2007年12月06日14時24分掲載  無料記事
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常備軍は廃止されるべきだ! カントの平和論を今読み解く  安原和雄

  ドイツの哲学者、カントの著作『永遠平和のために』が話題を呼んでいる。同著作の主眼は常備軍の廃止を唱えたことにある。210年余も前の先見性に富んだカントの平和論を手がかりに、戦乱と破壊の絶えない21世紀の今を読み解くと、みえてくるものは何か。それは今こそ常備軍廃止論を生かすときであり、「永遠平和は人類の使命」(カントの言葉)という認識を共有することである。 
 
▽作家 瀬戸内寂聴さんの「カントの平和論」 
 
 作家の瀬戸内寂聴さんが毎日新聞(07年12月2日付)掲載の「時代の風」欄につぎの見出しで一文を書いている。 
 
カントの平和論 
現在も納得できる言葉 
 
 何よりカントの説く永遠平和の考えは、お釈迦様が常に説いた説法の考え方とそっくりなのに目をはじかれた。 
 本当に秀(すぐ)れた思想家の考えは、地球のどこに離れて生まれようと棲(す)もうと、同じなのだと納得させられた。 
 
 つづいてカントの平和に関する言葉を書きつづっている。そのいくつかを以下に紹介しよう。 
*平和というのは、すべての敵意が終わった状態をさしている。 
*常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべきである。 
*殺したり、殺されたりするための用に人をあてるのは、人間を単なる機械あるいは道具として他人(国家)の手にゆだねることであって、人格にもとづく人間性の権利と一致しない。 
*永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である。 
(池内 紀訳『永遠平和のために』より) 
 
 最後に「どのページを開いても、たった今、書かれたように、二十一世紀の現実の世界に向かって発せられているとしか思えないではないか」という読後感で結んでいる。 
 
 瀬戸内寂聴さんは作家活動の一方、51歳で出家し、師僧の今東光氏から「寂聴」の法名をもらった。瀬戸内さん自身、「寂聴という名は煩悩の炎を鎮(しず)めて静かになった心で森羅万象の全ての快い音を聴くこと。だから素敵な名前」と書いている。(HPから) 
 
 なおカント著/宇都宮芳明訳『永遠平和のために』(岩波文庫、1985年第1刷発行)がすでにあるが、「わかりいい日本語にして、ぜひとも若い人に読んでもらいたい」という趣旨で、新しい池内 紀訳『永遠平和のために』(綜合社、2007年)が出版された。 
 
▽「常備軍はいっさい全廃されるべきである」 
 
 カント著/池内 紀訳『永遠平和のために』を手に取ると、そこから、今日、学んで生かすべき視点は数多い。最大の眼目はやはり「常備軍の全廃」を唱えたことであろう。 
 訳者の池内さんは「解説」で「カントのこの小さな本は、長い歳月を経て国際連合を生み出すもととなり、またわが国の憲法にあっては〈九条〉の基本理念となった」と書いている。カントの主張を3つに絞って以下に紹介する。 
 
(1)「常備軍は、いずれ、いっさい全廃されるべきである」 
 なぜなら常備軍はつねに武装して出撃する準備をととのえており、それによって、たえず他国を戦争の脅威にさらしている。おのずと、どの国もかぎりなく軍事力を競って軍事費が増大の一途をたどり、ついには平和を維持するのが短期の戦争以上に重荷となり、常備軍そのものが先制攻撃をしかける原因となってしまう。 
 
(2)「対外紛争のために国債を発行してはならない」 
 国家の経済(道路の整備など)のため、国の内外に援助を求めても、どのような嫌疑もかき立てない。だが国と国との間の借款制度は、力を競い合う道具としては、とめどなくふくらみつづける。しかも当座は返済を求められないため、危険きわまりない力となる。 
 
 借款によって戦争を起こす気安さ、また権力者に生来そなわった戦争好き、この二つが結びつくとき、永遠の平和にとって最大の障害となる。さらに国債の発行禁止はつぎのことからも、どうしても必要な条項となる。つまり、借款ずくめの国家の破産は避けようがなく、必ずや財務の健全な他国も巻き込み、巻き込まれた国々にとっても大いなる負担になる。 
 
(3)「いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない」 
 いったい、どのような権利があってよその国に干渉できるのか?(中略)よそから干渉するのは、国家の権利を侵害している。(中略)干渉がすでに言語道断であって、すべて国家の自律を危うくする。 
 
▽現代とこそ響き合う「永遠平和のために」 
 
 作品『永遠平和のために』はカント(1724〜1804年)が71歳(1795年)の時、世に送り出された。カントがこの世にあった18世紀はヨーロッパ大陸で次から次へと戦乱が切れ目なく続いた。だからこそカントは戦争のない「永遠平和」を熱望した。 
 それから210年余を経た現在、アフガン、イラクなど地球上の至るところで暴力と戦乱の炎は消えることがない。210年も前の平和論は、むしろ現代とこそ響き合う存在感を示しているとはいえないか。上記の主張を今日風に読み解いてみると―。 
 
(1)「常備軍は、いずれ、いっさい全廃されるべきである」 について 
 常備軍のマイナス効果として、他国を戦争の脅威にさらしていること、軍拡競争によって軍事費が増大の一途をたどること、常備軍そのものが先制攻撃をしかける原因となること―の3点が挙げられている。これは先制攻撃論をちらつかせながら、覇権主義、単独行動主義をほしいままにしている現在のブッシュ政権率いるアメリカ帝国の姿そのものではないか。 
 
 その一方、常備軍を全廃した国はすでに存在している。それが中米の小国、コスタリカである。コスタリカは内戦で約2000名の犠牲者を出し、しかも広島、長崎の悲惨な原爆体験を教訓にして、1949年に憲法を改正し、常備軍を廃止して、今日に至っており、世界から注目される存在となっている。 
 さて日本は敗戦後、1947年5月施行の現行平和憲法9条で「戦争放棄、さらに軍備および交戦権の否認」をうたい、常備軍を廃止したが、やがて日米安保=軍事同盟体制下で強大な軍事力を保有する始末となった。9条の理念は空洞化が進んでいるといわざるを得ない。 
 
 平和哲学のカント教授が今健在なら、どういう採点をするだろうか。コスタリカは100点満点、一方日米両国はいうまでもなく落第生である。特に日本については折角、常備軍廃止を憲法9条で唱えながら、なぜ人類英知の結晶ともいうべき平和の理念を投げ捨てたのか、という叱正の声が聞こえてくる。 
 
(2)「対外紛争のために国債を発行してはならない」について 
 ここでは国債発行による外国からの借款、つまり借金が招くマイナス効果として、戦争を起こす気安さが生じること、国家破産が避けにくいこと、さらに他国を巻き込み、その国の負担が大きくなること―を挙げている。これは今日の日米間の金融貸借関係をそのまま表現している。 
 
 最近、米経済への先行き不安、米国の「双子の赤字」(経常収支赤字と財政赤字)増大などを背景に基軸通貨・米ドルへの信認が薄れ、ドルが売られ、ドル安となっている。急速なドル安進行は米国家破産への道でもある。 
 日本は中国に次いで世界2位の100兆円を超える外貨準備高をもっており、そのほとんどは米国債などのドル建て資産として運用している。いいかえれば日本は米国債を買うことによって「双子の赤字」の穴埋めをし、ひいてはアフガン、イラクへの米国の侵攻を財政面で支援する役割を演じている。 
 しかしドル安がさらに進むと、その結果一番被害を受けるのは実は日本である。日本が保有する数十兆円というドル建て資産は大幅に減価して、紙くず同然になりかねない。これでは日本にとって「大きな負担」(カントの表現)、つまり大損失である。 
 
 カント教授が今、健在なら、「弱いドルから強い欧州通貨・ユーロへ乗り換えなさい」と助言するだろう。現に中国など他国はドルを手放す動きを強めつつある。ところが日本の権力者たちにとっては以前から米国債売却によってドル離れを進めることはタブーになっている。なぜなら日米安保=軍事同盟体制に束縛されて、思考停止病にかかっているからである。対米追随路線の成れの果てというべきであろう。カント教授の折角の助言も恐らく「馬の耳に念仏」であるにちがいない。 
 
▽「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である」 
 
 カントの主張の3つめはつぎの通りである。 
(3)「いかなる国家も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない」について 
 考えてみるべき点は、カントが挙げている「いったい、どのような権利があってよその国に干渉できるのか?」という疑問に尽きるのではないか。「よその国の体制や政治」が気に入らないからといって、それに武力干渉することに正当性はないだろう。こういう言い分がまかり通るのであれば、自国も他国からの武力干渉に「ごもっとも」と甘んじなければおかしい。ブッシュ米政権のやり口こそがまさにカントが「待った」をかけた武力干渉である。 
 
 ブッシュ大統領は「9.11テロ」(2001年)翌年の一般教書(02年1月)で「悪の枢軸」(Axis of Evil)として北朝鮮、イラン、イラクを名指しで非難した。その一つ、イラクには03年3月武力侵攻を開始し、一般市民を含めて多数の犠牲者を出した。もはやイラク侵攻は混乱と破壊を積み重ねるだけの大義なき戦争となっている。 
 07年12月3日に発足したオーストラリアのラッド労働党政権は、ハワード前保守政権の親米一辺倒の路線と違って対米関係に一定の距離を置くようになり、イラクへの派遣部隊の一部を撤退させることを明らかにしている。 
 
 このように世界中でブッシュ離れが広がりつつあるだけではない。米国内でもブッシュ政権は支持を失っている。わが国の福田政権もインド洋における米艦船などへの給油活動 ― 事実上の参戦を意味している ― の再開に執着する必要はない。国際貢献という虚名を振りかざして、その実、対米追随でしかない路線にこだわることは世界の物笑いの種にもなりかねない段階を迎えている。 
ここでも福田政権は日米安保=軍事同盟体制のしがらみから自由になれず、深刻な思考停止病にかかっていることを指摘したい。 
 
 瀬戸内さんも紹介しているカントのつぎの言葉は、今こそ何度も噛みしめてみるに値する価値がある。 
 「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である」。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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