2007年10月04日15時34分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200710041534194

書評『聞き書き 小泉金吾 われ一粒の籾なれど』(加藤鉄編著) 六ヶ所村に生きる農民の記録  評者:相川陽一

  青森県上北郡六ヶ所村。長年にわたり、国家プロジェクトに翻弄されてきたこの村で、ただ一戸、開発用地とされた区域に今も暮らし、田をつくる農民がいる。本書は、六ヶ所村の新納屋という集落(部落)に住む農民、小泉金吾さんの人生をつづった聞き書きである。(初出 季刊『インパクション』159号) 
 
  核燃料サイクル施設建設をめぐる紛争で知られるこの村は、核燃誘致に先立つ長い開発の戦後史をもつ。敗戦直後の食糧増産期には、旧植民地から多くの引揚者が同村に入植した。1950−60年代には、酪農や水田改良のための開発プロジェクトが実施されたが、多くは失敗していった。高度成長期には、全国各地で反開発、反公害運動の激発を招来した「新全国総合開発計画」(1969年閣議決定)において、この地域一帯に「むつ小川原開発計画」という名の大規模工業基地が構想された。 
 
  しかし、この壮大な開発計画は、1970年代のオイルショックや産業構造の転換にともなう重厚長大型産業の地位低落によって失敗し、多くの農民を移転させ、開発用地として買収された広大な土地は荒廃した。そして1980年代、この地域に核燃料サイクル施設や使用済み核燃料の貯蔵施設等の建設計画が浮上する(一連の開発の経過と問題点については、鎌田慧『六ヶ所村の記録:上下』岩波書店1991年、舩橋晴俊ほか編『巨大地域開発の構想と帰結:むつ小川原開発と核燃料サイクル施設』東京大学出版会1998年、を参照)。 
 
  本書は5章構成であり、小泉さんが暮らす集落の来歴が、時期を追って、土地の言葉で語られている。各章は「一 時代の少年」、「二 青春なんて知らない」、「三 国破れて田畑あり」、「四 開発という名の戦車」、「五 振り返れば一人」と題されている。 
 
  聞き書きはまず、集落の成り立ちから始まり、幼年期の思い出や、戦中に氏が過ごした海軍訓練所、1945年に配属となった三沢基地の敗戦前後の様子などが語られる。3章以降が小泉氏の稲作人生の始まりであり、大工仕事との兼業で農家を成り立たせてきたことが、水田改良にかけた多大な苦労とともに語られる。そして4・5章では、この地域を激変させた工業開発と核燃への反対運動での小泉さんの取り組みが、開発反対から受け入れへと変わっていった村の様子とともに、生々しく語られていく。 
 
  小泉さんの闘いは、決して勇ましいものではない。一読した当初は、開発主体との衝突やデモなどの抗議行動について、意外なほど語られていないという印象をもった。しかし、本書に付されたDVDを観て合点がいった。小泉さんにとっては、田をつくり、そこに暮らすことが闘いと同義なのではあるまいか。そこに気負った様子は感じられない。田をつくるとは、淡々と続いていく日々の営為だからである。 
 
  本書には、『田神有楽』と題された記録映画のDVDが付されている。監督は本書で小泉さんの聞き手となった映画監督の加藤鉄氏である。この映画には、小泉金吾さんと一家の暮らしぶりが、稲作の様子を中心に描き出されており、巨大開発によって荒廃した地域や核燃反対運動の様子が、稲作風景の合間に挿入されている。 
 
  放射性廃棄物を積んだ輸送車が村内の住宅地を走り抜ける様子は異様であり、うち捨てられた買収地の無残な光景は、国策に振り回されてきたこの地の同時代史を無言のうちに物語る。そして、開発に深く構造化された地域において、地域権力構造の変革や核燃反対の声を上げた人々の心情が語られていく。 
 
  とりわけ印象的だったのは、核燃に反対している人々の証言が、運動の現場だけでなく、水田、湖沼、出荷場など、それぞれの生業の現場で撮影されていることだ。この地に根を張ろうとする人々にカメラは迫っていく。 
 
  ところで、評者は昨年から千葉県で稲作に取り組んでいるのだが、この記録映画の各所で、小泉さんが稲作にいかに手をかけているかが観て取れ、興味深かった。春の種まきに使う手回し式の播種機、近くの沼から水を引くための手作りの水路、苗運び用のモッコ、手押し式の田植え機。秋には稲を手刈りし、オダをつくって天日干しにする。機械化農業の全盛期にあって、小泉さんの稲作には昔ながらの農機具が続々登場し、創意工夫に満ちた手仕事の技芸が活きている。 
 
  「言葉だけじゃダメだもん。戦さにならないんですよ。いま私が土地抱えてるのもな、ただ開発来て、賛成とか反対とか、そっただもんでないんですよ。世のなかの構造との、みにくいやり方との対抗意識をもっていかないと、戦いにならないわけよ。その方が脈があるんですよ、脈が」。映画のなかで小泉さんはこう語る。言葉で武装した活動家よりも、手仕事の世界に生きる農民の方が、本書やこの映画の文脈をより深いところで解するのかもしれない。 
 
  言葉を紡ぐ営みを続けながら、その世界に少しでも近づきたいと思う。しかし、開発の暴力を止めるためには、現地の住民だけでなく、開発の受益者、推進者としてあり続けている大都市に住む人々の取り組みが不可欠である。その意味で、現地農民の生の声が収録された本書を一人でも多くの人が手に取り、この映画を観てもらいたい。 
 
  今年も稲作シーズンを迎え、小泉さんの言う「脈」とは何か、と自問しながら田に通い、わたしはあの手仕事の情景を何度も思い出すことだろう。(2007年、東風舎出版刊) 
 
(筆者は社会学研究者/農業) 
 
 
【訂正】記事末尾の出版社が「東風社」となっていましたが、正しくは「東風舎出版」でした。訂正いたします。(2008年03月31日) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。