2008年06月07日11時41分掲載  無料記事
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「もったいない」を生かす時 船場吉兆の廃業から学ぶこと 安原和雄

  高級料亭「船場吉兆」がついに廃業に追い込まれた。客が残した料理を歪められた「もったいない」精神から別の客に回していたことが発覚したことがきっかけとなった。消費者軽視の表れ、という声もあり、決して褒めた話ではない。 
 しかし「もったいない」精神を蔑(ないがし)ろにする行為、事例は身近な暮らしから国の政策に至るまで日常茶飯事に発生している。船場吉兆を非難して、事足れり、と自己満足しているようでは、やがてわが身に災難となって降りかかってくるだろう。船場吉兆の廃業から学ぶべきことは何か。この機会に「もったいない」精神をどう生かすか、そのためにはどこにメスを入れたらよいのかを改めて考えてみる。 
 
▽心得違いだった「もったいない」 
 
 船場吉兆(大阪市中央区)女将(おかみ)の湯木佐知子社長(71)らが08年5月28日午後、大阪市内で記者会見を行い、再建を断念し、廃業することを発表した。07年10月以降、食品の表示偽装などが次々と発覚、湯木新社長の下で再建に取り組んできた。ところが6〜7年前から当時の社長の指示で、客が残したアユの塩焼き、ゴボウをウナギで巻いた「八幡巻き」など6種の料理を別の客に回していたことが5月初めに明るみに出て、客足が激減し、行き詰まった。 
 
 残った料理を使い回していたことについて大阪市保健所は5月2日、本店立ち入り調査をした。食品衛生法には問われないものの、同保健所は「健康被害を招きかねず、今後、使い回しはあってはならない」と口頭で指導した。 
 料理長の説明によると、「まだきれいなものを、もったいない精神と言いますか、見るからに使えそうなものであれば、足りなくなったとき、お出ししたりした」という。(毎日新聞08年5月3日付) 
 
 私(安原)はブログ「安原和雄の仏教経済塾」(07年10月21日付)につぎの見出しの記事を掲載した。 
正しい「もったいない」精神を 
老舗「赤福」の不祥事に考える 
 
 これは創業300年の歴史を誇る餅菓子の老舗「赤福」(本社・三重県伊勢市)が売れ残り商品の製造日偽装問題で本社工場が営業禁止処分(07年10月19日)となった不祥事である。回収品の再使用などのルール違反をつづけていたもので、社長は「もったいない」を回収品再使用の理由に挙げていた。 
赤福は、屋号・商品名で、その由来は「赤心慶福」である。「赤心慶福」は、「赤子のような、いつわりのないまごころを持って自分や他人の幸せを喜ぶ」という意味があるそうで、これは「もったいない」という心遣いにつながっている。 
 
 しかしその「もったいない」に心得違いがあった。同じ心得違いでも、船場吉兆は廃業に、一方、赤福は営業を再開しており、明暗を分けている。 
 
▽「もったいない」精神を実践しよう! 
 
 さて本来の「もったいない」(勿体ない)とはどういう含意なのか。つぎの3つの意味に大別できる。 
(イ)人間や物事が粗末に扱われて惜しい。有効に生かされず残念だ。用例:まだ使えるのに捨ててしまうのはもったいない。 
(ロ)神聖なものがおかされて恐れ多い。用例:神前をけがすとはもったいない。 
(ハ)好意が分(ぶん)にすぎて恐縮だ。用例:お心づかいもったいなく存じます。 
 
 最近では(イ)の意味に使われることが多い。 
 例えば地球・自然環境の汚染・破壊、資源エネルギーの浪費、大量の廃棄物(ごみ)を出すこと ― などはまことに「もったいない」ことといえる。7月上旬北海道で洞爺湖サミット(主要国首脳会議)が開かれる。主要テーマは地球温暖化対策をどう進めるかであり、もちろん「もったいない」精神に立って地球規模で環境保全、資源節約をどう広めていくかと深くかかわっている。 
 
 世界的な食料不足が深刻になっている折から、いまこそ「もったいない」精神の実践が求められる。料理店などでの大量の食べ残しや売れ残り、家庭での大量の生ゴミの排出 ― などは、今に始まったことではないが、日常茶飯事に起こっている「もったいない」というほかない事例である。食べ残しや売れ残りを廃絶することが望ましいが、そこまではいかなくても、大幅に削減するには大量生産 ― 大量消費 ― 大量廃棄という今日の生産・消費構造そのものをどう改革するかが避けて通れない。 
 
▽後を絶たぬ税金乱費の公共事業 
 
 巨額の税金の無駄遣いも見逃せない。 
 年間約5兆円の軍事予算、数十兆円にも及ぶ道路を含む様々な公共事業、さらに宇宙基本法(5月21日成立)がもたらすだろう宇宙の軍事利用に伴う巨額の無駄遣い(ブログ「安原和雄の仏教経済塾」・08年5月29日付=参照)― など数限りない。いずれも「もったいない」精神に根本から反するものである。 
 
 最新号の『週刊ポスト』(08年6月13日号)が「ムダ大型公共事業」一覧表を掲載しているので、以下に紹介する。(なお金額は総事業費で、かっこ内の年次は計画された年) 
1.第2東名神高速道路=10兆円(1987年) 
2.北陸新幹線=4兆1000億円(73年) 
3.首都圏中央連絡自動車道=3兆円(87年) 
4.関西国際空港2期工事=1兆4200億円(87年) 
5.八ッ場ダム(利根川支流、吾妻川に建設中の多目的ダム)=4600億円(52年) 
6.アイランドシティ整備計画(博多湾沖に建設中の人工島)=4600億円(94年) 
7.長崎新幹線=3800億円(73年) 
8.川辺川ダム=3300億円(66年) 
9.静岡空港=1900億円(96年) 
10.吉野川可動堰=1030億円(91年) 
 
 さらに同誌は、反対の声が高まっている八ッ場ダムについてつぎのように記している。 
 
 福田首相の地元・群馬県の吾妻川上流で「無駄な巨大プロジェクト」の代名詞といわれる「八ッ場(やんば)ダム」の建設計画が延々と進められている。 
 水没する予定の川原湯地区の旅館経営者がこぼす。 
 「ダムは本当にできるんかね。50年間、いつまでたっても本格工事は始まらないのに、国は工事用の土砂を運ぶための道路ばかり作っておる。小学校も全校生徒31人に減ったのに、校舎を建て替え、温水プールまで造った。関連事業ばかりで、工事事務所の役人の人件費だけでも50年間でいくらかかったことやら・・・」― と。 
 
▽巨悪にこそ監視の目を光らせる時 
 
 以上のような国レベルの税金乱費に比べれば、07年の赤福不祥事、そして今回の船場吉兆廃業は、商人道に反する企業のイメージを印象づけてはいるが、有り体にいえば、ささいなエピソードにすぎない。なぜなら消費者には自由な選択権を与えられているからである。店を選び、贅沢を抑えれば、被害に遭うことも少ない。消費者としては消費者主権、つまり生産者(業者など)よりも消費者こそが主役という自覚が必要であるだろう。 
 
 それにしても相手が国家権力(軍事力、警察力、徴税権を掌握している点が最大の特質)となると、自由な選択は容易ではない。国家権力を牛耳り、税金を食い物にする巨悪にこそ監視の目を光らせる時である。それを怠ると、肩に重く食い込む大きな負担増などの災難がやがて大衆のわが身に降りかかってくる。 
 最近の一例を挙げれば、後期高齢者医療制度(75歳以上を対象に4月実施)という名の老人いじめがすでに始まっている。 
 
 しかも巨額の消費税増税案が急浮上してきた。国民の生存権に必要な社会保障費の自然増について小泉政権以来毎年2000億円超を抑制してきた、その一方で消費税増税への動きである。地方を含む国の借金総額は700兆円を超える。「巨額の借金を孫の代にまで残していいのか」というのが理由らしい。 
 
 しかし問われるべきは、これほどの借金をいったい誰がつくり、誰がその果実をポケットに収めたのか、である。さらに今後もポケットにねじ込もうとしているのか。上述の「ムダ大型公共事業」一覧表がそれを明示している。「盗人に追銭」のような無駄遣いを続ける時期はとっくに終わっているはずである。 
 
 最大の課題は巨悪をどう退治するかである。船場吉兆廃業の発表を行う女将さんがテレビで平身低頭する姿に、ほくそ笑む巨悪の影が二重写しになっているのをみたような気がする。その巨悪たちが神妙に頭を下げ、退場するのは、いつの日なのか。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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