2008年06月14日15時09分掲載  無料記事
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憲法9条伝えるのは老人の役割 日野原翁と対談:福島社民党首 安原和雄

  とにかくお元気な翁である。ご老体と呼ぶには精神的に若すぎる。その日野原重明(ひのはら・しげあき)さん(聖路加国際病院名誉院長・同理事長)は、今年(08年)10月4日の誕生日に満97歳を迎える。著書も数え切れないほど多い。日野原翁と福島みずほさん(社民党党首)との対談が目に留まった。日野原さんは現役の平和運動家でもあり、対談では「憲法9条を子どもに伝えるのは、戦争を知っている老人の役割」― などと強調している。 
 
 
 日野原さんと福島さんの対談が掲載されているのは、「みずほと一緒に国会へ行こう会ニュース」(08年6月1日発行 NO.38)で、「月刊社民」08年5月号より部分転載、となっている。ぜひ多くの人に読んでもらいたいという思いに駆られて、その大要を以下に紹介する。文中の(注)は安原が記した。 
 
▽ジョン万次郎の家を日米友好記念館に 
 
 福島:ジョン万次郎(中浜万次郎・注1)がアメリカで最初に過ごしたマサチューセッツ州の住宅を修復して、日米友好記念館にする計画を進めていらっしゃる。・・・ 
 日野原:万次郎は14歳でアメリカに行って立派に成長し、ペリーの来る前に帰国してアメリカの実情を幕府に伝え、「早く門戸を開けなさい」と言って、勝海舟や福沢諭吉をサンフランシスコまで連れて行ったりした。こういう日本人はちょっといないですよ。 
 万次郎の写真を1000円札に採用してほしいという運動も起こそうと思っている。1000円札なら子どもも使うでしょう。14歳の少年がアメリカ人に可愛がられて、その恩返しをしたという話は、子どもたちに希望を持たせると思います。 
 
 福島:私が感動するのは、万次郎自身が特別な身分ではなく、普通の漁師の子どもだということなのです。 
 日野原:そうですよ。万次郎が教育を受けた町にルーズベルト元大統領(世界大恐慌後の1933年から第二次大戦中までのアメリカ大統領、1882〜1945年)のお祖父さんがいたのです。お祖父さんはルーズベルトに「あんな少年になれ」と言ったらしい。それでルーズベルトは大統領就任の時に万次郎のお孫さんを招待したのです。 
 福島:当時の日本の寺子屋という教育システムが良かったのかどうか・・・、普通の人が本当に徳を持って頑張っていたということですね。 
 日野原:そういう素質があったところに、万次郎を自分の子どものように育てようというアメリカ人がいたからでしょうね。それが素晴らしいですよ。 
 
 (注1)中浜万次郎(本名・1827〜1898年)は江戸末期、明治前期の英語学者。土佐(高知県)中ノ浜の漁民で、1841年出漁中に遭難し、アメリカの捕鯨船に救われる。以来10年間ハワイ、アメリカ本土で過ごし、英語・航海・測量などを学んだ。1851年に帰国し、江戸幕府などに海外の新知識を伝えた。1853年ペリー(アメリカ海軍軍人)の浦賀来航、開国要求を経て、万次郎は1860年咸臨(かんりん)丸(艦長・勝海舟)で遣米使節団の通訳として渡米した。 
 
▽日本は武装をしない裸の国へ 
 
 福島:会長を務められている「新老人の会」にも入りました。 
 日野原:僕の「新老人の会」は究極的には平和運動です。憲法9条を子どもに伝えるのは、戦争を知っている老人の役割です。今後、改憲を問う国民投票が行われたとしても、自衛隊を自衛軍にする案には絶対に反対しなければいけない。やはり年をとった人が立ち上がりなさい、そういう運動です。 
 福島:絶対に長生きしてもらわないと困りますね。万が一、国民投票になれば反対を投票してもらわないといけないし。 
 日野原:そのために長生きの術を心得なければなりません。「新老人の会」は今、会員が6063人(2008年4月4日現在)、来年中に1万人にしたいのです。「夫婦で会員になって下さい」と呼びかけています。20歳以上はサポート会員です。やがて会員が5万人になると、日本を動かせるのです。 
 福島:それが平和の思いになるといいですね。 
 日野原:僕は、もっともっとはっきり「日本は武器を捨てる」というべきです。現状はアメリカの核兵器に守られているのだから、日本が核を持っているのと同じですよ。とんでもない国です。 
 
 福島:国会では戦争を知らない2世、3世議員が勇ましいことを言うけれども・・・。 
 日野原:近年、新聞(全国紙)は、12月8日の太平洋戦争開戦日について何も書いていません。真珠湾攻撃を受けたハワイでは、きちんと行事があるというのに。今、日本人のほとんどが満州事変(注2)も盧溝橋(ろこうきょう)事件(注3)も知らないし、旧日本軍が南京(なんきん)で何万という市民を殺したことも知りません。 
 僕は京大医学部4年生の時に、先輩の石井四郎中将(731部隊・注4)から南京で妊婦を銃剣で突いているフィルムを見せられました。旧満州(現中国東北部)のハルピンで10人ほどの捕虜を独房に入れて伝染病の菌を食べさせたりして、菌が入って何日目に熱が出て、何日目に脳症を起こし、何日目に死んだという記録も見せられました。 
 
 福島:実際に授業を受けられたというのも、すごい話ですね。 
 日野原:みんな自分が殺しているような感覚になって、気持ちが悪くなって貧血を起こして倒れるのです。そうしたら彼は「誰だ貧血で倒れるのは。そんなことでは日本の軍医になれない」と言って脅すのです。でも彼は戦犯になっていません。 
 福島:そうですね。731部隊は罪を問われていません。 
 日野原:米軍が石井さんから、いろいろな細菌戦情報をもらうために戦犯を免責にしたのです。今の日本人は、そういう歴史を知らないのではないでしょうか。それを思ったら自衛軍をつくるなんてとんでもない。日本は武装しない裸の国になって、もういいことしかしないということを世界に宣言すれば意味がありますよ。 
 
 (注2)旧日本軍の関東軍参謀らが1931年(昭和6年)9月18日、柳条湖の満鉄線路を爆破し、それをきっかけに満州事変が始まった。 
 (注3)中国・北京市南郊の盧溝橋付近で、1937年(昭和12年)7月7日夜日中両軍が衝突し、日中戦争のきっかけとなった。 
 (注4)「731部隊」は旧日本軍が細菌戦の研究・実施のために1933年(昭和8年)に創設、ハルピンに置いた特殊部隊の略称。秘匿名は「満州第七三一部隊」、正式名は「関東軍防疫給水部本部」。中国で細菌戦を実施するとともに、生体実験や生体解剖を行い、多くの捕虜がその犠牲になった。部隊長は石井四郎(1892〜1959年)。 
 
 福島:日本がどうやって平和な国であり続けられるのか、もっと前進できるのか、もっと考えてみます。 
 日野原:もう、裸になるのが一番。裸になってどうして占領されますか。占領されるような気配があったら、国連は黙っていませんよ。犠牲はあっても仕方がない。インドのガンディーが殺されたように、アメリカのキング牧師がピストルで撃たれたように。インドはその犠牲によって無抵抗で独立しました。 
 
▽いま伝えたい大切なこと ― いのち・時・平和 
 
 福島:先生の『いま伝えたい大切なこと―いのち・時・平和』(NHK出版)などを読ませて頂いています。特に印象深かったのは、「命というのは時間である」と書いてある部分です。 
 日野原:寿命というのは時間です。時間を自分がどう使うか。それが私たちのミッションなのです。『10歳のきみへ〜95歳のわたしから』(冨山房)という本は読みましたか。 
 僕が「日本人は寿命が長い」と言ったら、10歳の子どもが「寿命という大きな空間の中に、自分の瞬間、瞬間をどう入れるのかが私の仕事だ。とても難しい仕事だ」という感想文を書いた。それを慶応義塾大学の学生に読んだら「僕たちは今まで名門の大学に入ろうということしか考えなかった。いのちのことを考えたことは1回もなかった。10歳の子どもがそう言うのを聞いて涙が出た」という学生が2人いました。 
 福島:先生は子どもたちに命をどう教えるか、一方では高齢者の皆さんに立ち上がって平和のことを言ってもらうこと。この2つをとても大切にされていますね。 
 日野原:それが一番大切なメッセージです。そのために長生きして下さいと言っています。 
 
▽新老人の生き方―3つの選択 
 
 福島:もう一つ心に残っているのは、『生きかたの選択』(河出書房新社)で「新老人の生き方」として3つ提案されています。1つが人を愛し愛されること、2つ目がやったことのない創造的なことをすること。 
 日野原:その思想は、僕が60歳の時にマルチン・ブーバー(注5)の「やったことのないことを始める老人は老いない」という哲学を読んでハッと思ったのです。 
 
 (注5)マルチン・ブーバー(1878〜1965年)はオーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者。フランクフルト大学教授などを歴任、主著は『我と汝』(1923年)。 
 
 福島:3つ目が粘り強く耐えることですね。 
 日野原:耐えることによって、本当に不幸な人の気持ちが分かる。自分が失敗したり病気にならないと、分からないのです。僕が病気を分かっているのは1年間、結核でトイレに行けないほど苦しんだから。病人のそばに行くと、僕の態度や言葉が患者さんの心に通じるの。 
 福島:先生の行動力、発言力はすごいと思います。 
 日野原:年を取ると勇気が出るのです。若いときよりも、今のほうが勇気があるのです。 
 福島:積み重ねてこられた人生があるし、先生がおっしゃることだったら、「そうか」と耳を傾ける人が多いと思います。 
 
 日野原:自分のためにやるのではない。みんなの命のためにいいことを、やろうとしているから。 
 私は(1970年に)ハイジャックされた「よど号」に乗り合わせましたが、帰ってくることができました。皆さんが同情していろいろな見舞いを下さったのですが、それに対するお返しは、別の人に返していくことで社会が良くなるのだと思いました。学校の社会科の時間は、そういうことを教えるべきです。 
 福島:たしかにそう思いますね。私も育ててくれたたくさんの人がいるけれど、別の形で社会に返したいと思います。これからもますますお元気で、多彩なご活躍を楽しみにさせて頂きます。今日はありがとうございました。 
 
〈安原のコメント〉― 日野原翁の若さの秘密は ? 
 
 日野原さんが若さを持続させている秘密は何だろうか。 
 その第一は100歳近い高齢で、高い理想を捨てていないこと。 
平和運動に関与していることが、その具体例である。対談でのつぎのセリフは年齢を感じさせない。 
*憲法9条を子どもに伝えるのは、戦争を知っている老人の役割です。今後、改憲を問う国民投票が行われたとしても、自衛隊を自衛軍にする案には絶対に反対しなければいけない。 
*はっきり「日本は武器を捨てる」というべきです。現状はアメリカの核兵器に守られているのだから、日本が核を持っているのと同じですよ。とんでもない国です。 
 
 しかも学生時代にあの「731部隊」の石井中将から直接授業を受けたという体験談は、生々しい歴史の証言となっている。 
 
 第二は挑戦意欲が盛んであること。 
 マルチン・ブーバーの「やったことのないことを始める老人は老いない」という哲学を読んでハッと思った、と語っているところなど、チャレンジ精神の原点というべきである。見習いたい。 
 
 第三に利他主義の実践者であること。 
 「自分のためにやるのではない。みんなの命のためにいいことを、やろうとしている」という発言は並みではない。本来なら若者たちが、「世のため人のために役立つ」という利他主義に立つこういうセリフをもっと口にし、実践すべきだが、翁の覇気に後れをとっている。 
 
 なお日野原さんのことは以前にも、ブログ「安原和雄の仏教経済塾」(08年2月15日付)に「山坂多い人の世と〈平和論〉」と題して掲載してある。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/ 


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