2008年08月10日15時19分掲載  無料記事
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ビルマ民主化

「勝って平和な国に帰ろう」 民主化蜂起20周年、ビルマ人活動家が団結と日本の支援を訴える

  ビルマ(ミャンマー)の民主化蜂起から20周年の8月8日、在日ビルマ人と支援者ら約千人が東京・品川区でミャンマー大使館への抗議デモをおこなった。翌9日には、同国の民主化を支援する諸団体の連合体、ビルマ・パートナーシップ(本部、タイ・チェンマイ)のコーディネーター、キンオーンマーさんが都内の集会(主催・ビルマ市民フォーラム)で講演、自らの体験を振り返りながら祖国の現状と民主化へのおもいを語った。彼女は、「この20年間に民主化が実現できなかったことに失望・落胆する必要はない」と述べ、「正義の闘い」の勝利をめざして在日ビルマ人が結束するとともに日本の人々が粘り強い支援をしてほしいと訴えた。(永井浩) 
 
▽「3ヶ月で帰ってくるからね」 
 
 キンオーンマーさんは1988年の民主化運動にラングーン大学の学生として参加した。同年8月8日のゼネストで運動は勝利目前に見えたが、9月に軍はクーデターと無差別発砲で3千人の市民を殺害、国民の願いを血の海に沈めた。 
 
 「3ヶ月たったら帰ってくるからね」。20歳のキンオーンマーさんは、母にそう言ってとなりのタイに逃れた。しかし、軍事政権はその後も内外の批判を無視して権力の座に居座りつづけている。「当時の私は世の中のことを何もしらない若者でした」 
 
 でも、自分たちの闘いが「正義の闘い」であるという確信は年齢には関係ないという。「私のそばで血を流し命を奪われていった多くの仲間たちのために、私たちは軍政打倒の闘いをつづけなければいけない」 
 
 タイ国境では多くのことを学んだ。軍政の弾圧で難民としてビルマから逃れてくる少数民族にも出会った。「少数民族の苦しみは私たち以上だということが分かった」 
 
 その後、米国の難民認定を得て渡米。米国の大学で化学を学ぶかたわら、全米の高校・大学で講演し、ビルマ民主化を支援する草の根運動の活発化に尽力したが、タイにもどり運動に専念している。昨年9月の僧侶らが先頭に立った軍政打倒デモや今年5月のサイクロン「ナルギス」襲来後には、現地からの情報をいち早く世界に発信した。 
 
 この間、米国議会のほか、国連人権委員会、国連女性差別撤廃委員会などの国連機関で、ビルマの人権状況などを証言。「アンナ・リンド人権賞」「グローバル・リーダーシップ賞」を受賞している。 
 
 今回の来日は、北京五輪開催日の8月8日、「もうひとつの8・8を忘れまい」を合言葉に世界各地でおこなわれたビルマ民主化支援と軍政への中国の支援停止を求める行動に合わせ、日本政府や国会議員にビルマの実情を説明し、在日ビルマ人らと意見交換するためだった。 
 
▽「まだ20年」、闘いの道のりは長い 
 
 同日の都内のデモにも参加した。「千人ちかいビルマ人と日本人が炎天下に民主化を求めて行進する姿に深く感動しました」。そしてこの闘いの力を持続、拡大していけば、「私たちは平和な国ビルマにきっと帰れる」と前置きして、祖国の現状と民主化運動の今後について語った。 
 
 キンオーンマーさんは、「私たちは軍との闘いに勝てる。軍には武器しかない」という、尊敬する民主化運動の指導者アウンサンスーチーさんの言葉を紹介しながら、しかし軍政はいまやさらに手ごわい敵となったと分析した。彼らは武器にくわえ、天然ガスなどの輸出でカネと経済力を握った。それを利用して国際社会で中国、ロシアなどの仲間をつくった。軍政内部に分裂の兆しは見られない。 
 
 このような状況のなかで、民主化運動はたしかに苦戦を強いられている。世界の人々は「もう20年もたったのか」という。「しかし、私たちからすれば、まだ20年しかたっていない」。インドのマハトマ・ガンジーが英国からの独立を勝ち取るまで何年かかったか、ビルマは英国からの独立の闘いに勝利するのに何年を要したか、あるいは南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃にどれくらいかかったか、とキンオーンマーさんは問う。 
 
 だから、この20年間に何もできなかったといって恥じ入る必要はないし、民主化を求める国民の闘いと闘志は衰えることなくつづいている。昨年9月の「サフラン色の革命」の先頭に立ち弾圧された僧侶たちを無数の国民が支えた。軍政を恐れぬ若い世代が登場したのも大きな収穫だった。今年の8月8日には国内で勇気ある人々がデモをして拘束された。タイには民主化支援のさまざまな団体や組織が結集しているが、現在、共通の目標にむかって結束を強化しようとする動きがかつてないほど盛り上がっているという。 
 
 「闘いに勝って国に帰ろう。私たちの運命は私たち自身で切りひらかなければなりません。そのために大切なのは、民主化陣営がまとまることです。闘いは息ながく粘り強く進めましょう。現状が苦しくとも落胆することなく、次の世代にまで引き継いでいく覚悟でやりましょう」 
 
 40歳になった民主化運動の闘士は、会場の在日ビルマ人たちにそう訴えるとともに、日本人には「ビルマで起きていることをできるだけ多くの日本の人々に伝えてください。それによって世論が盛り上がり、政府を動かしていく力になっていくはずです」と呼びかけた。 
 
▽日本の国会議員、外務省に協力求める 
 
 日本滞在中に、7人の国会議員に会い、外務省を訪れて日本の協力を求めた。要求は三つ。ひとつは、サイクロン被害の支援は本当に必要としている人々に届くようにしてほしい。ふたつめは、軍政がサイクロン被災下で強行した新憲法を日本は認めないでほしい。そして最後に、国連安保理でのビルマ制裁と、軍政トップのタンシュエ議長の国際刑事裁判所(ICC)への訴追を日本は支持してほしい。 
 
 キンオーンマーさんは、サイクロン被災後、軍政のきびしい監視の目をくぐりぬけてタイ国境の町メーソットに逃れてきたビルマ人たちに会った。若い女性は「国際社会は支援物資や資金を送らないでほしい。すべては軍政のふところに入るだけですから」と言った。軍政に対する国民の不信と絶望の深さに、キンオーンマーさんはあらためて衝撃を受けたという。 
 
*ビルマ・パートナーシップ(Burma Partnership) 
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