2007年07月07日13時15分掲載  無料記事
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 「戦争絶滅法案」を生かす時  久間「原爆発言」に想うこと 安原和雄(仏教経済塾)

  広島、長崎への原爆投下について「しようがない」と発言した久間章生防衛相が辞任した。防衛相は安全保障問題の責任者である。今回の発言に関連して想うのは、「戦争絶滅法案」のことである。同法案は100年も昔の20世紀の初めにヨーロッパの陸軍大将が起草し、各国議会に送り、「これを成立させれば世界から戦争がなくなる」と提案したが、どの国もこの法案を成立させることはなかった。なにしろ戦争になったら、「首相、閣僚、国会議員らを戦火の最前線へ一兵卒として送る」という内容であり、そういう法律を議員たちが賛成するはずもないからである。 
 
 しかしこの話は、戦争好きの政治家たちは、本音では国民のいのちを守るために進んで自分のいのちを捧げる気概はゼロに等しいことを示唆していて興味が尽きない。戦争、特に侵略戦争とは何か、戦争を防ぐにはどうすべきかを考えるよい機会である。今こそこの法案の「戦争防止」という趣旨を生かす時ではないか。 
 折しも7月7日は中国への日本の侵略戦争が本格化するきっかけとなった廬溝橋事件(1937年)から70年目に当たる。 
 
▽久間衆院議員(前防衛相)による「原爆発言」の真意を追うと 
 
 久間防衛相(衆院長崎2区)が7月3日辞任に追い込まれるきっかけとなった今回の発言は、6月30日千葉県柏市の麗澤大学で行われた「我が国の防衛について」と題する講演の中で言及された。その趣旨は次の通り。 
 
 「原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しようがないな、という風に思っている。米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った」(『朝日新聞』07年7月1日付) 
 
 辞任の理由は「長崎の皆さんに非常にご迷惑をおかけした。理解が得られないようなので、それに対して申し訳ない、けじめをつけなければいけない、辞任することにした」というものである。それに7月末の参院選への配慮もあるだろう。いいかえれば、原爆投下は「しようがない」という考え方そのものが間違っていると認めたわけではないことを指摘しておきたい。 
 
 しかも強調する必要があるのは日本の安全保障政策が米国の核抑止力、俗に言う「核の傘」に依存しているという事実である。安全保障政策の基本を定めた防衛計画大綱(04年12月閣議決定)は「核兵器の脅威に対しては、米国の核抑止力に依存する」と明記している。防衛相としての久間発言は、この事実を踏まえた上で場合によっては核使用もあり得るという本音を吐露したのだともいえるだろう。 
 しかしこのような核兵器への理解が広島、長崎の市民はもちろん、多くの国民の平和や核廃絶への意志に反していることはいうまでもない。 
 
▽戦争絶滅法案の骨子―首相、閣僚、議員らを砲火の下に 
 
 ここで20世紀初めの戦争絶滅法案(正式名称は「戦争絶滅受合法案」=戦争が絶滅になることを受け合うという意)を紹介しよう。起草者はデンマークの陸軍大将リッツ・ホルムという人物である。 
 
 同法案の内容(大意)は以下の通り。 
 戦争行為の開始後または宣戦布告の効力が生じた後、10時間以内に次の措置をとるべきこと。すなわち下記の各項に該当する者を最下級の兵卒として召集し、できるだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わせること。 
 
1.国家の元首(君主または大統領) 
2.国家の元首の男性の親族で、16歳に達した者 
3.総理大臣、各国務大臣、並びに次官 
4.国民によって選出された立法議会の男性の代議士。ただし戦争に反対の投票をした者は除く 
5.キリスト教または他の寺院の僧正、管長、その他の高僧で、戦争に反対しない者 
 
 上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として召集されるべきで、本人の年齢、健康状態等を斟酌しないこと。さらに上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦または使役婦として招集し、砲火に最も接近した野戦病院に勤務させること。以上 
 
 日本では長谷川如是閑(注)が創刊した雑誌『我等』の巻頭言(1929年1月号)で、この「戦争絶滅受合法案」を紹介している。 
(注)長谷川如是閑(はせがわ・にょぜかん=1875〜1969年)はジャーナリスト・思想家。大正デモクラシー期に新聞記者として民主主義的論説を展開したことで知られる。 
 
 この法案のポイントは次の2点である。 
*元首、首相、閣僚、議員らを一兵卒として砲火の最前線へ送り込むこと 
*議員のうち戦争に反対投票をした者(賛否を公表する必要がある)は招集を免除すること 
 この2点が意味することは、戦争に賛成する以上、その責任を果たすためにも、一兵卒として戦火の中に身を投じるべきだということである。これを義務づければ、戦争に賛成する議員はいなくなり、従って戦争は絶滅するだろうという趣旨である。 
 
▽憲法9条改悪に反対する「九条の会」からの呼びかけ文 
 
 さてこのような戦争絶滅法案に関連して「前橋市四中地区九条の会」呼びかけ人の森田博さんは以下の一文をつづり、配布している。 
 憲法9条の改悪に反対する「九条の会」は日本列島の各地で次々と誕生しつつあり、その数は全国ですでに6000(07年6月現在)を超えている。「前橋市四中地区九条の会」は、その一つである。「九条の会」の草の根の動向は、マス・メディアではほとんど報道されないという奇妙な状態が続いている。メディアの怠慢というべきであり、そこで一つの事例としてここで紹介したい。呼びかけ文(大意)は次の通り。 
 
 戦争絶滅法案は日本国憲法の基本理念である基本的人権、国民主権、国際平和にそわない考えである。最悪の人権侵害は殺されること、その次に酷い人権侵害は殺人である。人間が人間を殺したら、殺した方は人間の心を失う。人を殺しても人間として苦しまないように兵士を鍛えるのがかつての日本軍の初年兵教育であった。捕虜の虐殺には必然性があったといえる。 
 実践に備えた実効性のある訓練とは隊員自身の人間の心を抹殺する作業でなければならない。そんなことをさせることはできない。災害地で命がけで人助けをしてきた自衛隊の人たちに人間としての心を喪失させるようなことはできない。 
 仏の心をかなぐり捨てて鬼の心を養うことを黙ってみていることは人間として私にはできない。その意味でも私は日本国憲法九条第二項「国の交戦権はこれを認めない」は守らなくてはならないと思っている。 
 前橋市四中地区九条の会 呼びかけ人 森田 博 
 
▽日本国憲法9条と戦争絶滅法案の今日的意義 
 
 戦争絶滅法案は、戦争を前提にしてなお戦争をなくそうという着想で、奇抜ではあるが魅力的なアイデアと評価したい。ただ日本には憲法9条(=戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認を規定)があり、戦争を前提にしたこの法案は理念上はたしかに憲法9条とは矛盾している。だから憲法9条がある限り、国会にわざわざ提案する必要はないという意見が多いだろうことも理解できる。 
 
 しかしここで考えてみるべきことは憲法9条は事実上空洞化しているという現実である。日本は9条の「戦力不保持」条項に反して、すでに強大な軍事力を保持している。その背景に日米安保体制がある。1960年に調印・発効した日米安保条約(第3条)は日本の「自衛力の維持発展」を明記しているのであり、日本は米国の要請を受けて日米軍事一体化をめざして着実に軍事力の増強を図ってきた。 
 ただ「交戦権の否認」条項が生きているため、これまで自衛隊が海外で公然と戦争することはなかった。それが救いといえば救いであったが、安倍政権はこの9条を改悪し、戦力不保持と交戦権否認の条項を削除し、公然と「戦争できる国」になることをめざしている。 
 
 こういう状況下だからこそ、今、戦争絶滅法案について改めて考えてみることは大きな意義があるのではないか。その理由として以下の2点を挙げる。 
 
*憲法改悪に賛成し、戦争を肯定する議員たちが国民のいのちと安全を守るために一兵卒として自らのいのちを投げ出す気構えがあるかどうかを試すよい機会となる。例えばメディアは憲法9条を改悪しようと目論んでいる自民党などの政治家にこの法案を提示して、賛否を問いただしてはどうか。これは「政治家と戦争といのち」というテーマで本音ベースの意識調査を試みる作業でもある。 
 
 参考までにいえば、米国の上下両院は02年10月、イラク攻撃容認決議を行ったが、上院では77対23、下院では296対133の賛成多数であった。しかし議員の子弟がイラク攻撃に参戦したのは、たしかわずかに1、2名にすぎなかった。戦争に賛成しながら、その「名誉ある戦い?」に子弟を送ることを拒否したのである。米国ではベトナム戦争当時の徴兵制が今では志願制に変わっており、兵士の多くは貧しい子弟の志願兵で、最前線に送られ相次いで犠牲になっている。 
 憲法を改悪して、日本が米国と同じ道を歩むことを選択する政治家たちは、自分は保身第一でありながら、人のいのちを粗末に扱う卑怯者というべきである。 
 
*私はこの100年前の古典的な戦争絶滅法案に「防衛省に兵器など軍事品を納入する企業の社長または副社長が一兵卒として戦火の下に出征する」という条項を新たにつけ加えることを提案したい。 
 
 100年前と比べて、当時は存在しなかったが、今日大きく根を張っているのが軍産複合体(軍部と兵器産業との複合体)である。 
 かつてアイゼンハワー米大統領が「自由と民主主義の脅威になっている」と警告を発した軍産複合体は今日では新保守主義的な研究者・メディアも含めた「軍産官学情報複合体」に肥大化し、米国に限らず、日欧にまでその根拠地を広げている。しかもこの複合体は常に新兵器を開発製造し、それを政府・軍部に売り込み巨額の税金浪費をそそのかし、増税の元凶ともなっている。戦争になればさらに大儲けできる仕掛けが構造化しているわけだから、その責任をとるためにも最前線で命を捧げる義務がある。 
 
▽日米安保を解体し、日米平和友好条約へと転換すること 
 
 ただこの法案が議会で成立し、戦争がなくなるかといえば、恐らく無理であろう。議員たちが賛成しないだろうからである。そこから何が明らかになり、新たに何を求めたらいいのか。次の3点を指摘したい。 
 
*今日の戦争には政治家や企業家が命を捧げるに値するほどの大義は見出せないこと。だから国民の戦死も無駄死にであること。 
 多くの場合、戦争は石油資源など物質的利益の確保が目当てである。しかも日本が米国の覇権主義と先制攻撃論に同調して、米国の下請けに等しい戦争に参加する大義はどこにも見出せない。 
 
*全国で6000を超える「九条の会」の存在価値が輝いてくること。 
 戦争をなくすためには、9条は事実上空洞化しているので、「9条守れ」だけでは一面的である。戦力不保持と交戦権の否認の2大理念を取り戻し、現実に生かしていく努力が不可欠である。そういう役割を「九条の会」に期待したい。 
 
*憲法9条を守り、生かすためには軍事同盟としての日米安保体制を解体し、非軍事同盟としての日米平和友好条約へと切り換えること。 
 日本の「核の傘」は日米安保体制の上に成立している。しかもその日米安保は「平和の砦」というよりも、「世界の中の日米同盟」を機能させるための「戦争策動拠点」にさえなっている。こうして日米安保体制は平和憲法体制と根本的に矛盾している。だからこそ平和憲法の理念を生かして、日米安保を解体し、新しい日米平和友好条約への転換が不可欠である。 
 さらに核の脅威を免れるためには核保有大国の核廃絶をめざした核軍縮が大きな課題として浮かび上がってくる。 
 
(戦争絶滅法案については、2005年6月北海道旭川で行われた高橋哲也・東京大学大学院総合文化研究科教授の「戦争絶滅法案」に関する講演などを参考にした) 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です 
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