2008年01月10日12時48分掲載  無料記事
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日本国という宗教 生きる拠り所を見失う人びとへの再布教の危険性 落合栄一郎

  日本と周辺国との歴史には、近代以前は、元帝国(モンゴール)による2回にわたる日本侵攻の試みがあり、戦国時代後半秀吉が明帝国攻略を意図して朝鮮へ2回にわたり出兵したなどがあったが、古代には、中国、朝鮮との交流は盛んであり、特に日本による彼の地の文化/文明の摂取は日本の歴史形成に大きく貢献した。すなわち、秀吉の試みを除けば、江戸時代末まで、周辺国とはかなり友好的な関係が保たれたようである。中国は、その中華思想に基づいて、日本を遇していたとしてもであるが。しかし、明治維新以来日本は周辺国への侵略者になってしまった。 
 
 さて江戸時代2世紀半の長きにわたって日本は260程の小国に分断されて、武士から庶民まで日本人意識はあまりなく、藩への帰属意識が殆どすべてであった。一方天皇という存在は、軍事政権による政治の影に隠れて、鎌倉時代以降の殆どの時期(例外はあった)国民の意識には強くは映ってはいなかったようである。 
 
 明治革命政府は、そうした藩意識を壊して日本人意識を植え付ける必要に迫られた。制度上は、廃藩置県、士族の廃止などの政策を進める一方、「天皇は神であり、日本に住む人民全員はその赤子(臣民)である」という神話をつくりあげ、それを明治憲法の基本に据えた。それにより、藩への帰属意識は払拭され、藩に所属した武士も農民も平等な日本国民と看做されえ、例えば等しく日本国軍人になりうる。ここに、日本国に属する人民イコール日本民族が創作され、日本民族は、天皇を親とする家族であるとなった。 
 この神話は明治憲法起草者達の苦肉の発明であったと思われるが、それを多くの手段で、日本国民に定着させる策を実行した。天皇を担ぎ出して大々的な全国巡行を実施し、国民皆兵制(天皇への忠誠をもとに)を敷き、教育面では、幼児期から国民にこの観念を植え付けるべく教育勅語を発した。 
 
 江戸期には、儒教的「皇帝」概念なるものは知られていたが、こうした中国的皇帝の概念は日本には根を下ろすことはなかった。幕末の「尊王」思想は、軍事政権たる徳川幕府に対する、古から存在したただ単に漠然とした「スメラミコト」への回帰に過ぎず、確たる理論武装(皮相なそれはあった)が伴っていたとは思われない。勿論、後の「天皇=神=日本国体」は主要な概念ではなかった。 
 
 さて宗教の根本は、おそらく、人間存在の非条理性—自分の意志に関係なく産まれ、死を免れないという─に拠り所を与えるものと思われる。中近東に発生した3大宗教では、その拠り所は超自然的絶対神であって、それを信仰することによって心の安寧を得るが、自分達の神以外の神の信仰者に対する許容度は低い。それは、自分達の神こそが最も正当な神と信じるが故である。そして自分達は神に選ばれたものと確信する(選民意識)。もう一つ、これらの組織的宗教は精神生活、日常生活に対する規範を聖典として提供し、人々の人生を律するし、それが場合によっては社会に善をなすことに貢献することは否定する必要はない。 
 
 日本には、元来こうした形態の宗教は存在しなかった。外来の儒教、仏教は、聖典は導入されてはいても、それが人々の精神生活、日常生活を律することはなかった(中国、東南アジア諸国やインド(仏教からヒンドウーが主流にはなったが)でのように)。単なる生活習慣ぐらいのものはある。神道には、聖典に相当するものはない。そこで、明治政府が作り出した「日本国体=天皇」神話を中心にした明治憲法が宗教の役目を担うことになったと考えられる(山本七平=イザヤベンダサン氏言うところの「日本教」とは無関係)。 
 江戸時代には、「藩、藩主」への帰属意識が人々の生存根拠ではあったのであろう。そして、藩、藩主の為に生き、死ぬことが封建社会では名誉とされ、人々(少なくとも多くの武士)はそう思い込んでいた。明治政府は、藩を「日本国」に、藩主を「天皇」にと拡大させたのである。明治10年代頃から彷彿と起った「自由民権」(主権在民)運動を否定するためでもあった。すなわち国会開設などのある程度の民主化は容認するものの、本質的には「封建制」の再確立であった。封建制は、力で民衆を押さえている限り、政治形態の一種だが、民衆が、体制側が掲げる主体への帰属を自らの拠り所とするようになった時点で宗教に変身する。 
 
 明治以降の日本の人々は、日本民族の一人であり、天皇の臣民であるというところに、自分の存在の拠り所を見いだしたのであろう、いや見いだすように仕向けられた。そして、多くの人は、そこに誇りを見い出し、その(天皇=日本国体)ために死ぬことを誇りと思い込まされたし、実際思い込んでしまった。この考え方の極致が「特攻」である(実情は、かなりの強制があったらしいが)。 
 
 これは、日中戦争、第2次大戦へ進む過程で、更に徹底されていった。その過程で、戦死者を日本国体=天皇を守るために進んで自分の命を投げ出した英雄に祭り上げ、その人達の霊を祀ると称して、靖国神社なるものを立ち上げた。また宗教のもう一つの側面である、日本人の選民性=周辺国民の蔑視も強調され、日本人に植え付けられた。おそらく明治の元勲達の意図は、単に「日本」という国を作り上げるためということであったと思われる。しかしながら、その後は、市場や経済圏を広げたいという、この時期から急成長し始めた企業とその後押しをする軍閥が、その元勲達の意図を超えて、侵略戦争に人民を駆り出すための宗教へと変えていった。 
 
 この時期までに、世界規模で展開されてきた欧米の植民地政策−市場拡大—とそれがもたらす各種の利益に、企業家や軍閥などが毒されてしまったもののごとくである。欧米から開始されたこうした進展(産業革命も含めて)は、多くの人々に物質的豊かさ/生活の快適さをもたらした─これは人間にとって非常に魅力的である。(こういう文明はしかし、地球上の人類にとって持続不可能であることは言うまでもないが、この点は別に議論する必要がある) 
 
 この魅力は、現在でも充分に人類を魅了しているし、欧米諸国民のみならず、後進国の多くもこの魅力にとりつかれている。日本はといえば、全体的に見れば、充分すぎるほど物質的に豊かになったにも拘わらず、さらなる物質欲のみが多くの人の関心事になり、生きる拠り所がそれのみ(拝金主義という宗教)になってしまった。その上、一部の人達は憲法を改定してまで、自分達の利益の更なる増大をはかろうとしているようである。そのため、またぞろ、政府/財界などは旧憲法への回帰を画策している。すでに戦後の教育基本法を強引に改悪してしまって、国体=天皇への忠誠を国民(幼児から)に刷り込もうとしている。 
 この宗教は第2次世界大戦での敗戦で破綻したはずだが、その教義に縛り付けられている人々がまだかなりいるようである。こういう人達が、新憲法改悪を画策している。しかし、生きる拠り所を見失っている日本の多くの人には、国体=天皇が彼らの拠り所を提供しかねないことは充分に考えられる。 
 
 すなわち、彼らに宗教を提供するのである。今のうちに、宗教にまでに至らないように、人々にその危険性を悟ってもらわなければならない。「美しい日本」とか「戦後レジームからの脱却」などのキャッチフレーズに誤摩化されないように、その背後の意図を汲み取ってもらわねばならない。その意図とは日本を軍事力を行使できる“正常”な国家にしようというものである。そして現在世界中から顰蹙をかっている国家(というよりその行政府)と行動を共にしようという、まともに考えれば理解しかねる意図(日本国の利益に反する)のようである。自衛権の行使を正当化したいだけともいう。また、かの国が始めた「テロ」撲滅への支援ともいう。これらの動きの本音(政府や通常のメデイアの報道より深く)を知ってそういう宣伝の不正当さを判断する必要がある。 
 
 考えなければならない問題は多いが、いくつかをあげると;(1)「テロ」の本質を理解すること─なぜ「テロ」に走らざるをえないのか─「テロ」に対して「武力=テロ」による対抗手段は有効なのか─「テロ」の本質が理解されれば武力以外の解決方法があり得るのではないかー等々、(2)「テロ」のすべては、かの国の大統領が宣伝するような組織なのか─あのテロ事件は本当に彼の言う通りなのか(多くの疑問点がある)。(3)自分達の都合を妨害するものを全て「テロ」という概念でくくって「悪」と看做し、武力で対抗するような考え方をする勢力に組することは日本国にとって有利なことかどうか。(4)その上で、そういうことに手を貸す(集団自衛権の行使と称して)、または自国企業の利益を防衛する(シーレーンの確保、軍需産業育成)ためと称して憲法を改定しようとしている意図を見抜くこと。すなわち、現政権の提唱する憲法改定には、国民一人一人の安全の確保などということは考慮されていない─などなどである。 


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