠の課題となる。 
 以上のような多様な課題に対応するためには憲法理念の原点に立ち戻り、その理念を生かし、そこから地域や国レベルの変革への道を開拓していくほかない。 
 
*「足立モデル」の意味 
 足立区として憲法理念を生かし、地域改革の一つの模範をつくることをめざし、それが東京に限らず、全国へと広がっていくことを期待する。 
 
*「足立モデル」の縦軸と横軸について 
 縦軸の「いのちと平和」が目標であり、横軸(自由・人権、民主主義、地方自治など)が目標実現のための方策と位置づけれるが、それに限定されるものではない。 
 例えばいのちの尊重は、縦軸の平和のほかに、横軸の人権、地球(自然)環境などと密接な相互依存関係にある。なぜならいのちの尊重は、平和や人権が保障され、地球環境の汚染・破壊の防止によって初めて実現されるからである。 
 
*「足立モデル」を支える憲法条項について 
●9条=日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 
 �∩姐爐量榲�を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 
●13条=すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 
●25条=すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 
 ��国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 
●92条=地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。 
 
〈参考〉地方自治法2条(地方自治行政の基本原則)=地方公共団体は、その事務を処理するに当たっては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない。 
 
●99条=天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。 
 
 以上が「足立モデル」の内容であるが、ここで以下に補足的説明を加えたい。 
 
▽なぜ「足立モデル」と呼ぶのか 
 
 地方行政としての区政に新しい風を巻き起こすためには、追求すべき政策目標が魅力的な理念に支えられたものであることが望ましい。しかも最近流行のマニフェストも公約も魅力的な名称とはいいにくい。そこから登場してきたのが新しい「足立モデル」という呼称である。 
 
 私(安原)は「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」(略称・「コスタリカに学ぶ会」)の世話人のひとりとしてコスタリカの動向に注目している。その中米の小国コスタリカの国是が、�〃蛎發稜兒漾複隠坑苅糠�の憲法改正)・非武装中立と積極的平和外交、�⊃邑◆κ刃其軌蕕僚纏襦↓�自然環境保全の積極的推進―の3本柱である。私はこれを「コスタリカ・モデル」と呼んでいる。 
 
 特に注目に値するのは、日本国憲法9条(戦争放棄、非武装)が、自衛隊という名の強大な軍事力を保有することによって事実上空洞化しているのに対し、コスタリカは1949年以来一貫して非武装を貫いてきていることである。日本国憲法9条の理念をコスタリカが実践しているともいえよう。だからこそこの「コスタリカ・モデル」は今や世界の大きな関心を集めつつある。 
 そういう「コスタリカ・モデル」から日本の地域モデルとして「足立モデル」という呼称を連想したとしても不思議ではないだろう。 
 
▽なぜ憲法改悪を阻止し、憲法理念を地方行政に生かすのか 
 
 宮崎わかこ候補が区民一人ひとりとの対話の中で訴えたキーワードは、ほかならぬ「いのちと平和」である。私もこれには全面的に賛成である。対立候補との最大の相違点はこの「いのちと平和」といっても過言ではない。宮崎候補の「足立区長選挙 法定ビラ1号」(選挙団体「足立の会・安原和雄会長」発行)は両候補の特色に関する比較表の中で憲法について次のように書いた。 
 
宮崎候補=いのちと平和を大事にする愛憲派 
近藤候補=改憲を進める自民党元都議 
 
 要するに宮崎候補は「いのちと平和」のために憲法を守り、生かす愛憲派であり、対立候補は「戦争のできる国・日本」へと誘う改憲派である。改憲派は同時に新自由主義路線の推進派でもあり、改憲と新自由主義とが連結していることに着目したい。 
 
 ここでの新自由主義とはなにか。米国から導入され、1980年代の中曽根政権時代から始まり、小泉=安倍政権で本格化してきたわが国の新自由主義は、新保守主義、自由市場原理主義ともいわれる。自由化、民営化の名の下に企業利益追求至上主義と弱肉強食の競争をすすめるほか、行政改革・小さな政府による行政サービス低下、福祉削減、その一方で税・保険料などの国民(住民)負担の増大を図る、いわば「市民・庶民いじめ」の路線を指している。 
 対立候補の陣営が選挙期間中に声高く叫びつづけたのが「行政改革・小さな政府の推進」であり、一方、宮崎候補の「介護・福祉の充実」の主張に「ばらまき」という想像力、構想力ともに欠如した決まり文句を連呼しながら非難した。肝腎の「いのちと平和」については一言も語ろうとはしなかった。 
 
 こうみると、両候補の対立軸は明確であり、改憲派は「安心・安全で生きがいのある暮らし」を堀崩し、破壊することはあっても、それを実現し、保障することはできない。だからこそ憲法改悪を阻止し、現行憲法の理念を地方行政に生かすことが不可欠の課題となってくる。 
 
▽憲法9条と25条を守り、生かすことが最大の課題 
 
 「足立モデル」を支える憲法条項として9条、13条、25条、92条さらに99条を挙げているが、特に重要なのは9条(戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認)さらに25条(生存権、国の生存権保障義務)で、これらの条項を守り、生かすことが大切である。 
 前者の9条は外交、安全保障上の「いのちと平和」、後者の25条は国民の日常生活上の「いのちと平和」にそれぞれつながっている。9条と25条とは「いのちと平和」を守り、生かすために表裏一体の関係にあるととらえたい。 
 
 その含蓄は次のようである。 
9条が改悪されて、「戦争へと進む国」になれば、どういう事態が起こってくるか。 
 例えば中国や北朝鮮の脅威を口実にして、目下、日米共同作戦で急いで進めつつあるミサイル防衛(MD)システム(米国向けに発射された弾道弾ミサイルを途中の段階で撃ち落とすことをめざすもので、技術的には欠陥システムといわれる)の配備は1兆円を超える戦争ビジネス(=兵器ビジネス)でもあり、その膨大なコストは結局国民の肩へ耐え難い増税などの負担となってはね返ってくる。 
 これでは生存権が大きく損なわれるほかないだろう。9条の改悪はそのまま25条の空洞化を招くのである。 
 
 一方、25条の生存権をしっかり守り、一人ひとりが「健康で文化的な最低限度の生活を営む」こと、いいかえれば人間らしく誇りを持って生きることができれば、そのことが改憲―「戦争のできる国」を阻み、防衛費など戦争ビジネスの財源を大きく削減させ、戦争ビジネスという名の利権グループを追いつめていく。これは9条の理念を生かす道にもつながる。 
 
 限られた財源(国民の税金)を多数の国民の生存権を生かすために有効利用するのか、それとも一握りの利権グループのために悪用するのか、そのどちらを選択するのか、が突きつけられていることを承知しておきたい。 
 
*「安原和雄の仏教経済塾」より転載 
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/ 


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