2008年09月09日13時53分掲載  無料記事
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 「沖縄密約」国賠訴訟 最高裁が上告棄却、西山氏の敗訴確定 新証拠の判断を回避 池田龍夫

  1970年代の沖縄返還・日米交渉での「密約」を報じ、国家公務員法違反(秘密漏洩の教唆)に問われた西山太吉氏(元毎日新聞記者)が「不当な逮捕、起訴で名誉を傷つけられた」として国に謝罪と3300万円の慰謝料請求を求める訴訟を提起したのは2005年4月25日。西山氏が提訴に踏み切ったのは、2000年と02年の米外交文書公開で「密約の存在」が明らかになり、さらに06年の吉野文六・元外務省アメリカ局長発言が動かぬ〝証拠〟として浮上したからだ。 
 
 その後の裁判経過は周知のことなので詳述は避けるが、東京地裁・高裁の一、二審とも「不法行為から20年過ぎれば損害賠償請求の権利が消滅するという『除斥期間』」を適用して訴えを棄却した。西山氏側はそれを不服として08年4月最高裁に上告したが、最高裁第三小法廷は9月2日、実質審理に入らぬまま一、二審と同様の理由で上告棄却を決定し、原告らに通告した。 
 まるで〝意表を衝く〟ように「西山氏敗訴」が確定してしまった。国民が最も知りたい「密約の存在」には一切触れず、「上告理由に当たらない」との冷徹きわまる判決文だった。 
 
 晦渋な法律用語のため、一片の「判決骨子」が新聞等に報じられただけなので、参考資料として「最高裁決定」の原文をそっくり紹介しておく。 
 
         決    定 
   北九州市小倉北区神岳1丁目1-19-711号 
   上告人兼申立人    西山 太吉 
   同訴訟代理人弁護士  藤森 克美 
   被上告人兼相手方   国 
   同代表者法務大臣   保岡 興治 
   同指定代理人     五十嵐 徹 
 
 上記当事者間の東京高等裁判所平成19年第2494号謝罪文交付等請求事件について、同裁判所が平成20年2月20日に言い渡した判決に対し上告人兼申立人から上告及び上告受理の申立てがあった。よって、当裁判所は、次のとおり決定する。 
 
      主    文 
    本件上告を棄却する。 
    本件を上告審として受理しない。 
    上告費用及び申立費用は上告人兼申立人の負担とする。 
 
      理    由 
 
1 上告について 
民事事件について最高裁判所に上告することが許されるのは、民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、違憲及び理由の不備・食違いをいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、明らかに上記各項に認定する事由に該当しない。 
2 上告受理申立について 
本件申立ての理由によれば、本件は、民訴法318条1項により受理すべきものとは認められない。よって、裁判官全員一致の意見で、主文の通り決定する。 
 
平成20年9月2日 
         最高裁判所第三小法廷 
           裁判長裁判官   藤田 宙靖 
              裁判官   那須 弘平 
              裁判官   田原 睦夫 
              裁判官   近藤 崇晴 
 
▼注=民訟法第312条は[上告の理由]、同318条は[上告受理の申立て]を規定した条文。 
 
▽最高裁決定〝抜き打ち的〟な通告 
 
 この「最高裁決定」が示された9月2日は、「沖縄返還に伴う日米の合意文書・情報公開請求の会」(共同代表・奥平康弘東大名教授ら)が、外務・財務両省に密約文書の開示を要求する日だった。「情報公開請求の会」メンバーが会議を開いていた席に、「最高裁上告棄却」の一報が突然もたらされたので、最高裁が〝抜き打ち的決定〟を下したと勘繰られている。この点につき某弁護士ブログがリアルに分析しており、核心を衝いていると思われる内容の一部を紹介しておきたい。 
 
 「いやぁ、挑戦状を叩きつけるつもりが見事に先制攻撃されちまった。9月2日、沖縄返還の際日本が米国に裏金を払うという密約の存在を裏付ける合意文書の公開請求を行った。ところが、当日の午後1時、密約情報を入手した元毎日新聞西山記者のもとへ、西山さんが起こした損害賠償訴訟の上告が棄却されたとの知らせが届いた。(私たちが)沖縄密約についての文書提示を求める直前に、最高裁が上告を棄却したことは偶然とはとうてい思えない。 
 奥平教授らが『午後2時弁護士会集合、午後2時15分外務省に情報開示請求書提出』という情報を数日前からマスメディアに配布していた。最高裁は、その2時集合をあざ笑うかのように、午後1時に上告棄却を伝えてきたのだ。そのタイミングの良さは、東京地裁・高裁の裁判官に『いいか、密約文書について訴訟になっても最高裁は動じない。これまでどおり無視しろ』というメッセージを伝えるためのものとしか思えない」。 
 
▽「除斥期間」を防波堤に、「密約」を隠蔽 
 
 「沖縄密約」は30数年前の事件だが、1998年以降の資料発掘によって真相の核心に迫る証拠が洗い出されてきた。2000年5月と02年6月に発掘された米外交文書によって、「密約の存在」が交渉相手国の米外交文書に記載されていることが確認された。次いで06年2月には、「密約の日本側サインのイニシャルは自分だ」という「吉野証言」が明るみに出るなど、原告・西山氏側の主張を裏付ける新証拠発掘が続いた。 
 これに対して、歴代自民党政府や外務省・財務省は一貫して「密約はなかった」との主張を繰り返し、すべてをベール奥深くに隠蔽したままだ。 
 
 「機密漏洩」刑事裁判で有罪が確定した西山氏が、民事の「国家賠償請求訴訟」を決意した背景には、密約資料の発掘に刺激され「国家的犯罪を許せない」との公憤が倍加したからに違いない。ところが、法の番人である司法が、下級審から上級審に至るまで「除斥期間」をタテに〝門前払い判決〟で幕引きし、結果的に政治権力に寄り添う判断を示したことに、〝司法の崩壊〟を痛感させられた。 
 
 いずれにせよ、「除斥期間」を隠れ蓑に、「密約の存在」論議に一歩も踏み込まなかった司法判断に、在野法律家から批判と失望の声が上がっている。 
 
 「除斥期間」は、民法はもとより、その他の法律にも明文規定のない制度で、「法令用語辞典」(学陽書房)には「権利関係を確定することを目的として一定の期間内に権利を行使しなければ、その権利が消滅することを法が定めている場合に、その期間を『除斥期間』という」と記されていた。 
 
 除斥期間というハードルのあることは分かるが、「沖縄密約」裁判のケースに、安易に適用すべきでなかったと思う。それは、2000年を挟んで続々発掘された新資料によって、事実認定の根拠が変わってきたのに、日本の司法は条文解釈にすがるのみで、「真相に迫る」意気込みが欠落しているからだ。過去の最高裁判例に当たったところ、「除斥期間の起算点をずらした判例」もあり、「除斥期間」に固執した最高裁決定は、新資料についての公正な判断を回避したと思えるのだ。 
 
 西山氏は、敗訴確定の一報を受けた直後の9月2日、「行政と司法はこの問題に関する限り一体化している。極めて高度な政治的決定だ。(密約を認めることは)国家権力にとって存在基盤を揺るがしかねないという認識を持っているからだ。密約は米公文書で明らかになり、当時の交渉責任者の吉野文六・元外務省アメリカ局長も語った。それでも政府が嘘をつくのは政治犯罪だ。それを司法が擁護するのは自らの権威を壊すことだ。日米同盟が重要ならば、実相を国民に知らせ、理解と協力を得なければならない」と記者団に語った。 
「敗訴」の無念は残るが、西山氏が投じた一石はズシリと重い。 
 
▽有識者が結束、政府に「情報公開」を迫る 
 
 「沖縄返還に伴う日米の秘密合意文書・情報公開請求の会」は9月2日午後、外務省と財務省への情報公開請求に踏み切った。請求した文書は、①1969年12月2日付で柏木雄介大蔵省財務官とアンソニー・ジューリック財務省特別補佐官が交わした「秘密合意議事録」 ②1971年6月12日付で吉野文六外務省アメリカ局長とスナイダー駐日アメリカ公使との「400万㌦(軍用地復元補償)に関する秘密合意書簡」 ③1971年6月11日付で吉野、スナイダー両氏が交わした「1800万ドル在沖縄VОA施設海外移転費用の秘密合意文書」の3通。 
 原則として30日以内に回答があるはずだが、「文書不存在」との回答が予想されるため、請求者らは、行政処分取り消しを求めて東京地裁への提訴も視野に入れているようだ。 
 
 請求者の共同代表は奥平康弘・東大名誉教授、原寿雄氏(ジャーナリスト)筑紫哲也氏(同)の3人で、有識者60人が名を連ねている。奥平氏は9月2日の記者会見で「情報公開請求は、日本の民主主義の根幹を問うものであり、政府が『不存在』という回答をしても、追及の手を緩めてはならない」と強調、原氏も「日本のジャーナリズムとして放置できない問題だ。新しい戦い方として情報公開請求した」と決意を語っていた。 
 
 「沖縄密約」追及にこれだけ多彩な有識者が同調して、市民組織を立ち上げた意義は大きく、同調者名を紹介しておく(50音順)。 
   飯室勝彦、池田恵美子、石塚聡、岩崎貞明、植村俊和、魚住昭、江川紹子、大田昌秀、大谷昭宏、大橋真司、岡本厚、桂敬一、加藤剛、加藤義春、金平茂紀、我部政明、苅田實、北岡和義、清田義昭、小中陽太郎、是枝裕和、斉藤貴男、佐野真一、澤地久枝、篠田博之、柴田鉄治、神保哲生、臺宏士、高村薫、竹田昌弘、田島泰彦、辻一郎、土江真樹子、堂面雅量、仲宗根悟、仲本和彦、新崎盛暉、西村秀樹、西山太吉、春名幹男、藤田博司、藤田文知、松田浩、松元剛、丸山昇、三木健、水島朝穂、宮里邦雄、宮里政玄、宮台真司、元木昌彦、森潤、森広泰平、山口二郎、由井晶子、吉原功、米倉外昭、米田綱路、利元克巳 綿井健陽 
 
 情報公開請求と同時に、「密約文書不存在」の回答に備えて清水英夫・青山学院大名誉教授を団長とする弁護団が結成された。弁護団には清水氏、梓澤和幸、飯田正剛、紀藤正樹、木村晋介、日隅一雄氏ら32人の弁護士が代理人登録している。 
 
 最後に、目に止まった新聞4紙の論説から一部を抜粋、参考に供したい。 
 
[北海道新聞9・5社説=沖縄密約訴訟 歴史の『真実』を葬るな] 
 「訴訟は西山氏にとって単なる名誉回復の戦いではない。本当の狙いは法廷で密約の存在を証明することにあった。だが最高裁も密約問題には踏み込まなかった。完全な門前払いである。極めて残念な結果だ。 
 当時の佐藤栄作首相は沖縄返還に政治生命を懸けた。『沖縄の祖国復帰が実現しない限り、戦後は終わっていない』という言葉は有名だ。その実現に際し、軍用地の復元費用以外でも『核の再持ち込み』などさまざまな内密の約束をしていたと研究者たちは指摘している。…西山氏の敗訴が決まった日、ジャーナリストや学者のグループが関連の文書を公にするよう外務省と財務省に情報公開請求した。 
 政府はこれ以上、国民の『知る権利』を侵してはならない。民主主義の根幹にかかわる問題である。一日も早い公開を強く求めたい」。 
 
[朝日新聞9・5社説=沖縄密約 政府は文書を公開せよ] 
 「密約を明かせば、これまで国民に嘘をついていたと認めなければならない。だから、どんな証拠が出ようと無理を承知でシラを切り続ける。そうだとすれば、国民の知る権利を政府自らが侵害していることになる。 
 30年以上も前のことだ。関係者はみな退職したり亡くなったりしているから、重大な責任問題にはなるまい。なのに政府がこうまで頑ななのは、ほかにも密約があるからだろう。日本への核持ち込みや朝鮮半島有事の際の在日米軍基地からの出撃などに関して、もっと重大な密約があることが、公開された米外交文書で明らかになっている。それも認めなければならなくなる、というわけだ。 
 しかし、この国の主人公は国民であり、公文書は国民のものである。機微に触れる外交交渉の記録でも、後に公開されるという原則が守られてこそ、政治に緊張と責任感が生まれる。透明性は民主主義の根幹にかかわるのだ。今回請求された外交文書3点はすべて米側で公表されている。存在しないという回答は通用しない」。 
 
[琉球新報9・4社説=密約の上告棄却 敗訴でも事実は消せない] 
 「上告不受理は、国民が期待する司法の在り方とは懸け離れている。除斥期間を採用したとしても、司法として密約の事実関係を判断することは十分可能である。それを避けたということは、西山さんが言うように『行政と司法は完全に一体化している』ことの表れである。 
 …罪を問われるべきは西山さんではなく、政府の側である。事実を隠蔽することは、国民への裏切り行為である。その自覚が政府にない。密約は存在しないとしてきた政府が公開に応じる可能性は低い。事実を隠蔽する政府が国民から信頼されることはあり得ない。公開請求への政府回答は、その最後の分岐点になる」。 
 
[沖縄タイムス9・4社説=密約裁判棄却 歴史に虚偽は許されず] 
 「これだけの状況証拠と証人の声にも耳を傾けず、司法が果たすべき役割に背を向け、実質的な真理を怠ったことは、西山さんの言葉を借りれば『行政と司法が一体化した高度な政治判断で、司法の自滅』である。密約を裏付ける文書が見つかったのもここ10年に満たない。原告が求めた除斥期間に当たらないとする主張にこそ説得力がある。 
 …過去に誠実に向き合い、同じ過ちを防がねばならない。歴史に『虚偽』があってはならない。それが次世代へのわれわれの務めでもある。米軍基地をめぐる『密約』は枚挙にいとまがない。政府の外交に対する国民の目線はすでに『疑念』を通り越している。 
 …ジャーナリストら有志が、密約訴訟に関する文書の開示を求めた。西山さんらの問題提起は終わったわけではない。私たちはその本質をしっかりと問い続けなければならない」。 
 
★いけだ・たつお=ジャーナリスト、元毎日新聞記者 


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