2007年07月07日13時06分掲載  無料記事
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根津教諭の「君が代」拒否

<停職6ヶ月「出勤」日記・14>「根津教諭の解雇を避けるための要請書」を校長に渡す

7月2日(月) 
 
立川二中へ。雨。 
 
 登校時、走り寄ってきて「先生、まだですか」と1年生。月が変わったのに・・・と思ったんだろうか。「まだまだよ」と答えると、「がんばってください」とぺこんと頭を下げて友だちの中に入っていった。 
 
 車の中から2人が、自転車でも2人の人が手を振り、あるいは頭を下げ、声をかけて通って行かれた。いつもの70歳近くの男性、そして70代くらいの女性と挨拶を交わす。こんなちょっとしたことが、心をほんわかさせてくれる。 
 
 ぼーっとしていると、通りかかった青年がバイクを止めて、「先生、ぼく石川中の卒業生です」と言う。「う・・・?」と首をかしげると、「Aです」。10年近く経ち、スマートになっていたので、わからなかったが、目を見ているとすぐにかつての顔が浮かぶ。仕事の途中なのだと言う。「まだこういうことやっていたんですか」――「アッタリ前でしょ」。「元気でね!」と互いに言い、後姿を見送った。 
 
 普段は部活で早くに登校し、私とは顔を合わすことのなかった生徒が、早くに下校すると言う。「何をしているんですか」と訊いてきた。ざっと説明をすると、「強制は私もいやです。それで処分なんて、変ですよね」としばらく話していった。 
 
 北多摩高校は今日がテスト第1日目で下校が早い。ここに進んだ卒業生のBさんが、わざわざ立ち寄ってくれた。気遣いが心に沁みる。 
 
7月4日(水) 
 
 南大沢学園養護学校に。今日も雨模様。 
 
 今日は特記すべき日となった。1ヶ月前からここに来てくれている「君が代」被処分者とは、八王子5中夜間学級の近藤さん。今朝は私が「出勤」した7時35分にはすでに到着していた。彼は、下に示す「根津公子教諭の解雇を避けるための要請書」を前回校長に手渡そうとしたが、受け取ってもらえなかったので、今日こそは渡したいと思って、早くに来てくださっていたのだった。 
 
 7時52分、校長が歩いてくる。近藤さんは校長に名を告げ、挨拶をし、「校長に読んでいただきたいと思い、手紙にしてきました。受け取ってください」と渡そうとしたが、校長には歩を止めて対応する様子が見られない。「待ってください」と2人で何度か言うと、やっと一瞬歩を止め、手紙を受け取った。そして、そそくさと玄関に入っていった。 
 
 「外に開かれている学校」などと都・市教委は言うが、開かれる対象はしっかり校長・教委が選別している。 
 
 近藤さんが、意思表示をしてくださったことにとっても感激し、励まされる。 
 
 彼の校長宛手紙は―― 
 
                 2007年7月4日 
 
 南大沢学園養護学校 
 学校長 様 
 
            八王子市立第五中学校夜間学級 
                近藤順一(被処分者) 
 
   根津公子教諭の解雇を避けるための請願書 
 
 
 貴校の根津公子教諭は、現在、不当にも東京都教育委員会より停職六ヶ月の処分を受け、正常な校務が遂行できない状態にあります。処分の理由は、私と同様、卒業式における国歌斉唱時に不起立・不斉唱を行ったこととされています。根津教諭の行動は、卒業式を混乱させたり教育活動を妨害することではなく、生徒や保護者をはじめとする卒業式参列者の思想及び良心の自由が守られること、特に生徒諸君が自ら考え行動することの大切さを訴えるものです。このことを根津教諭は一貫して述べています。私たち、公務員は、憲法九九条にもあるように、この憲法を擁護し尊重する義務があります。私たち、教育公務員が生徒の学習の自由、自由な思考を保障することこそ、その義務の根本であると思います。 
 
 学習指導要領に国旗、国歌を「指導するものとする」とあるのは承知しています。国旗、国歌(日の丸・君が代)については、「国旗、国歌法」が成立してはいますが、その歴史的評価や国際的評価について、日本国内外において様々な見解があります。そこで、学校教育の場でこそ、多様な意見が採り挙げられ、慎重に、児童・生徒がよく考えられるように提示される必要があります。貴校で学ぶ児童・生徒や、私の職場の外国人生徒には、特に丁寧に指導する必要があると思います。このように考えてきますと、儀式の場で、一律に外形を整えるのは、教育の本質に逆行していると思います。貴校の実態をぜひきかせてください。 
 
 学校という社会のソフトな分野では、自由な意見、行動が最大限保障される必要があります。もちろん、私たちは、勝手気ままにやることはできません。しかし、その自由に対して、処分や、まして完全に身分を奪う解雇など、決してあってはならないと思います。 
 
 私は、根津教諭が正常な校務に就けるよう、また、解雇されることがないよう次のことを要請します。 
 
 1,停職期間中も、根津教諭が、貴校管理職と話し合いの場が持てるように取りはからってください。 
 2,停職期間中も、勤務時間の内外を問わず、根津教諭が、貴校教職員と接触し、話し合いが持てるように取りはからってください。 
 3,解雇処分がされないように、校長として執りうる措置を講じてください。 
 
 以上、よろしくお願いいたします。 
 
 今朝は次々に訪問者がやってこられた。近藤さんのほかに、報道関係のMさんにDさん、そしてSさん、Oさん、SUさん、Tさん。 
 
 9時20分頃、校長が副校長を伴って私のところに来た。「用事はここで聞きます。何でしょうか」と。朝、近藤さんが校長に手紙を渡した際に、私が校長に「用事があるので後で校長室に伺います」と告げた、そのことで来たのだった。朝は何の反応もなかったので、さて聞こえたんだろうか?と心配だったのだが、聞こえていたのだ。返事くらいしてくれたっていいだろうに、と思う。 
 
 「停職中は根津を校地に入れない」と堅く決めた校長は、今日も雨の中、外に出てきて私に対応した。4月に質問をした時も、その回答を告げた時も雨であったにもかかわらず、訪ねた私を外に追い出し、傘を差しての異様な対応をした。こうした対応は、私にはとっても滑稽なのだけれど、校長や同伴した副校長には滑稽に映らないのだろうか?と思いつつ、用件を話した。 
 
 用件とは――。10日ほど前に私は公民館活動の講師を引き受けた。その謝礼(交通 
費込み)が支払われるということで手続きをする際に、公務員の兼業兼職との問題が生じるかも知れず、市にその旨伝えた。そこで結局は、私が校長に事後に申請をすることにし、その日以降で初めて校長に会った今日、校長にこれまでのいきさつを説明し、申請を申し出た。 
 
 しかし、回答は「事前申請」だと譲らない。「かつて市の講師を引き受けた時には、市と校長との間で話しは済み、私が申請する必要はなかったので、体験上私は、その認識にあった」ことを話し、「事前に校長から説明を受けていなかったのだから、事後申請を校長の裁量で認めてほしい」と要求したが、にべもない。 
 
 「1つ目、事前申請ではない。2つ目、停職期間中。3つ目、申請しても許可しないことがある。内容によって判断する」と校長は繰り返し、私の話しはまるで聴こうとしない。「2つ目」がどういう意味なのかを訊いたけれど、「事実を言っているのです」と言うのみ。さっぱり関連性が理解できない。理解させるつもりなど、そもそもないようだ。 
 
 「では今回、どうしたら、事後申請が可能となるか」と訊いても、「ありません」。そして引き上げていった。校長からも副校長からも、冷酷さしか感じられない。 
 
 訪問者を公園の喫茶室に案内した。みんな、ゆったりした時間の流れと、おいしい飲み物オール100円に喜ぶ。 
 
 午後は多摩中裁判。 
 
7月5日(木) 
 
 急用ができてしまい、鶴川に「出勤」することを断念した。訪ねてくれる人がいらしたら申し訳ないと思いつつ、すでに朝。どうすることもできなかった。 
 
 SAさん、Mさん、Sさんが訪ねてくれてしまった。ごめんなさい。 
 
7月6日(金) 
 
 都庁第一庁舎前でちらしまき。今日も、初めての参加者が4人。Iさん、Sさん、Yさん、Aさん。総勢18人。皆さん、お忙しい中、時間をやりくりして駆けつけてくださる、そのお気持ちが心に沁みる。とっても励まされる。 
 
 今日からは新品の、会所有のマイクで訴えた。長い闘いになることは間違いないし、いつでもどこででも使えるように、会でマイクを買おうとしていたところに、Fさんから代金カンパの申し出があった。ありがたく、乗らせてもらった。Aさん、今まで貸してくださって、ありがとう。 
 
 今朝はちらしの受け取りがとってもよかった。それをみんなが実感した。Oさんは4回も「ください」と言われたそうだ。 


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