2008年08月12日14時09分掲載  無料記事
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山は泣いている

36・失って気づく開発の代償の大きさ 多摩ニュータウン30年の暮らし 山川陽一

第9章 価値観を見直さないと・3 
 
 30数年前わたしたち家族が都心から多摩に移り住んできた当時は、丁度多摩ニュータウンの建設が一段落した時期で、街は若い家族で活気に満ちていた。丘陵を切り崩して短期間に出現したこの20万都市は、当時の村長を、一代で町長から市長へと押し上げて話題になった。 
 その後も、商業施設、公共文化施設、ビジネスビル、マンションなどが次々と建設され、鉄道やモノレールの敷設、大学の移設、ホテルやデパート、大規模ショッピングセンターなどの開発が続いて、東京のベットタウンから優れた利便性を備えた近代都市へと変貌して行ったのだが、その代償として失われたものの大きさも計り知れないものがある。 
 
 地域住民の生活と文化。それに密着した里山の原風景。雑木林や田畑の中に点在する農家、その中を蛇行して流れる乞田川や大栗川の美しい流れのある風景は、もう取り返すべくもない。定規で引いたように一直線に造形された三面張りのコンクリートの流路を用水路と呼んでも、もはや川と呼ぶのはおこがましい。 
 
 救いは、東京の他の地域に比べればまだまだ多くの緑地が計画的に残されてきたことである。市民一人当たりの公園面積は112�屬如�東京都の中では一番なのだそうだ。それが作られた自然であったとしても、あること自体がうれしい。心して大事にしていかなければならないと思う。 
 
 長かった冬もようやく勢いを失うと、春が足早にやってくる。日ごとに強くなる陽射しをいっぱいに浴びて、雑木林の木々の芽がふくらみを増す。赤、白、黄、薄緑が混じりあい、競い合い、日々濃淡の度合いを変えていく丘陵のたたずまい。萌黄色の春。こんな早春の一時が過ぎると、レンギョウの黄、ユキヤナギの白、そしてサクラがいっせいに開花して、多摩丘陵は爛漫の春を迎える。 
 
 人間は愚かな動物である。失って初めてその価値に気付く。21世紀を迎えて、人々は今、少しばかり不便でも開発しない価値というものがあることに気付き始めている。 
(つづく) 
(やまかわ よういち=日本山岳会理事・自然保護委員会担当) 


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