2008年06月21日10時25分掲載  無料記事
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人類の未来と科学技術と一般教育と 宗教者の「環境・平和」提言への私的補足

  以下は、筆者が1999.05.14に、「高等教育フォーラム」に投稿した文章を現在に適合するようにわずかに改訂したものである。これは、先の安原氏による「宗教者」の提案に関する記事の補足的な意味で、ここに提起する。「宗教者」の提案が、精神面を強調した(筆者もそれには賛成であるが)のに対して科学・技術が今後の人類に何を貢献出来るかを問うものである。(バンクーバー=落合栄一郎) 
 
 人類が直面する問題にはどんなものがあるだろうか、それに対して科学技術は何が出来るか、そして教育はなにが出来るだろうかを考えてみたい。 
 筆者の単なる思いつきに過ぎないが、重大問題のいくつかは:(1)核兵器廃絶、科学技術的解決は不可(付随事項:核廃棄物処理の科学技術的解決は困難、しかし解決しなければならない);(2)人口─科学技術的解決は不可;(3)環境問題(地球温暖化はその一つにすぎない)─科学技術のみによる解決は困難;(4)水、食糧、エネルギー:科学技術が大いに頑張る必要がある;(5)貧富の差の拡大─科学技術的解決不可;(6)病原との戦い:科学技術的解決は可能だが、ますます困難になりつつある。 
 
 (2)、(3)の問題は密接に関連している。自然は人類といういささか超自然的な生物の発生以前は、環境そのものの不可抗的な変化に依存してはいたもののある程度の均衡/多様性(生物種の発生、消滅を含めて)を保っていた。特殊な頭脳を持つ人類は多分に自然と拮抗する文明なるものを発達させた。その結果の一つが人間の数の著しい(特に近年および近未来)増加である。 
 
 この地球がどの程度までの人口を支えることができるかは、今いろいろ議論されている。すべての動物は植物に依存している。人類が現在その植物の全生産量のうちの何パーセントを使用(食糧、医療、住宅,その他直接、間接に)しているかを試算した人がいる。まず全植物の生産量は陸上植物で1.3x10^14kg、海その他の水生植物が0.9x10^14kg、計2.2x10^14kg/yearである。人類が使用する植物の量は、彼らによると6x10^13 kg/year (食糧だけで約1x10^13kg/year)全生産量の27%にもなる(筆者の試算でもおよそ3分の1になる)。 
 
 種の数でいけば、ホモサピエンスは5百万(未確定)種程ある生物種の一種にすぎない。人間はかなり大きな動物だから、重量で比較するほうが良いだろう。人間の生物圏に占める割合は重量でいうと、約2x10^11kg(人類)/8x10^16kg(全生物)、すなわち0.0003%ほどである。先の27%という数値はかなり議論のあるところだが、それがたとえ数倍も過剰に評価しているとしても、これは大変な量である。 
 
 同様の試算が地球上の淡水についても行なわれた。人類はやはり全使用可能な淡水の実に30%ほどを使っているそうである。この残りの量で他の生物種が生存していくのはなかなか難しかろう。(勿論、人類の使い古しでも喜んで棲息できる種もあるにはある)この植物や淡水奪取の過程で他の生物の生息環境をも汚染し破壊していく。勿論工業生産に付随する環境破壊も考慮しなければならない。これでは他の生物種が消滅していくのは当然であろう。 
 
 現在絶滅の危機に瀕しているかその状態に近づきつつある生物種は、目にみえる鳥類、魚類、ほ乳類、両性類、霊長類でおしなべて20─30%ほどだそうである。我々の気がつかないところでもっと多くの生物種が滅んで行っていると考えざるをえない。過去に生物種の消滅期が主なもので5回程あったが、その最大のパーミアン後期では50−60%の生物種が絶滅したようである。これはしかし百万年のオーダーの期間の話であるが、現在のそれはたかだか2−300年の期間のことで、消滅速度でいえば、1万倍程度の急激な変化である。 
 
 このような急激な生物種の消滅がどのような影響を人類にもたらすか予想がつかない。現在人口は年に1.5%ほどの率で増加している。人口の増加はさらなる他生物の絶滅と環境破壊を促進するであろうし、このままでは工業生産も増さなければならないだろう。人類という種は生き延びるとは思うが、現在のような人類文明が継続できるかどうかは定かではない。 
 少なくとも、現在の欧米/日本型の大量生産、大量消費文明は維持出来ないであろうことは明白であろう。太古の諸文明の衰退は多くの場合、環境の悪化(人為による)が主要な原因であったようである。それらは局地的規模であったが、現在はそれが地球規模でおこりつつある。 
 
 (4)の問題に移ろう。ここには科学技術の活躍出来る分野がかなりある。エネルギーはそう遠くない将来に再生可能資源(太陽エネルギー、風力発電など)にかなりの部分、転換できるであろうし、そうならなければならない。しかし科学技術の進歩をもってしても、これからますます増大するであろうエネルギーの需要を満足させることは困難であろう。水、食糧の現在以上の大幅な増産はさらに難しい。 
 
 それではどうするか。科学技術になにができるか。科学技術はますます促進されなければならいない。しかし科学技術は現在の体制のままでよいのか。限られたリソース(金と人的資源)を上に述べたような問題の解決に有効に使えるような仕組みを作る必要があるのではないか。どうするか。だれが音頭をとるか。 
 
 科学技術は必要であるが、それだけでは不十分であることは論をまたない。現在の物質文明の背景をなす、消費を美徳とする資本主義市場経済というイデオロギーは根本的に見直す必要がある。昨今、持続可能性という言葉がしばしば用いられ、特に市場経済の持続可能な成長を目的に議論されるが、もう持続できる状態は通り越してしまったのではないかと思う。しかし、ではどのような経済システム(政治システム)がより良いのか明確なイメージはまだないようである。 
 
 いずれにしても現在はこのようなものの考え方の根本的な変革が必要な時期にある。こんなことはいつの時代にも言われてきたのだが、今度こそ本物であろう。そのような変革や諸種の問題の解決は最終的には教育に依存する。初中等教育はともかく、大学教育では専門教育以上に広いものの見方も養える教育が今こそ必要であり、日本の多くの大学で、いわゆる一般教育を廃止してしまったのは考え直す必要がある。このような教育は上に述べたような重大問題のためばかりでなく、一人一人の人間の質の向上のためでもある。 
 
*落合栄一郎 
 カナダ・ブリテイッシュコロンビア大、トロント大、スウェーデンウメオ大などで、化学の研究と教授に従事し、米国メリーランド大、ペンシルバニア州のジュニアータ大で研究/教授歴25年。工学博士。2005年退職後は、カナダヴァンクーヴァーで、平和運動、持続可能性に関する運動に関与。主な著書に、「Bioinorganic Chemistry-An Introduction」(Allyn and Bacon,Boston, 1977), 
「General Principles of Biochemistry of the Elements」(Plenum Press, New York, 1987),「Bioinorganic Chemistry, a Survey」(Elsevier/Academic Press, 2008)。 
 
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