2008年04月26日14時58分掲載  無料記事
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市場原理主義者よ、腹を切れ 世界の食料危機に直面して 安原和雄

  地球規模の食料危機が深刻な局面を迎えている。しかし日本の食料自給率は先進国のなかで異常な低水準に落ち込んでおり、危機への対応力を失っている。今日の食料危機は10年以上も前から予測されていたにもかかわらず、その備えを怠ったのはなぜか。市場開放と市場原理を万能視する市場原理主義が横行したためである。 
 適切な対応策を打ち出すためにはまず責任を明らかにする必要があるだろう。私は「市場原理主義者よ、腹を切れ」と言いたい。さらに自給率を引き上げていくために「食料主権の確立」と「田園価値の再生」の2本柱を掲げる時だと考える。 
 
▽「緊急事態」となった世界の食料危機 
 
 世界の食料危機についてこの20日間にメディアで報じられた記事や論評を以下にいくつか紹介する。国連事務総長は「緊急事態」との危機感を繰り返し示している。 
 
(1)コメ急騰で「自国の食」確保の動き 
・コメ先物、最高値更新続く シカゴ市場 
・コメ急騰 最大輸入国フィリピンを直撃 
 世界最大のコメ輸入国フィリピンでは、今年になって国際市場での価格急騰などの影響でコメ価格が約30%も上がり、国民生活を直撃している。1000万トンの国内生産だけではまかなえず、コメ消費量の20%を輸入に依存している。 
 市民行動党の下院議員は「コメの国内生産量は減っていない。農産物の市場開放一辺倒を改め、〈食料主権〉確立をめざす政策に転換せよ」と訴えている。 
・ベトナムのコメ輸出制限 「自国の食」確保第一に 
・輸出大国タイでコメ不足 
 世界最大のコメ輸出国タイで輸出削減をしていないため、国内でコメ不足の懸念が強まっている。 
 
(2)食材急騰が貧困層を襲う 
・国際市場価格の高騰ぶり 
 小麦=3.3倍(過去3年間で) 
 この1年で60〜80%値上がりし、貧困層が困窮に追い込まれている。 
 大豆=2.5倍 (同) 
 トウモロコシ=2.5倍(同) 
 コメ=2倍(この3か月で) 
・穀物急騰 途上国を直撃 暴動で死傷者多発 広がる「自国分確保」 
・食材高騰 貧困層襲う 米国学校給食ピンチ 
 米メディアによると、給食の値上げを発表する学校が全米各地で相次いでいる。貧困問題を抱える米国にとっては、学校給食が子どもたちの命綱ともなっている。 
・中南米諸国、食料値上げ 新たに極貧状態1500万人 国連ラテンアメリカ・カリブ海経済委員会(ECLAC)が警告 
 
(3)飢えたる者たちの反乱も 
・食料高騰 国連世界食糧計画(WFP)が警告 
 30か国が食料危機になり、うち23か国が「深刻な情勢」と警告を出している。また世界的な食料価格の高騰を「静かな津波」と警告する声明を発表した。声明は「価格高騰はWFPの45年の歴史で最大の課題だ。静かな津波はすべての大陸で1億を超える人々を飢餓に陥れる恐れがある」と述べている。 
・飢えたる者たちの反乱 
 世界中でコメや小麦、トウモロコシの価格が過去最高になっている。数百万の人々が飢える一方で、価格高騰を招いた要因は何一つとして解決される気配がない。食料価格の高騰は各地で社会不安の引き金になりつつある。日々のパンを手に入れることができない持たざる者の怒りは、政府を倒しかねない。 
・食品高騰 貧しい人々への「大量殺人」 
 国連特別報道担当官は、経済のグローバル化による富の独占や多国籍企業による投機を「構造的暴力」と批判した。食品高騰で貧しい国が苦しんでいる現状について「飢餓はマルクスが考えたように、避けられない運命というわけではない。むしろ犠牲者の背後に殺人者がいるというべきだ」と指摘した。さらにいつの日か、飢えに苦しむ人々は、その迫害者に対して立ち上がるかもしれないとして、「これはフランス革命が可能だったように可能だ」と述べた。 
 
(4)食料サミットの開催へ 
・食料への投機禁止を 研究者が英紙へ寄稿 
 ロンドン大学の世界保健研究所長は、ガーディアン紙につぎのように書いている。「食料価格高騰は、農産物市場への投機がつくりだした。食品は投機の対象から外されるべきだ。市場の変動で儲ける者は、多数の母親やこどもたちの命を犠牲にしている」と。 
・バイオ燃料の増大が貧困層の食料脅かす FAOが警告 
国連食糧農業機関(FAO)の中南米地域会議は「エタノールなどバイオ(生物)燃料への農作物(サトウキビ、トウモロコシ、大豆など)利用が急速に進めば、食料生産にマイナスとなり、食料不安の恐れがあり、貧困層の食料入手が脅かされる」と警告している。 
・国連、食料サミットを検討 価格急騰の混乱で 
 国連は食糧価格の急騰による世界的な混乱を受け、国連事務総長が、世界の首脳らを集めて対策を話し合う「食糧サミット」の開催を検討していることを明らかにした。事務総長は「緊急事態」との危機感を繰り返し示している。 
・食糧問題も洞爺湖サミットの主要議題に 
 
〈安原のコメント〉 
 多様なメディアをまとめて目を通してみた印象は、食料危機の深さと広がりが予想を超えて進みつつあるということである。「構造的暴力」、「飢えたる者たちの反乱」、さらに「フランス革命の二の舞」という認識さえうかがうこともできる。需要供給のアンバランス、という市場原理主義的な捉え方ではつかめない危機といえる。 
 現存秩序の根っこからの改革なしに修復は難しいという印象がある。危機を経て、新しい未来を創造するための歴史的かつ地球規模の陣痛が始まっているのではないか。 
 
▽食料危機は10年以上も前から予測されていた 
 
 私(安原)は今から13年前の1995年はじめの時点で拙著『知足の経済学』(ごま書房、1995年4月刊)で「自給率の低下と世界的な食糧不足」という見出しでつぎのように指摘(趣旨)した。 
 
 日本はすでに食糧輸入大国であり、その結果、食糧自給率がいちじるしく低下している。無神経に自給率の低下を放置してきたのは先進国では日本だけである。 
 このように日本の食糧自給率が低下しているときに、実は世界的な食糧不足が急速に進行しつつある。暖衣飽食の中で大量の食べ残しを平然とやってのけるのが当たり前の風景になっている多くの日本人には想像を絶することであるにちがいないが、世界的な食糧危機はすでに始まっている。阪神大震災が突如襲ってきたきたように食糧不足もある日突然日本列島に襲いかかってくるかもしれない。 
 
 世界の1人当たりの穀物生産は、1984年を境に減少に向かっている。穀物生産の伸び悩みは決して一時的な現象ではない点に深刻な問題がひそんでいる。なぜなら大気汚染、土壌浸食、地下水の消耗、土壌有機物の減少、潅漑地の塩害などを背景に耕地の生産性向上が頭打ちになっているからである。いわば地球規模大の環境破壊が穀物生産に深刻な影を投げかけているともいえるのである。 
 近い将来、飢餓に苦しむ人々が大群となって越境移動する可能性もすでに指摘されている。対応策は、先進国での1人当たりの穀物消費量を大幅に削減し、食生活の水準を落とす以外にない。いまのところ先進国とりわけアメリカと日本では飽食、片や発展途上国では欠食というアンバランスの状態になっているが、先進国だけがいつまでも安閑としていられる状況にはない。やがて地球上のあちこちで食糧争奪戦が始まる可能性があるといっても過言ではない。 
 
〈安原のコメント〉 
 以上の記述は私の独断ではなく、当時、世界の心ある人々は指摘していた。しかし飽食の最中にあり、しかもバブル経済の後始末でウロウロしていた当時の日本では多くの人の耳には届かなかった。末尾の「地球上のあちこちで食糧争奪戦が始まる可能性」はすでに現実化している。私に悔いが残るのは、「もっと大きな声で警告すべきであった」に尽きるような気がしている。 
 
▽自給率の異常な低水準を招いた責任を問う 
 
 日本の食料自給率(カロリーベース)は1965年の73%から低下し続け、2006年以来39%という先進国では異常な低水準で推移している。また穀物自給率(重量ベース)は1965年の62%から06年には27%にまで落ち込んでおり、これも人口1億人以上の国の穀物自給率としては最低である。最下位から2番目のメキシコが64%で、日本の2倍以上となっている。 
 
 なぜこのような異常な低水準を招いたのか。その責任は市場メカニズムを万能視し、農畜産物の市場開放に積極的に動いた政治家、経済人、官僚、研究者ら一群の市場原理主義者にあるといえる。 
 
 日本は1995年にコメの部分開放(注)へ政策転換した。 
 (注)部分開放の内容は、コメの自由化を猶予される代わりにとりあえず95年からミニマム・アクセス(最低輸入義務量)として国内消費量約1000万トンの4〜8%に相当する外国産米を輸入するというものである。 
 
 当時のコメ開放に関する市場原理主義者(=市場開放論者)の言い分は以下のようであった。 
*コメの開放は経済合理性に基づいた当然の政策である。国内産のコメが海外に比べて割高である以上、安い外国産を輸入するのは合理的である。 
*コメに限らない。他の食糧についても海外から輸入した方が目先き有利であれば、大いに輸入し、その結果、食糧自給率が低下しても当然である。 
*国際化(海外からの自由化の要求)への対応こそ重要である。日本は工業製品の輸出によって巨額の貿易黒字を稼いで、海外の市場開放の恩恵を受けているのに、一部にせよ、自国の市場を閉鎖状態にして置くことはもはや通用しない。 
 
 こういう考え方は、米国をはじめとする海外からの日本に対する農産物市場の自由化(=開放)要求を受け容れるのに都合のいい理屈であった。しかもカネの裏付けのある有効需要、つまり輸入需要があるかぎり、海外からの食料供給は無限であろうということを暗に前提にしている。 
しかしこの前提条件が最近の食料危機で崩壊してきた。食料輸出国では「自国分」の確保を最優先する動きが高まってきているからである。こういう事態は予測できたにもかかわらず、市場開放論者すなわち市場原理主義者は無視した。その責任は甚大だというべきである。 
 
 私は「市場原理主義者よ、腹を切れ」と言いたい。この一見過激にみえるが、実は至極もっともな言い分は、私の独創ではない。奥田硯・前日本経団連会長、現トヨタ自動車相談役が日経連会長、トヨタ自動車会長だった頃、「経営者よ、クビ切りするなら切腹せよ」(『文藝春秋』1999年10月号)と論じた。私はこの論文を読んで、「経営者にも骨のある人物がいるのか」と企業の安易なリストラ(人員削減)旋風が吹き荒れていた当時、感銘したのを今思い出している。その言い分にあやかったにすぎない。 
 ただ市場原理主義者の責任を追及するだけで事足れり、とするわけにはゆかない。自給率を向上させ、食料危機を乗り越えるには何が求められるのか。必要不可欠な条件として「食料主権の確立」と「田園価値の再生」を掲げたい。 
 
▽「食料主権の確立」をめざして 
 
 食料主権(Food Sovereignty)という概念は、1996年世界食料サミットにおけるNGO・世界フォーラムの声明で初めてうたわれた。「すべての国は、自国にとって適切と考えられるレベルの食料と栄養価を自給する権利を有し、それによっていかなる報復もこうむるようなことがあってはならない」と。 
 こういう食料主権が打ち出された背景にはつぎのような事情があった。 
*地球上における8億5000万人の飢餓・栄養不足人口の存在 
*その背後にある伝統的小農業・家族農業の解体、自給の崩壊、農民の土地からの引き剥がし 
*世界貿易機関(WTO)発足によって自由貿易がすべてに優先する体制へ転換 
 
 さらに世界の社会・民衆運動の一つ、「農業改革と農村の発展に関する国際会議」(2006年3月開催)に提出された文書、「食料主権に基礎をおいた農業改革」は「政府がやるべきこと」(公正な政策)としてつぎの諸点を挙げている。 
*すべての農漁民に十分で適切な価格を保障する。 
*安い輸入農産物から国内産を守る権利を行使する。 
*国内市場で生産を調整する。 
*農業生産の永続性を壊し、不公正な土地保有形態を推し進めたり、資源や環境を壊すような国内補助金を削減する。(以上は、ブログ「大野和興の農業資料室」から) 
 
 日本消費者連盟編『食料主権』(緑風出版、2005年刊)はつぎのように述べている。 
 「食料主権には、食物を作る権利だけでなく、選ぶ権利、安全に食べる権利など生存権ともいえる幅広い権利が含まれる。グローバリゼーションにより農業生産や食料への企業支配が強まった結果、自然・生命・人権の侵害が起きて貧困は拡大している。世界の農民・消費者運動が多国籍企業やWTOなどに対抗するために掲げ、追求しようとしているのが食料主権である」と。 
 
 国連人権委員会が採択した食料主権に関する決議(2004年)はつぎのように指摘している。 
 「各国政府に対し、人権規約に従って〈食料に対する権利〉を尊重し、保護し、履行するよう勧告する。〈食料に対する権利〉に重大な否定的影響を及ぼし得る世界貿易システムのアンバランスと不公平に対しては、緊急の対処が必要である。〈食料主権〉のビジョンが規定しているように、食料安全保障と〈食料に対する権利〉に優先順位を置くような農業と貿易のための新たな対抗モデルを検討すべきである」と。 
 この決議はWTOや多国籍企業が求める市場原理主義的な自由化に反旗を掲げている。この決議に反対したのは市場原理主義の総本山、米国だけで、日本政府は賛成している。 
 
 食料主権は、一見してかつての農業保護論に逆戻りするための権利かという誤解を招くかもしれない。そうではない。強調したいのは工業はいのちを削る産業だが、農漁業は本来いのちを育てる産業であるという特質の違いである。工業と違って効率一辺倒では育たないことを指摘したい。農漁業はそもそも弱肉強食のすすめを根幹に据える市場原理主義とはなじまない。そういう配慮を怠った結果が日本の自給率の異常な低下である。食料主権をどう広げ、定着させていくかが緊急の課題となってきた。 
 
▽多面的な「田園価値」の再生に取り組むとき 
 
 水田、畑、里山、森林、湖沼、河川などからなる広い意味の田園には2つの役割がある。 
 1つはコメ、野菜、果物、山菜、酪農品など市場価値の生産・供給である。これは食料の供給基地としての役割である。 
 もう1つは私が「田園価値」と呼んでいるもので、食料のような市場価値とは違って田園が本来持っている非市場価値を指している。この田園価値は市場での交換価値はないが、一人ひとりの生活にとってなくてはならない貴重な価値である。そういう田園価値は、田園の多面的機能あるいは外部経済機能(=「外部経済」効果、つまり市場メカニズムを経ないで暮らしや経済活動に及ぼすプラスの影響、効果)ともいわれるもので、具体的には次の3つに大別できる。 
 
(1)国土・生態系の保全機能 
・自然のダム機能=洪水の防止に貢献 
・地下水の補給 
・表土のエロージョン(浸食、流失)の防止と土壌の保全 
・自然の多様な動植物からなる生態系の保全 
 
(2)自然・環境の保全機能 
・美しい田園(棚田も含めて)、きれいな川、緑地など景観の保全と創造 
・大気の保全・浄化や汚水の分解 
・静かな環境の形成と維持 
・自然のエア・コンディショナーとしての効果 
 
(3)社会的、教育的、文化的機能 
・都市文明限界論=工業社会の行き詰まりによる農業(本来は低エントロピー、つまり汚染度の低い生産の場)の価値の再評価 
・都市と農山村の交流=食べ物、祭、演劇、音楽、スポーツによる交流 
・田園の教育的効果=子どもの山村留学、原始生活、児童農園などでの体験を通じて四季の変化が豊かであること、大自然や農業が生命を育てる世界であることを学ぶこと 
・田園における人間性(安らぎ、くつろぎ、優しさ、こころの癒しなど)の回復 
・コメ文化(=稲作の文化性)、特に個性に富む日本酒と和食の文化(=料理、食器などの多様性) (祖田修著『コメを考える』、岩波新書) 
 
 以上のような田園価値は主として非市場価値だから、貨幣価値に換算しにくいが、試算による評価総額は約8兆2000億円(農水省が2001年に公表)にのぼる。これは、農業総産出額8兆3000億円(07年)に匹敵する。 
 また多面的な田園価値の総評価額、つまり森林農地の洪水防止機能、地球温暖化抑制機能、水田の水質浄化機能などの便益から、水質汚濁など環境面への負荷を差し引いて得られる評価額は約37兆円という試算もある。要するに田園は総体として自然と人間にとって不可欠の巨大な価値を創造している。 
 
 自由競争と私的利益の追求を説いたことで知られるアダム・スミス(1723〜90年、イギリスの経済学者)でさえ、古典的著作『国富論』で農村と田園生活の魅力についてつぎのように述べていることを紹介したい。 
 「田舎の美しさ、田園生活の楽しさ、それが保証してくれる心の平穏さ、― これらはあらゆる人を引きつける魅力をもっている」と。 
 
 このような田園価値を再生し、大切に育てていくことは一人ひとりの生活の質的な向上にとって欠かせない。ところが現実には日本の田園は粗末に扱われ、破壊されてきた。食料自給率の向上と田園価値の再生は表裏一体の関係にある。今こそ田園価値の再生を重視し、取り組むときである。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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