2009年02月22日01時13分掲載  無料記事
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NNNニュースダイジェスト

オーストラリアで「サンダカン死の行進」の犠牲者を追悼する式典

 【メルボルン21日NNN=ベルマナ通信】第2次大戦中の1945年、ボルネオ島北部サンダカンの捕虜収容所に収容されていたオーストラリア兵と英国兵の捕虜を日本軍が強制的に移動させた。「サダンカン死の行進」と呼ばれている。メルボルンの戦争慰霊館で20日、この行進で亡くなったオーストラリア人を追悼する式典が行われた。 
 
 約90人のオーストラリア人が出席し、2人の元捕虜の戦時中の話を聞き入った。 
 
 式典は戦争慰霊館の責任者のデニス・バグレイ氏とサバ観光オーストラリア駐在のグウェンダ・ザパラ氏が開いた。 
 
 元捕虜のレスリー・グローバー氏(88)とロバート・エリス・フィント氏(90)は、サンダカンでの恐ろしい日々について1時間にわたって語った。 
 
 「死の行進」では1945年1月から3月にかけて、1000人以上のオーストラリア人と英国人の捕虜がサンダカン捕虜収容所から260キロ離れたラナウまでジャングルを歩かされた。わずか6人のオーストラリア人の捕虜だけが生き残った。 
 
 グローバー氏は最初に、式典での唯一の日本人で女性の反戦活動家に、「あなたのおじいさんやひいおじいさんの罪」に対して、誰も恨みや憎しみを抱いていないと語った。 
 
 グローバー氏とエリス・フィント氏は昨年8月、亡くなったオーストラリア人を追悼するためにサンダカンを訪れた。 
 
 エリス・フィント氏は、捕虜を助けるために命を危険にさらしたボルネオの「素晴らしい勇敢な人々」は歴史から消えることはないと述べた。 
 
             (ベリタ通信編集部翻訳・編集) 


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