2007年11月02日12時15分掲載  無料記事
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『制裁論を超えて=朝鮮半島と日本の<平和>を紡ぐ=』  評者 大野和興

『制裁論を超えて=朝鮮半島と日本の<平和>を紡ぐ=』 
中野憲志 編(07年8月、新評論刊、2600円+税) 
 
  一応、これでもジャーナリストと名乗っている関係上、とても恥ずかしい思いがするときがある。その最たるものがいわゆる北朝鮮物である。荒唐無稽、憶測、悪意といった、およそジャーナリズムとは無縁であるはずのことどもが、電波や紙を通して運ばれ、人びとの頭の中で「事実」と化していくさまを見ていると、恥ずかしさの余り身をよじりたくなるほどだ。 
 
  しかし考えてみれば、荒唐無稽、憶測、悪意が「事実」となるには、そうなるだけの受け皿というか受容体と、それを「事実化」していく装置があるはずだ。本書は、受け皿としての日本の「市民社会」が持つある種の危うさをえぐりだし、それが受容体から能動態に変容して「世論」となり、制裁政治へと政治を誘導するにいたるメカニズムを解明する。 
 
  そのキーワードは「植民地主義の継続」である。「市民」もまた内なる植民地主義を引きずっている。そこをメディアがくすぐる。国家がそれを利用し、軍事大国化と排外主義へと民衆を煽動する。 
 
  こうした現実を踏まえながら、本書の著者たちは国家に絡みとられない普通の人々の目線で、制裁の論理を乗り越えるもうひとつの筋道(オルタナティブ)を懸命に探す。本書の著者たち、藤岡美恵子、LEE Heeja、金朋央、宋勝哉、寺西澄子、越田清和、中野憲志らに共通しているのは、単なる研究者や評論者ではなく、実践者であり当事者であるということである。 
 
  だから話に真実味があり説得力がある。 
 
  では本書が提起するオルタナティブとはどういうものか。第4章で越田は「平和的生存権に基づく国際協力」を提言する。その場合の主体は政府とNGOである。植民地主義へ謝罪と補償を政府とNGOの両方の国際協力活動を生かすという越田の提言を支える概念は「民衆による国際協力=民際協力」である。 
 
  続いて中野が最終章で「安保の無みする(解消する)」たたかいを訴える。 
 
  それはそれでなるほどと思う。同時に、グローバル化とともに進む日本社会内部の亀裂と他者・異端の排除と排外、人々の孤立と断絶、貧困といった問題をどうとらえるかという視点もほしかった。「北」への制裁を声高に叫ぶ荒々しい「市民」感情と、この”新たな”「内なる植民地主義」ともいえる市民社会の内なる声は重なり合うと思うからだ。 


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