2008年01月22日11時36分掲載  無料記事
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中東

その男の名はカイサル──米兵を射殺して英雄となったイラク兵士

▽迷走する報道 
 
2007年12月28日、米国防総省は、26日にイラク北部の街モスルで戦闘活動を行っていた米兵ふたりが小銃で撃たれ死亡していたことを公表した【1】。 
 
もしこれだけの戦死告示で終わっていたら、すでに米兵3900人の死者を出している今では、犠牲となった兵士の家族が住む街の地方紙やローカル放送に取り上げられるばかりで、社会の関心を集めることはなかっただろう。しかし年を越えてからメディアの報道が迷走をはじめる。 
 
08年1月5日、駐イラク多国籍軍北部師団の広報課は、まだ調査中だとしながらも、二人のアメリカ兵を射殺したのが、コンバット活動を合同で行っていたイラク軍の兵士だったと発表した【2】。この事件では、他にも米兵3人と民間のイラク人通訳ひとりが負傷しているという。犯人とされたイラク兵士は逃走したが、氏名もすぐに判明し、すでに逮捕されている。犯行の動機は明らかにされていない。 
 
同日、午前11時46分(米東部標準時)、ロイター通信は、モスルを含む地域を統括するイラク陸軍第2師団を取材し、師団長と旅団長(ともに陸軍准将)の証言を伝えた【3】。 
 
師団長は次のように述べた。米兵とイラク兵が合同でパトロールを行っていると、「複数の狙撃手から攻撃を受け」、問題のイラク兵士は「その混乱を利用して米兵ふたりを殺害した」という。それは、イラク兵士が「武装勢力に内通していた」からだとした。 
 
旅団長も、「単なる事故ではなく、意図的な殺人だった」と断じて、武装グループが構成員を部隊に送り込んでくるので、危険分子を排除するよう努力していると語った。 
 
──兵士たちはまじめによくやっている。こんな事件が起こるなんて初めてのことだ── 
 
だが一方でロイターは、イラクのムスリム・ウラマー協会(ムスリム聖職者協会)が公開した声明文を紹介していた。声明によると、米兵が妊婦を殴りつづけたので、女性を守るためにイラク兵士は発砲したという。 
 
──彼は憤慨して、占領軍(米軍)の兵士らに女性を殴るのは止めろと抗議しています。しかし通訳から伝えられた返事は、「何をしようと俺たちの勝手だ」でした。そこで彼は米兵に向けて発砲しました── 
 
これに対して、ロイターの質問を受けた米軍広報官は、いまも調査はつづいているが、米兵が女性に暴行を加えたことを示唆する事実は何もない、と疑惑を否定している。 
 
日本の新聞各社は5日に、米軍の発表をなぞって、イラク軍に侵入した武装勢力メンバーの犯行だとする記事を出した。そのあと続報はない。東京新聞が事件を報じたのは6日の朝刊だから、ロイター通信の記事を参考にする時間はあった。社のサイトに掲載された記事から引用する 
【4】。 
 
──米軍などによると、北部モスルで戦略上の拠点施設を建設していた際、イラク兵が米兵らを射殺。イラク兵は拘束され、スンニ派武装勢力と関係があると判明した。ロイター通信によるとイラク兵が故意に米兵を殺害したことが明らかになったのは旧フセイン政権の崩壊後、初めてという── 
 
米兵の行動に疑惑があると、ロイターは指摘しているようなのだが、東京新聞は採用しなかった。NHKニュースも6日の早朝に事件に関する記事をサイトに載せている。言葉つきはやさしいけれど、いつものことながら、政府筋の発表をそのまま伝えるだけで、疑惑には触れていない【5】。 
 
新聞企業も公共放送もそれぞれ編集方針というものがあって、わたしたちに必要な情報を取捨選択して伝えてくれる。アメリカの企業メディアも疑惑の報道はしていない。実はロイターにも採用しなかった話がある。先に引いた協会の声明では、米兵を殺害したイラク兵士の善行を讃え、すべての軍兵と警察官にこの英雄を模範とするよう求めていた【6】。 
 
中国政府は遠慮などしなかった。6日になって、政府が直轄する新華通訊社は、英語電子版に続報として、ロイター記事をかいつまんだような記事を出した【7】。見出しは「イラク兵に殺された米兵は妊婦を殴った」である。 
 
さらに同日早朝、イラクの独立系メディア、アスワト・アルイラク(イラクの声)がウェブサイトに事件に関する記事を掲載した。ここでは別の嫌疑が米兵らに投げかけられている【8】。 
 
──アメリカ当局は、事件の現場には一般市民がひとりもいなかったとして、イラク兵士が発砲したのは米兵がイラク人少女に性的な嫌がらせを行ったからだ、という嫌疑を否定した── 
 
▽戦場のジャーナリスト 
 
ムスリム聖職者協会は、アメリカによる侵略と占領を糾弾し、(大多数のイラク市民と同じように)多国籍軍の早期撤退を訴えている。だから、米兵の非道をただしイラク兵士の徳行を讃える声明文には政治目的があったと言われるかもしれない。アスワト・アルイラクは、米兵が少女を虐待したと示唆している。それはイラク社会に流布された物語に違いないが、情報の出所がわからない。 
 
ペンタゴンや占領軍やイラク軍の広報を信じることができるなら話は簡単だ。しかしそれでは「従軍記者」となってしまう。日本の記者クラブに詰めている「ジャーナリスト」と何の変わりもない。 
 
ここで、ひとりの非従軍記者を紹介する。名はアリ・アルファディリ。バグダッドを拠点として取材活動を行い、IPS【9】からつぎつぎと記事を配信している。アリとチームを組んで編集・校正を担当しているのが、一連のイラク速報で世界市民の圧倒的な支持を得たジャーナリスト、ダール・ジャマイル【10】である。 
 
アリはジャーナリストとして当たり前のことを行った。事件を目撃したイラク市民を捜し出し電話でインタビューしている。イラク兵士の親族にも取材して事実関係を確かめた。部族長に聞いた話も事件の背景を知る上で有効だった。 
 
以下に戦場のアリから送られた速報【11】を抄訳する。 
 
▽抄訳はじめ▽ 
 
1月7日、バグダッド発。 
 
二人の米兵がイラク兵士に殺害された事件によって、活動をともにするイラク人と米軍の関係に懸念があることが明らかになった。 
 
昨年12月26日、北部の街モスルで、合同パトロールを行っていたイラク兵士が米兵に向けて発砲し、大尉と軍曹を殺害、イラク人通訳をふくむ3人を負傷させた。 
 
この殺傷事件に関しては、これまで異なる報告が出ていて、互いに矛盾している。イラク兵士の叔父にあたるハジム・アルジュブーリ大佐が取材に答えた。甥のカイサル・サーディ・アルジュブーリは、米兵らに女性を殴るのを止めるよう求めたが拒否されたので発砲したという。 
 
──カイサルはプロの兵士です。アメリカ人らが女性の髪をつかんで乱暴に引きずり回したので反抗しました。彼は部族の男です。誇り高いアラブ人でもある。あのような乱暴を許すことはできません。カイサルは上官である大尉と軍曹を殺しています。自分が処刑されることは覚悟の上でした── 
 
事件を目撃したモスルの住民が同様の証言をしている。 
 
──アメリカ軍の大尉が、部下を連れて近所の家に踏み込むのを見ていました。女たちを怒鳴りつけて「男どもはどこにいるんだ」と聞いていた。誰かを捜していたのでしょう。女たちが知らないと答えた。家の男たちは何も悪いことはしていないと訴えながら、恐ろしさに泣き出しました── 
 
そこで大尉が怒鳴り始めると、米兵らは女性たちの髪をつかんで引きずり回したという。 
 
──後になってカイサルだったとわかったのですが、イラク兵士はアメリカ人らに「止めろ、止めろ」と大声を上げた。大尉は怒鳴り返した。するとイラク兵士は「畜生ども、女たちから手を離せ!」と叫んで銃を撃ちはじめました── 
 
そして兵士はその場から逃亡したという。 
 
スンニ派の組織であるムスリム聖職者協会は、声明文を公開して、イラク兵士は米兵らが妊婦を殴るのを見て発砲したと訴えている。 
 
協会の声明は、まず衛星放送チャンネル「アルラフィダイン」が伝え、すぐにイラク中の話題となった。イラク人の名誉を守るために犠牲となった「英雄」の物語をだれもが口々に話していた。 
 
米軍とイラク軍は、筋立ての異なる話を伝えている。取材に応じてくれたイラク軍大将によると、カイサルが攻撃したのは「スンニ派武装グループ」とつながりがあったからだという。 
 
また、イラク陸軍第2師団に所属する大尉は次のように述べた。 
 
──カイサル・サーディは武装グループの手先だ。彼は、グループに命じられて軍の動きを同志に報告していた。そういう奴らは陸軍にたくさんいる。「覚醒」と呼ばれる(米軍が資金提供している武装グループの)部隊にも入り込んでいる── 
 
勇敢な行為だったと陰でカイサルを讃える陸軍将校もいた。 
 
──アメリカ人にはいい薬になっただろう── 
 
大部族アルバガラの長、シェイク・ジュナ・アルダワルはバグダッドでこう話してくれた。 
 
──カイサルはガヤラのアルジュブール部族の出身です。あの部族は、アメリカ人には理解できない倫理観を持っています。カイサルは、ジュブール部族だけでなく、すべての部族の誇りであり、英雄となりました。彼の名が忘れられることはないでしょう── 
 
同様の思いを語るイラク人は多い。派閥に属さないバグダッドの政治家、モハマド・ナシルは次のように話した。 
 
──この事件によって、イラクの人びとは絆を失っていないことがまた明らかになりました。アメリカ人たちが、手なずけた者どもを操って、政治でなにを画策しようとも、この絆は切れはしない。人びとはカイサルを愛し、身の安全を祈っています。彼を守るためなら、喜んで何でも差し出すでしょう── 
 
アルジュブーリ大佐によると、カイサルは米軍と活動を共にするようになってから「あまりにひどい現実を知って我慢できなくなっていた」という。 
 
──わたしもアメリカ人に協力しました。自分は職業軍人ですし、彼らがイラク人を助けてくれると信じてもいた。しかし1年もたたないうちに、占領軍に手を貸すくらいなら飢えて死んだほうがいいと思うようになった。アメリカ人はひどいことばかりする── 
 
政治的に偏見がないと思われる筋からの情報によれば、アメリカとイラクの混成部隊に捕らえられたカイサルは、モスルのアルギズラニ基地に拘禁されて拷問を受けているという。 
 
最近、占領軍の戦死者数は減少している。それでも米国防総省の発表によると、2007年には901人の米兵が命を奪われ、[侵略が始まって以来]もっとも犠牲の多い年となった。 
 
△抄訳おわり△ 
 
▽百年の苦難、千年の断絶 
 
1月8日にニューハンプシャー州で行われた予備選では、ヒラリー・クリントン(民主党)とジョン・マケイン(共和党)がそれぞれ勝利した。イラク問題は選挙の焦点となっていないが、中東政策に関する両候補の考えはよく似ている。 
 
ヒラリーは、イラク新政権を安定化させ、電撃攻撃を可能にし、イランへメッセージを送るために、イラク領土に米軍基地を恒久的に置くことをもう2年も前から示唆している【12】。これは、ブッシュ・チェイニー政権の政策とまったく同じなのだが、あのブッシュでさえここまであからさまには言わなかった。また彼女は、イランを核兵器で攻撃する用意があることも否定しない。 
 
マケインは、1月3日、ニューハンプシャーで、米軍によるイラク占領が「100年つづくかもしれない」けれども「私はかまわない」と述べている【13】。100年とは「長すぎる」じゃないかと、大統領にたしなめられた。イランについては、07年4月19日、サウス・カロライナ州の講演で、マケインはビーチボーイズの替え歌を考案して、「爆撃、爆撃、とにかく爆撃」と歌ってみせた【14】。 
 
アメリカ大統領選挙に向かって長くつづくこの喧噪をイラク市民はどんな目で見つめているだろうか。 
 
イラク兵による米兵射殺事件は、ハディーサ虐殺事件に象徴されるように、米兵がどんな残虐な行いをしようとも罪に問われない現状を背景としている。1月4日、射殺事件が発覚する前日に、米海兵隊は、ハディーサで子どもや女性をふくむ24人の市民を殺害した海兵隊員を、ひとりも殺人罪で起訴しないと決定した【15】。 
 
▽名と命 
 
アリ・アルファディリは偽名である。記事を実名で公開しながらバグダッドに暮らし占領下で取材活動を行えば、きっと命を狙われるだろう。当然の配慮だった。占領が始まってから今日まで、イラク人によるジャーナリズムとメディア活動は278人もの犠牲者を出している【16】。 
 
バグダッドにファディルという地区がある。もしかしたら、ここの出身だろうか。アラビア語でアリは尊者を、ファディルは慈悲深さを意味する。わたしたちがこのジャーナリストの名を知るためには、イラクに平和が訪れる日を待たなければならない。 
 
(TUP解説/安濃一樹=TUP・ヤパーナ社会フォーラム) 
 
▽▽ 
 
【1】駐イラク多国籍軍、公式ウェブサイトより。"DoD Identifies Army Casualties (Mosul)," Official Website of Multi-National Force -Iraq, IMMEDIATE RELEASE No. 1442-07, December 28, 2007. 
 
 
【2】駐イラク多国籍軍、公式ウェブサイトより。"Soldiers allegedly killed by an Iraqi Army Soldier," Multinational Division-North PAO, Official Website of Multi-National Force - Iraq, IMMEDIATE RELEASE No. 20080105-04, January 5, 2008. 
 
 
【3】"Iraqi soldier shot dead two U.S. servicemen," Reuters (Jan. 5, 2008, 11:46 am EST). 
 
 
【4】「イラク兵が2米兵射殺 犯人は武装勢力の協力者」東京新聞(2008年1月6日)。 
 
 
【5】NHKニュースは、サイトに掲載した記事を古い順に削除している。この記事もすでにリンクが切れているので、全文をここに引用する。「イラク兵が発砲 米兵2人死亡」NHKニュース(2008年1月6日、午前4時35分)。リンク切れURLはこちら。 
 
アメリカ軍によりますと、イラク北部のモスル近郊で先月26日、アメリカ軍とイラク軍が合同でパトロールをしていたところ、イラク軍の兵士が突然、アメリカ軍に向かって発砲し、アメリカ軍の兵士2人が死亡、3人がけがをしました。発砲したイラク軍の兵士はその場から逃走しましたが、別のイラク軍の部隊に身柄を拘束され、取り調べを受けています。事件の背景について、アメリカ軍は調査中としていますが、イラク軍の兵士がアメリカ軍を狙って発砲した事件はイラク戦争後初めてとみられています。イラク軍は、武装勢力のメンバーが身元を偽ってイラク軍に入隊した可能性もあるとして、今回の事件を受け、今後、兵士を入隊させる際に身元の確認を厳しくする考えを明らかにしました。イラクでは、駐留する外国の軍隊からイラク軍や地元の警察に治安維持の権限を移すため、軍事作戦やパトロールなどを共同で行う機会が増えていますが、今回の事件が治安権限の委譲に向けた動きにも影響を与えかねないと波紋が広がっています。 
 
【6】"AMSI statement: Caesar is a role model," Road to Iraq(Jan. 5, 2008). 
 
 アラビア語の原文 は、協会のウェブサイトに掲載されている。 
 
【7】"Report: U.S. soldiers killed by Iraqi beat pregnant woman," Xinhua Online News (Jan. 6, 2008. 22:01:17). 
 
 
【8】"U.S. army says Iraqi soldier killed 2 MNF servicemen," Aswat Al-Iraq (Jan. 6, 2008. 3:03:37). 
 
 
【9】Inter Press Service (IPS): 
 
【10】米軍によるファルージャ殲滅作戦を取材したことで名高いジャーナリストのアーロン・グランツがジャマイルの新著に書評を寄せた。この中でグランツは、アラスカで救命レインジャーをしていたジャマイルが戦場のジャーナリストとなった経緯を説明している。「米国/イラク:無関心が広がるなかで、憤りをもって抗議する」アーロン・グランツ、サンフランシスコIPS、JANJAN(2007年12月4日)。 
 
 
 書評の原文は、Aaron Glantz, "BOOKS-US/IRAQ: Outrage in a Time of Apathy," IPS (SAN FRANCISCO; Nov. 13). 
 
 ジャマイルの新著は、仮題「グリーン・ゾーンを越えて:非従軍記者のイラク速報」。Dahr Jamail, Beyond the Green Zone: Dispatches from an Unembedded Journalist in Occupied Iraq (Haymarket Books; October, 2007). 
 
【11】"IRAQ: Killer of U.S. Soldiers Becomes a Hero," Ali al-Fadhily and Dahr Jamail, IPS (Baghdad: Jan. 7, 2008). 
 
 
【12】2006年1月18日に米プリンストン大学でヒラリー・クリントンが行った講演の筆記録より。 
"Full text of Hillary Rodham Clinton's address," The Daily Princetonian (Jan. 18, 2006). 
 
 
【13】YouTube のビデオ録画より。 
YouTube, "McCain: 100 years in Iraq 'would be fine with me'." 
 
 
【14】YouTube のビデオ録画より。 
YouTube, "Bomb bomb bomb, bomb bomb Iran." 
 
 
【15】"No Murder Charges Filed in Haditha Case: Four Marines 
to Face Lesser Charges After Two-Year Inquiry Into Iraqi Killings,"
The Washington Post (Jan. 4, 2008). 
 
【16】Bラッセル法廷による集計(08年1月6日現在)より。 
"ASSASSINATED IRAQI MEDIA PROFESSIONALS," The BRussells Tribunal. 


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