2009年03月13日11時53分掲載  無料記事
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断ち切れない金権政治の構図 2大政党制に展望はあるのか 安原和雄

  西松建設の献金をめぐって小沢一郎民主党代表の秘書が逮捕されたことから、政界はにわかに混迷を深めている。つぎの総選挙では民主党が勝利し、民主党政権の誕生も、という可能性に暗雲が垂れ込めているだけではない。今もなお断ち切れない金権政治の構図が浮かび上がってきた。 
 しかも自民、民主両党共に「カネの腐敗」に汚染されているとなれば、世に言う「2大政党制」なるものを手放しで持ち上げることに疑問符を付けざるを得ないだろう。2大政党制に果たして展望を見出すことはできるのか。 
 
▽「日本株式会社解体論」が提起したこと 
 
 「最近の一連の各新聞社の世論調査をみると、国民の間にすっかり定着した政治不信の強さとその広がりには驚かされる。なぜこれほどまでに政治不信が高まったのか」 
 
 この一文は、最近の政治不信の状況を指摘したもののように読めるが、そうではない。実は今から20年も前の月刊誌『世界』(1989年6月号・岩波書店刊)に私(安原)が執筆した論文「日本株式会社解体論」の冒頭の書き出しである。日本株式会社とは、政・官・財(業)3者の相互癒着関係を指している。その社長は首相であり、日本があたかも一つの株式会社のように機能するところからこう呼ばれた。 
 当時、その日本株式会社の改革をめぐる論議が盛んであった。改革論議の火付け役となったのが、あの名高いリクルートスキャンダルである。このリクルート事件はリクルート社が未公開株を将来の値上がり益を見込んで政・官・財さらにメディアにまで広範にバラ撒いた事実上の金銭供与汚職であった。いいかえれば日本株式会社的構造の中で発生した大型汚職であった。 
 
 安原美穂・元検事総長はリクルート事件をつぎのように論評した。 
 「リクルート事件なるものは、ロッキード事件とどう違うか。ロッキード事件は、いわば田中角栄といった人達の個人プレーだったといえる。対照的に今回のリクルート事件は、未公開株が政・財・官の裾野広く、すこぶる広範にバラ撒かれており、これはやはり“構造的”という言い方ができるかもしれない」(『文藝春秋』89年5月号)。 
 
 以上のような構造汚職を発生させた日本株式会社を解体するには何が必要か。私は論文の中でつぎの4点を指摘した。 
*企業献金から個人献金へと転換すること。そもそも選挙権を持たない企業が巨額の政治献金を行うこと自体がおかしい。 
*官庁の許認可権を土地、都市、健康、安全、自然、環境などにかかわる分野を除いて原則として廃止すること。 
*政策決定過程に透明性を確保し、そこに消費者の視点を十分に反映させること。 
*政権の交代をすすめること。自民党の長期単独政権が腐敗の温床になっていることに目を向ければ、政権交代は急務である。 
 
▽自民党の長期単独政権時代から連立政権時代へ 
 
 上記の論文執筆から4年後の1993年8月、細川護煕氏を首相とする連立内閣が誕生し、自民党一党支配の時代は終わった。細川首相は8月の初閣議後に発表した首相談話の中でつぎの2点を強調した。 
*この政権が「政治改革政権」であることを肝に銘じ、政治改革関連法案を本年中に成立させるべく総力を結集していく。 
*政・官・業の癒着体制の打破や規制緩和、地方分権などにも本格的に着手していく。 
 
 しかも細川首相は初の記者会見で「政治改革関連法案が年内に不成立の場合、政治的責任をとる」とまで明言した。 
 
 以上のような細川新政権の姿勢について私(安原)は論文「戦後経済システムの変革をこそ ― 脱〈日本株式会社=拝金主義〉のすすめ」(『世界』1993年10月号)でつぎのように指摘した。 
 「政治改革は重要であるが、癒着体制の打破、解体こそ優先すべき課題であって、政治改革はそのための手段であろう。そのあたりの位置づけと優先順位が逆になってはいないか。まして政治改革の中心テーマが小選挙区比例代表並立制の導入による選挙制度改革に偏することになれば、政治の金権腐敗の一掃は絵に描いたモチに終わる可能性もある。(中略)政権交代はようやく実現した。だからといって政権交代が自動的に日本株式会社の解体と拝金主義との決別をもたらすわけではない。戦後経済システムを支えてきた政官財それぞれの変革が不可欠である」 
 
 ここで強調したかったことは、自民党一党支配後の新たな連立政権も決して万能ではないという点である。大きな期待を抱くのは、幻想に終わるしかないことを示唆した。 
 
▽政権交代も金権政治を断つ保証はない 
 
細川政権の政治改革の名の下に導入された小選挙区制は金権政治をどこまで打破できただろうか。自民党単独支配時代の終わりから15年余経過した2009年の現在、金権政治を一掃するどころか、むしろ金権政治色を強めた。 
 その挙げ句の果てに今回の準大手ゼネコン・西松建設(東京都港区)による違法献金疑惑が表面化し、小沢一郎民主党代表の公設第一秘書や西松建設の前社長らが政治資金規正法違反容疑で逮捕された。東京地検特捜部によると、2003年から06年までの4年間に総額2100万円が西松建設のダミー政治団体から小沢代表の資金管理団体「陸山会」に企業献金として渡されたとされている。西松建設側の献金の狙いは、いうまでもなく大型公共工事の有利な受注にある。 
 
西松建設から企業献金を受けたのは民主党の小沢代表に限らない。政治資金パーティー券購入なども含む献金を受けたのはむしろ自民党に多い。二階俊博経済産業相、森喜朗元首相、加納時男参院議員ら約10名の顔ぶれが挙げられている。 
 
 ここで強調したいことはつぎの点である。 
 細川新政権の発足当時、私が指摘した「政治改革の中心テーマが選挙制度改革に偏することになれば、政治の金権腐敗の一掃は絵に描いたモチに終わる」ことは残念ながら昨今の現実そのままではないか。 
 しかも「政権交代が自動的に日本株式会社の解体と拝金主義との決別をもたらすわけではない」という指摘も今日ほぼそのまま通用する。いいかえれば政権交代が実現したからといって、それが金権政治を断つ道を保証するわけではないことを示している。 
 
▽2大政党制に期待できるか(1)― 質的違いが必要条件 
 
 前回の参院選挙で民主党が圧勝したため、自民党と民主党との二大政党制下での政権交代が現実味を帯びてきていたことは間違いない。つぎの総選挙では民主党の政権誕生か、という空気も広がっていた。私(安原)自身、ここで自民党には退陣して貰い、民主党が政権の座について、どこまで自民党とは異質の政治を展開できるのかを観察したいという気分にもなっていた。 
 その矢先の小沢民主党代表の秘書逮捕である。遅くとも9月までには行われる総選挙を前にして「なぜ今逮捕なのか」は当然の疑問といえる。小沢代表自身、「簡単には投げ出さない。(自民党は)50年以上続いた政権党だけに、(江戸時代末期の大老・井伊直弼が行った)安政の大獄のようなことをする」と言った。これは「自民党の差し金による国策捜査で弾圧されている」(毎日新聞3月11日付)という認識を示すものである。 
 
 以上のような疑問点を軽視することはできないが、ただ私の関心事は小沢代表や民主党の考え方、政策は自民党の政策と比べてどの程度異質なのかである。2大政党制に実質的な存在価値を持たせるためには政策面や金権体質などで質的違いがあることが必要条件である。そうでなければ国民にとって選択の余地がなくなる。 
 
*安全保障=日米安保体制について 
 小沢代表は先日「米国の第7艦隊で米国の極東におけるプレゼンスは十分」という趣旨の発言をし、話題となった。しかしこの発言は安保無用論ではない。日米安保堅持派であることに変わりはなく、この点では自民党と大差ない。 
*生活重視について 
格差や貧困を広げた新自由主義路線が破綻した後だけに民主党として生活重視の路線を打ち出していることは評価できる。一方、自民・公明の現政権もなりふり構わぬ生活重視政策に傾斜する姿勢をみせており、これと民主党との政策がどの程度異質なのかが必ずしも明確ではない。 
*金権体質について 
自民党の根深い金権体質はいまさら指摘するまでもないが、今回の小沢代表の秘書逮捕で小沢代表にとどまらず、民主党の評価も急落した。有権者としては「民主党よ、お前もか」と言いたいところであろう。 
 
 以上は自民党と民主党との間に大きな違いはないことを示しており、これでは2大政党制を持ち上げ、それに期待をかけること自体を疑問視せざるを得なくなるのではないか。 
 
▽2大政党制に期待できるか(2)― メディアの責任 
 
 多くのメディアも2大政党制に期待をかけてきた。しかし今微妙な変化もみられる。一例として朝日新聞社説(要旨)を取り上げよう。 
 
*朝日社説(09年3月7日付)=西松献金事件 国民の嘆きが聞こえぬか(見出し) 
小沢氏の責任は重い。政権交代がかかる総選挙が目前に迫るこの時期に、結果として、挑戦者としての民主党の勢いを大きくそいでしまった。(中略) 
 いまの政治の停滞に大きな責任のある自民党と麻生政権に、「敵失」を喜ぶ余裕などあろうはずがない。 
 「清潔な政治」を掲げる公明党はなぜ、こんなにおとなしいのか。 
 2大政党のどちらにも1票を入れる気にならない。有権者の深い嘆きが政党や政治家に聞こえているか。 
 
*朝日社説(同年3月10日付)=民主党 この不信にどう答える(見出し) 
 土建政治にどっぷり漬かったかのような小沢氏の姿を見せつけられ、有権者が裏切られた思いを抱いているのは間違いない。 
 今後、捜査がどう進展するかはわからない。だが、有権者の不信をどう受け止めるか。政治変革の旗振り役として、小沢氏は本当にふさわしいのか。党をあげて率直な議論を始めるべきだ。政権交代への国民の期待をしぼませてはならない。 
 
 この2つの社説の微妙な論調の違いは興味深い。まず3月7日付では「2大政党のどちらにも1票を入れる気にならない」と書いた。これは2大政党制そのものへの拒否反応とも読みとれる。「有権者の深い嘆き」はいかにも情緒的な表現だが、筆者自身の嘆きでもあるのだろう。 
 10日付では一転して調子が変わった。「政権交代への国民の期待をしぼませてはならない」と政権交代と2大政党制への期待の表明に重点が置かれている。「拒否反応」から「期待表明」への変化の背景に何があったのか。私(安原)の想像だが、論説室内で議論があったのではないか。朝日の論説は2大政党制肯定論の立場であった。それを否定すると受け取られるような社説は好ましくないという意見に集約されて「期待表明」の社説に戻ったのではないか。 
 
 しかし2大政党制にこだわるのはいかがなものだろうか、いささか疑問である。周知のように自民、公明、民主の各党とはかなり異質の共産党、社民党などが少数政党とはいえ存在している。特に共産党の存在は最近では国際的にも知られ、海外のメディアで紹介される記事が増えている。その背景にはつぎのような事情がある。 
 
*税金から政党助成金として320億円が各政党に配分されている。これは企業・団体献金を受け取らない代わりとして導入されたものだが、共産党はこれを受け取っていない。 
*経済政策の基本スローガンとして、「ルールなき資本主義」から暮らしをまもる「ルールある経済社会」へ ― を掲げて、生活や労働の現場に密着した地道な活動をつづけている。破綻した新自由主義路線に明確な批判論を継続的に展開してきた。 
*最近、新規の入党者が増えている。また戦前のプロレタリア作家、小林多喜二の『蟹工船』(蟹工船で奴隷のような労働を強いられた労働者の闘いを描いた小説)やマルクスの『資本論』(資本主義社会を根源的かつ批判的に分析した著作)が最近多くの読者を得ている。 
 
 メディアは2大政党制の枠を超えて広い選択の機会を有権者に提供してほしい。それがメディアの仕事であり、責任でもある。そういう努力を欠いては、金権政治の改革も国民生活の質的改善もしょせんスローガン倒れに終わるとはいえないか。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です 
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