2009年03月16日16時38分掲載  無料記事
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矛盾する国際刑事裁判所の決定 バシル大統領に逮捕状発行 マーチン・ショー

openDemocracy  【openDemocracy特約】いかなる基準からしても、それは画期的な決定である。2009年3月4日、国際刑事裁判所(ICC)の3人の判事は、スーダンのオマル・バシル大統領を同国ダルフール地域でのスーダン政府軍による戦争犯罪と人道に対する罪で起訴することを支持した。これは、同裁判所のルイス・モレノオカンポ主任検察官が2008年7月14日に訴追の手続きをした時に始まったプロセスが最新段階にあることを示している。先の発表と同じように、判事の決定は支持と非難の両方を呼び起こした。 
 
 ヒューマン・ライツ・ワッチは、重大な国際犯罪で現職の元首が起訴されたことを「犠牲者の勝利」として歓迎した。対照的に、一部のスーダン専門家は、起訴はこれらの犠牲者を危険にさらすと警告した。彼らは証拠として、スーダン政権がその決定に対し、13の国際的NGOを追放したという事実を挙げている。それらのNGOは、食料と避難所、医薬品を提供する国連の活動の不可欠な部分であった。その結果、ダルフールのキャンプにいる200万人の難民は、国際援助によって提供されていた生命維持装置を失うことになるかもしれない。 
 
 起訴の背景を見極めることにより、スーダン自身と国際正義が「ジェノサイド(大量虐殺)」の問題をどのように扱っているかという関連で、こうした問題を解明することが可能である。 
 
正義のジレンマ 
 
 バシルは疑いなく、近年で最も無慈悲な反乱鎮圧作戦のひとつの指揮を執った。2005年2月に当時のコフィ・アナン国連事務総長に提出された「ダルフールに関する国際委員会」の報告書は、スーダン軍がジャンジャウィード民兵組織とともに、ダルフールの非アラブ系の人々、特にフール族、マサーリート族、ザワーガ族に降りかかった大惨事での主要な行為者であったことを示した。実際、これによりスーダンの指導者たちがICCに付託されることになった。 
 
 200万人以上が難民となり、数10万人が死んだ(多くは、ジャンジャウィードとスーダン軍によって殺されたが、それ以上にキャンプでの生活状況と病気で死亡した)。2004年、当時のコリン・パウウェル米国務長官は、スーダン政権はダルフールで「ジェノサイド」をしていると主張した。これは、ルイス・モレノオカンポがバシルに対して、2008年に起訴手続きをした(訳注:逮捕請求のこと)部分であった。 
 
 国際刑事裁判所の判事は、戦争犯罪と人道に対する罪で起訴する手続きを進めることを許可したが、ジェノサイドの罪は退けた。判事は、スーダンと同盟軍が次のようなことを行ったと信じる合理的な根拠があると言明した。「ダルフール地区全体で、スーダン政府の方針に従って、殺人、絶滅、強制的移住、拷問、強姦といった人道に対する罪を犯した。反乱鎮圧作戦の核心として、ほとんどがフール族、マサーリート族、ザワーガ族である、ダルフールの一般住民を不法に攻撃した。彼らは、スーダン政府によって、スーダン解放運動・軍(SLM/A)、正義と平等運動(JEM)などダルフールでの武力紛争でスーダン政府に反対しているグループと親密であるとみなされた」。 
 
 基本的には、世界で最初の恒久的な国際刑事裁判所が現職の元首を起訴するということは重要な一歩である(セルビアのスロボダン・ミロシェビッチとリベリアのチャールズ・テイラーは特別国際法廷に起訴され、チリのアウグスト・ピノチェトは国内裁判所、チャドのイッセン・ハブレは国際法廷と国内法廷の両方で起訴されている)。しかしながら、批判者がダルフールの難民の危険性を指摘しているのは正しい。バシルの軍隊が出入りを支配し、陸上で圧倒しているので、スーダン政府の報復は破滅的効果を持つことがありえる。国連の抗議が意味のある対制裁措置で裏付けられていない状況では、その可能性はある。 
 
 これは、国際秩序なき国際正義のジレンマである。ほかの紛争でも、抑圧者に対する国際的介入が犠牲者を無防備のまま置き去りにした前例がある。その中に、1999年のNATOのセルビア爆撃がある。地上軍の支援がない中、コソボ・アルバニア人はミロシェビッチの軍隊のなすがままにされた。ダルフールの場合は、アフリカ連合の少数の平和維持軍部隊は、市民を十分に保護する能力もスーダン政府の支配に異議を唱える権能を欠いている。 
 
 ICCの決定に対する批判者また、最終的にはスーダン政権とダルフールの反乱集団の間で和解に達するであろうと主張する。国際正義のプロセスは、この見通しを弱めるとも主張する。さらに、スーダン南部での数10年にわたる内戦終結のための脆弱な合意を脅かす可能性もある。起訴の後にスーダン政府が態度を硬化させたのは、この見方を支持するものとして引き合いに出されるかもしれない。もっとも長期的には、ハルツームの政権が頼りにしている(中国などの)国際的支持を弱めることもあり得る。 
 
ジェノサイドを退ける論理 
 
 起訴は世界的観点からも見る必要がある。2008年から2009年にかけてのガザ戦争の後、多くの人々がイスラエルの戦争犯罪を調査するように要求した。ICCのバシルの訴追手続きは、首相候補のビンヤミン・ネタニヤフらイスラエル指導者の一部には、粛然とさせるメッセージを送ることになるかもしれない。スリランカの反政府武装組織、タミールのトラの残存者を制圧するために、市民を顧みることなく、残忍な作戦を遂行しているスリランカ政府関係者の間に不安を呼び起こすかもしれない。 
 
 同時に、判事がジェノサイドの罪を退けたのは問題である。ルイス・モレノオカンポがこれを「空想的な」主張で追求していると非難した者もいるが、批判者は確信が持てない。なぜなら、その主張には多くの実体があるからである。もっと問題なのは、判事の拒否がジェノサイドをめぐる判決でのこれまでの歪曲に基づいているということである。それは根本において、「民族浄化」はジェノサイドを構成するということを否定する定義上の巧妙なごまかしを反映している。 
 
 判事は、国際司法裁判所の2007年2月26日のボスニア対セルビアのケースでの決定を引用している。「ジェノサイドを特徴づける意図は、全体ないし一部の特定の集団を滅ぼすこと。集団の追放、強制退去は、武力によるものであっても、その集団を滅ぼすことと必ずしも同じ意味ではない」 
 
 問題は、これがダルフールのような場合には、ほとんど十分でないことである。ダルフールでは、政府とその同盟者は明らかにフール族、マサーリート族、ザワーガ族の社会を破壊し、生存者をキャンプで生活をさせることを目標にし、またそれを達成している。親スーダン勢力が大規模に行った殺人、負傷、強姦、拷問、強制退去は(こうした主張は判事によって受け入れられている)、非アラブ系の人々に対するこの破壊的作戦の一部であった。 
 
 ICCの判事は、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)での、スブレニツァのセルビア軍副司令官ラディスラブ・クルスティッチのケースの判決も引用している。「ジェノサイド政策と“民族浄化”として知られている政策の間には明らかな類似性がある」。しかし、「肉体的破壊と単なる集団の解体の間には明確な区別がされなければないない」としている。 
 
 しかしながら、そのような区別はジェノサイドについてのICC自身の定義の基になった1948年の国連ジェノサイド条約には、明確にはされていない。また、条約はジェノサイドの手段のひとつとして、「肉体的」危害とともに「精神的」危害をあげている。ICTY自身が認めたように、「民族浄化」はジェノサイド的になりうる。なぜなら、ダルフールで起きたように、家族やコミュニティが容赦なく居住区を追われると、故意の「精神的」危害が起こされるからである。 
 
矛盾する立場 
 
 さらに、判事がスーダン政府軍に対して、(「人道に対する罪」として)「皆殺し(extermination)」の罪を認め、ジェノサイドの罪を退けたことの間には矛盾がある。もし、スーダン軍が一部のフール族、マサーリート族、ザワーガ族に対して、皆殺しの政策を追求したことを示す合理的証拠があるなら、集団破壊の狭義の「肉体的」定義に基づいても、(条約が述べているように)これは確かに、これらの集団に対するジェノサイドの罪に対する「部分的な」、一応の裏付けである。 
 
 しかしながら、結局、判事の主要な議論は、国際司法裁判所がセルビア軍はボスニアでジェノサイドをしたという主張(スブレニツァを除いて)を退けたのと同じ論点に重点を置いている。つまり、ジェノサイドのための「特別の意図」の存在である。意図というこの高度の法律的概念は、裁判所は加害者が明白に「敵」社会の全体か一部を破壊しようとした時、彼らがその人々の一部を肉体的に抹殺しようとした時でも、ジェノサイドの主張を退けることができると考えるということを意味する。 
 
 ICCの判事は、検察官の主張はスーダン政府の行動形態からのジェノサイドという推定に基づいているので、この推定は合理的に引き出せる唯一のものでなければならないと主張し、退ける理由を補強している。自己矛盾する形で、判事は残忍な反乱鎮圧政策という推定は可能であるとし、定義により、ジェノサイドの罪は立証できないと結論付けた。 
 
 重要な法的権威は再び、ジェノサイドを排除するために、ねじ曲がった、不十分な論法を使い、代わりに人道に対する罪と戦争の罪を負わせた。後者の罪は十分重大であるが、国際刑事裁判所がバシルのケースで決定した論理は、ジェノサイドが法的範疇として、説得力を失いつつある傾向を強めた。 
 
 
*マーチン・ショー 英国サセックス大学国際関係論・政治学教授。邦訳書「グローバル社会と国際政治」(ミネルヴァ書房) 
ウェブサイトhttp://www.martinshaw.org/ 
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 . 
 
原文 
 
(翻訳 鳥居英晴) 


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