2008年07月17日21時58分掲載  無料記事
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「良き戦争」ってなんだ? パキスタン─忘れられた戦争と失われた桃源郷

TUPエッセイ 
パンタ笛吹 著 
 
2008年6月26日 
 
 
イラン南東部で誘拐された中村聡志さんが8ヶ月ぶりに解放されたと聞いて喜んでいる。 
 
中村さんはパキスタン南西部、バルチスタンの山岳地帯を麻薬密輸組織に連れ回されたという。もう33年前になるが、わたしはバルチスタンのクエッタに2ヶ月以上も滞在したことがある。貧乏旅行の最中だったので、現地で出会ったハジという名の老人の土間に泊めてもらっていた。 
 
もうとっくに時効になっているから書けるが、クエッタの警察に捕まったことがある。親指の先ほどのハッシッシ(大麻樹脂)を持っていた罪だ。わたしは留置場に入れられるなり、すぐに簡易裁判にかけられた。判決は、「1ヶ月の投獄、または200ルピーの罰金」だった。 
 
劣悪な環境で悪名高いバルチスタンの監獄に、1ヶ月も入れられるのは真っ平だった。かといって200ルピーを持っていなかったわたしは、裁判官に1時間の猶予をもらい、近所のホテルを走り回り、西欧人の旅行者からお金を借りまくった。なんとか罰金刑ですませることができた。 
 
当時、クエッタの町中に「サキハナ」と呼ばれるハッシッシ吸引用茶店が数軒あった。サキハナの中は、壁沿いにコの字型に椅子が設けてあり、フロアーの真ん中に数本の水パイプがあった。客たちは、店が推薦するハッシッシのサンプルを、無料で水パイプから吸うことができた。客は、自分の気に入ったハッシッシを帰りに少量買っていくというしくみだ。 
 
クエッタで一番大きいサキハナの店主が、アブドゥラと呼ばれる町の名士だった。りっぱな鼻ひげをたくわえ、貫禄たっぷりのアブドゥラは、麻薬密輸組織のキングピンでもあった。サキハナの屋上では、ヨーロッパ人密輸業者が、おおっぴらにアブドゥラと商談している場面を何度も見かけた。アブドゥラほどにもなると、警察幹部にまんべんなく賄賂をわたしているため、捕まることはない。 
 
その麻薬王アブドゥラに、どういうわけかパーティーに誘われた。若気の至りといえばそれまでだが、好奇心に溢れていたわたしは、ほいほいと誘いに乗って、郊外にある瀟洒な別荘に行った。別荘は、かつてバルチスタン藩主の離宮だったという。 
 
庭ではクエッタの名士たちが、大きなすり鉢を囲んで車座になっていた。長いすりこぎを器用に使って、汗を流しながらすっていた小太りの中年男性が、バルチスタンの藩王子だった。藩王子はわたしに向かって言った。 
 
「クェッタの住み心地はどうかね? これは大麻の葉っぱにナッツとミルクを加えて作る『バング』という薬草ジュースだよ。LSDと同じようにトリップするから、ヒッピーたちは『アシッド・バング』と呼んでるがね。ワッハッハ」 
 
緑色のその液体をわたしもいただいた。たしかにトリップといえる酩酊状態になった。まわりを見回すと、いい歳をした名士たちが庭で笑い転げていた。 
 
ここ数年、クエッタから流れてくるのは、タリバーンの復活や車爆弾によるテロのニュースだ。そんな記事を読むたびに、70年代中頃は、なんとのどかな時代だったんだろう、と思う。 
 
のどかといえば、北パキスタンもそうだった。わたしは、ペシャワールから北の山岳地帯に向けて走るスワト渓谷がお気に入りだった。特にスワト谷の中腹にあるマディアンという美しい村に惚れ込んだ。マディアン村では渓流沿いの民家を借りて、そこでも2ヶ月ほど滞在した。 
 
その村でわたしは断食をしてみたり、フルムーンパーティー(満月際)を主催したり、幸せな毎日を過ごした。「桃源郷」という言葉があるが、素朴な村人と咲き誇る杏の花、そして朝夕聞こえてくるコーランの名調子、わたしにとってマディアン村こそ桃源郷のイメージそのものだった。 
 
パキスタンで医療サービスを行っている中村哲医師は、ペシャワール会報2007年12月号で、いまのスワト渓谷の現状をこう記している【1】。 
 
「パキスタン北西辺境州では、先月のワジリスタンで大規模な反乱の後、今度はスワト渓谷で反乱の火の手が上がって国軍兵200名以上が捕虜となり、タリバーン勢力の支配下に入りました。11月24日現在、米軍に押されたパキスタン軍1万数千人が同渓谷を包囲、大規模な軍事作戦が計画されていると伝えられています」 
 
今年2月18日に行われた総選挙のあと、暗殺されたブットー前首相が率いていたパキスタン人民党と、以前ムシャラフ大統領に追放されたシャリフ元首相が率いるイスラム教徒連盟シャリフ派が連立政権を樹立した。新政権が、スワト渓谷に進出したタリバーン勢力と和平に合意したので、少しはほっとしていた。 
 
・・・とこう書いている最中に、テレビのCNNニュースが速報を流した。パキスタン北西部のスワト渓谷にあるスキーリゾート地の国営ホテルが、イスラム教硬派勢力に襲われ、略奪、放火などの甚大な被害を受けたという。6月26日の同ニュースはまた、最近の様子を以下のように伝えた【2】。 
 
「この数ヶ月間、・・・北西辺境州では、イスラム教の原理主義的な法典、シャリア法による統治を求める勢力が【3】、地域一帯で治安当局と武装衝突を重ね、これまで数百人が死亡している。・・・武装勢力は女性にはスカーフをかぶるよう、そして男性には髭を伸ばすよう要求し、テレビも音楽も禁止した」 
 
わたしがマディアン村にいたころ、夕方になると村の広場に人びとが集まり、持ち寄った楽器で即興の音楽会が催されていたものだ。大きな鍋をタブラのかわりにして叩く者、手製の3弦琴をつま弾く者、声高々に歌う者。それは素朴で美しい光景だった。その音楽も禁じられた今は、スワト渓谷を訪れる観光客は皆無に近いという。 
 
隣の国、アフガニスタンの状況はますます泥沼化している。6月中に死亡した外国軍兵士の数は、21日時点ですでに32人に達している【4】。これは15万人以上が駐留するイラク軍事作戦をも上回る死者数だ。また、1ヶ月間の戦死者数としては、2001年の開戦以来、最悪となった。 
 
わたしはコロラド州ボルダー市に住んでいるので、米国人の知人とアフガニスタン戦争について話すことがある。そのときよく聞くのは、米国人がアフガン戦争のことを、「別の戦争」または「忘れられた戦争」と呼んでいることだ。もちろんイラク戦争がいつもメディアの話題になっているからだろうが、アフガンでの戦死者がこれほど増えてくると、「忘れられた戦争」と無視しているわけにもいかない。 
 
また、イラク戦争に反対している米国人でも、アフガン戦争のことを「良き戦争」(グッド・ウォー)と呼ぶ人がいる。911同時多発テロを起こしたアルカイダと、それを保護したタリバーンをやっつけるための正義の戦いというわけだ。 
 
自国を初めて攻撃された米国人が持つその感情は分からないでもない。しかし、旧ソ連によるアフガン侵攻以前に何度かアフガンを旅行し、その純朴で信仰心の厚い人びとと交わったことのあるわたしとしては、「良き戦争」と言われると違和感を禁じ得ない。もうアフガンに攻め込んで7年にもなり、すでに数万人が犠牲になっているのだから、そろそろ外国軍は引き上げてもいいのではないか、と思うのだ。 
 
アフガニスタンは、タジク人やハザラ人など、さまざまな民族でなりたっている。中でも主要部族のパシュトン人は、誇り高い民だ。彼らの多くは、祖国に外国軍が居座り続けていることを好ましくは思っていない。それがNATO(北大西洋条約機構)軍だろうが旧ソ連軍だろうが、どちらも同じ「占領軍」と受けとめる者も多いという。NATO軍の誤爆で、一般市民が殺されるたびに、外国軍への反感が高まっているとも聞く。 
 
パキスタン系英国人の歴史学者、タリク・アリは、「NATOの見込みのない戦争」という題の論評で、アフガニスタンの取るべき道筋を示した【5】。アリは、泥沼から抜け出すための方策として、まず分割統治が考えられるが、それは最悪の選択だとしてから、次のように述べている。 
 
The second alternative would require a withdrawal of all US/Nato forces, either preceded or followed by a regional pact to guarantee Afghan stability for the next ten years. Pakistan, Iran, India and Russia could guarantee and support a functioning national government, pledged to preserving the ethnic and religious diversity of Afghanistan and creating a space in which all its citizens can breathe, think and eat every day. It would need a serious social and economic plan to rebuild the country and provide the basic necessities for its people. 
 
「もうひとつの方策は、米軍とNATO軍が撤退することである。撤退の直前か直後に、アフガニスタンの安定を次の10年間保証する地域条約を結ぶことが必要だ。そして、パキスタン・イラン・インド・ロシアは、アフガン政府が機能できるように保証して支援する。アフガン政府は、さまざまな民族や宗派の違いを認め、それを保護し、市民が日々それぞれ、食べ、考え、呼吸できるような空間を創りだすと約束する。国家を再建し、国民に生活必需品を供給するためには、社会的、経済的計画に真剣に取り組まなければならない」 
 
昨年、タリク・アリがボルダーで講演会を催したとき、わたしも聞きに行った。地域問題に精通したパワフルな講演に強い印象を受けた。タリク・アリのような人物が世界の世論を動かしてほしいものだ。 
 
しかし現実はきびしい。アフガンとパキスタンの国境でのいざこざは、激しさを増すばかりだ。6月11日には、米軍が主導する多国籍軍による空爆で、パキスタン兵士11人が死亡する事件があった。パキスタン軍は、「まったく不当かつ卑劣なこの行為を非難する」と、米国に対して異例の緊急声明を発表した【6】。 
 
数日後の6月15日、アフガニスタンのカルザイ大統領は記者団のインタビューに、「彼ら[タリバーン]は、パキスタンから越境してアフガニスタンに侵入し、アフガン人と多国籍軍兵士を殺害している。それならわれわれもパキスタンに越境して攻撃を加える権利がある」と怒りを込めて語った【7】。 
 
ブラウン英首相は6月16日、アフガニスタンへの英軍の増派を発表した。ブッシュ大統領も、2009年にアフガンへ米軍を増派すると表明した。またサルコジ仏大統領も千人強の増派部隊をパキスタン国境の東部地域に送るとするなど、まるでベトナム戦争のエスカレートを想起させるほどの戦争拡大だ。 
 
では、多くの平和主義者が「救世主」として期待するオバマ上院議員が大統領に当選すれば、争いの炎は鎮火するのだろうか? 残念ながら、答えは「ノー」のようだ。昨年8月1日の演説会でオバマ候補は、自分が大統領になったら、アフガニスタンに少なくとも二個旅団(約7000人)を増派しタリバーンと戦わせるだろうと、以下のように語った【8】。 
 
「わたしが大統領になったら、勝つ必要のある戦争に向かって戦いを進めるだろう。まず最初に、間違った戦場であるイラクから手を引き、軍勢をアフガニスタンとパキスタンに移し、テロリストたちに戦いを挑む。 
 
「911の同時多発テロで3000人の米国人を殺したテロリストたちが、まだ国境の山中に隠れている。彼らは再び米国にテロ攻撃を仕掛けようと計画している。・・・もしわれわれが重要テロリストの居場所をつかんで、ムシャラフ大統領が動かなかったら、わが軍が攻撃するつもりだ」 
 
なんという好戦的な発言! これでは当分、アフガンに平和は訪れそうにない。 
 
アフガニスタンとパキスタンの国境線は、元はといえば19世紀初めに、大英帝国が勝手に線を引いたものだ。国境のトライバル・エリア(部族地域)をはさんで両国にパシュトン人が住んでいる。国境を結ぶカイバル峠は、古くはアレキサンダー大王の軍勢が進軍した標高1000メートルを超えて走る急峻な山道だ。 
 
わたしは1975年から76年にかけて、アフガニスタンを3ヶ月ほど旅した。その間、ビザの切り替えなどの理由から、カイバル峠をおんぼろバスで5回通った。道路沿線には密輸品や麻薬を売るバザールや、カラシニコフ銃などの武器を売るバザールが繁盛していた。当時でも、トライバル・エリアに住むパシュトン人は、アフガン人やパキスタン人という国籍よりも、パシュトン族としての部族意識や血縁関係の方を大切にして生きていた。 
 
国境地帯は政府の法律が及ばない地域だ。最初に峠越えをしたときは、他の旅行者から「山賊」が出ると脅かされ、少しはびびった。実際には、カイバル峠の頂上あたりで、銃を持ったパシュトン人がバスを止め、中に入ってきて乗客からひとり1ルピーを集めてまわる、ただの通行料稼ぎのやからだった。 
 
カブールでは民族楽器のラバーブに聞き惚れ、バーミアンではタリバーンが爆破する前の大仏の頭の上まで登り、ラピズ色のバンデアミール湖では羊を追う騎馬民族のポロ「ブズカシ」に魅せられ、カズニ村では惚れ込んだアフガン刺繍を買いまくり、カンダハールでは絞り立てのザクロジュースをがぶ飲みした。 
 
それらヒッピー旅行の思い出の地名が、今では「何人殺された」というニュースとともに、わたしの耳に届くばかりとなった。 
 
 
【1】中村哲「迫りくる大凶作」ペシャワール会報94号(2007年12月5日発行)。 
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/kaiho/94nakamura.html 
 
【2】"Pakistani militants set ski resort hotel on fire," CNN (June 26, 2008). 
http://www.cnn.com/2008/WORLD/asiapcf/06/26/paksitan.ski/index.html 
 
【3】CNNに限らず、主流メディアや知識人のイスラム教に関する見識は無知と偏見に彩られている。シャリア法は、世俗化された近代社会の目で見るなら、時代錯誤と批判されるかもしれないが、けっして過激な思想を提唱する法典ではない。 
 
「原理主義」「過激主義」「復古主義」「歴史主義」などと呼ばれるイスラム教の潮流は、アラブ・ナショナリズムと同じように、近代になって生まれた。欧米諸国が、中東諸国をはじめとして、広大なイスラム文化圏を支配し、搾取し、差別し、弾圧し、資源を奪い、西洋文化を押しつけた。あるいは独裁政権を支援し、あるいはイスラエルの人種差別と植民地政策を援助してきた。イスラムの潮流は、この不当な現実に対する反動である。だから伝統を尊ぶ呼びかけにみえても、かならず新しい思想を内包している。 
 
シャリア法に基づくタリバンの統治は極端に厳格なものとなった。その背景を説明するものとしては、ここにイギリスのジャーナリスト、ロバート・フィスクの鋭い洞察がある。 
 
 <引用はじめ> 
 
タリバンによるシャリア法の解釈は厳格を極めた。それはキリスト教の司祭たちが最も過酷な統治を行った時代を彷彿とさせる。首を刎ね手を切り落とす刑罰や、女性を蔑視する傾向を見れば、あらゆる快楽に対して敵意を抱いていることもよく理解できるだろう。以前、ジャララバードのホテルは古いテレビを自慢げに置いていたが、打ち壊されることを恐れて庭園の納屋に隠してしまった。テレビやビデオテープは、盗人と同じように木から吊される定めとなった。 
 
「こうなることは分かっていた」。ジャララバードの宮殿が見える場所で庭師が私に話してくれた。かつて王室が冬を過ごしたパレスは廃墟となっている。「タリバンは難民キャンプからやってきた。自分たちが持っていた物だけを私たちに与えようとする」。 
 
庭師の言葉を聞いて、ようやくタリバンの姿が見えてきた。タリバンが布告した新しい法は、私たちにとってもアフガニスタンの知識人にとっても、あまりに残虐で時代錯誤に過ぎる。タリバンは宗教を復興しようとして、この法を宣布したのだろうか。それでは説明しきれない。むしろこの法は、一六年前にソ連に追われ、国境の広大なキャンプで土埃にまみれ、苦しい生活を強いられた何百万ものアフガン人の記憶を、そのままに伝えようとするものではなかったか。 
 
タリバンの兵士たちは、パキスタンの病気が蔓延するキャンプで育った。少年期の一六年間を目を覆いたくなるような貧困の中で過ごしていた。教育も受けられず、なんの娯楽も与えられなかった。母親や姉妹は蔑まれ、男たちに従うことしか許されない。その男たちは、国境線の向こう側で、異国から来た敵を倒す作戦を練っていた。コーランを詠むときだけ、現実から逃れることができた。取り憑かれたようにコーランを詠みふけった。「この世でただ一つの真実の道。この道の他に道はない」。 
 
タリバンは国を再建するために帰国したのではない。祖国の思い出はすでに失われていた。タリバンは自分たちが育った難民キャンプをアフガニスタン全土に再建しようとした。だから教育は否定された。テレビもない。女たちは家を出られない。ペシャワールのテントで、母や姉妹がそうだったように。 
 
 <引用おわり> 
 
ロバート・フィスク著、安濃一樹訳、「たったひとりの聖戦──オサマ・ビンラディン アフガンの荒野から孤独の荒野へ」、岩波『世界』誌、2005年12月号。 
 
【4】"Afghanistan foreign troop deaths in June exceed those in Iraq," CNN (June 21, 2008). 
http://www.cnn.com/2008/WORLD/asiapcf/06/21/afghanistan/index.html?iref=24hours 
 
【5】Tariq Ali, "Nato's lost cause," The Guardian (June 11, 2008). 
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/jun/11/pakistan.nato 
 
【6】「アフガニスタン国境でパキスタン兵11人死亡、多国籍軍誤爆か」、AFPBB NEWS(2008年6月12日)。 
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2403727/3023283 
 
【7】"Karzai threatens to pursue militants into PakistanSun," Reuters (June 15, 2008). 
http://www.reuters.com/article/worldNews/idUSISL16749720080615?sp=true 
 
【8】Dan Balz, "Obama Says He Would Take Fight To Pakistan," The Washington Post (August 2, 2007). 
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/08/01/AR2007080101233.html 
 
 
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