2009年03月30日18時09分掲載  無料記事
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石田梅岩の先見思想を活かすとき 企業の社会的責任と新経済モデル 安原和雄 

  江戸中期の思想家、石田梅岩の思想を現代風に見直そうという動きが広がりつつある。あの新自由主義路線の破綻とともにわが国の企業も経済もその針路を見失っており、新しい活路を発見できないまま、右往左往しているという事情が背景にある。先日開かれた経営倫理シンポジウムの基調講演のテーマが「見直そう石田梅岩の思想」であった。 
 梅岩の思想は、持続可能性や共生の思想など今日的課題に応用できる先見性に富んでおり、シンポジウムでは「企業の社会的責任」論の先駆けとして評価された。これに加えて新自由主義路線後の新しい「経済モデル」構築の指針としても活用できるのではないか。 
 
▽シンポジウム「企業不祥事はなぜ多発するのか」から 
 
 「企業不祥事はなぜ多発するのか」と題する第一回経営倫理シンポジウム(日本経営倫理学会=小林俊治会長=主催)が09年3月23日早稲田大学(東京・新宿区内)で開かれた。 
 まず平田雅彦氏(ユニ・チャーム監査役、元パナソニック副社長)による基調講演「見直そう石田梅岩の思想」の後、つぎの2つの企業実践報告を踏まえてパネルディスカッションが行われた。 
・大谷秀幸氏(オムロン社 SSBカンパニー コンプライアンス部長)=テーマ「経営理念と経営倫理への取り組み」 
・脇田 真氏(雪印乳業監査役)=テーマ「企業不祥事と企業再生への取り組み」 
 
 ここでは基調講演「見直そう石田梅岩の思想」の内容(要旨)を紹介したい。 
 「石門心学」で知られる江戸中期の思想家、石田梅岩(1685〜1744年)は丹波の生まれ。京都の呉服商に奉公、「人の人たる道」を求めて神道、儒学、仏教を独学で学んだ。43歳の時、番頭格になるが、退職し、京都の自宅で開塾。すぐれた弟子達に恵まれ、没後の最盛期(1830年代)には全国34藩、180箇所に塾が広がり、日本最大規模に発展した。その影響力は商人に限らず、武士にまで及び、老中松平定信の「寛政の改革」(1787〜1793年=倹約、貯蓄の奨励など)に直接参画した15名の大名のうち8名に石門心学の心得があったといわれる。 
 石田梅岩の思想を現代風に表現すれば、つぎの4つの柱からなっている。 
(1)社会的責任と顧客満足度の重視 
(2)サステナビリティー(持続可能性) 
(3)営利と倫理のバランス 
(4)共生の思想 
 
▽石田梅岩の思想を現代風に読み解くと ― 
 
 以下、4つの柱ごとに概略説明したい。まず著作『都鄙(とひ)問答』(1739年刊)と『斎家(さいか)論』(1744年成稿)から要点を引用する。カッコ内はその現代的な意味である。 
 
(1)社会的責任と顧客満足度の重視 
 富の主(あるじ)は天下の人々なり(富は一般庶民のものである)、売物に念を入れ、少しも粗相にせず、倹約を守り(商品の品質・性能、サービス、コスト面でどこよりも優れたものをつくり、価格と利益を抑える)、さらに万民の心をやすむるなれば(スティ−ク・ホルダー=消費者、労働者、地域などを尊重すれば)、万物育(やしな)わるると同じ(自然の摂理に従うことになり)、常に天下太平を祈るに同じ(世界の平和を希求するのと同じである)。 
 
 以上は、昨今の「企業は自分の利益のためにある」、という考え方への反論となっている。例えば目下米議会などで批判の的になっている米保険大手企業・AIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)の巨額ボーナス支給にみられる企業行動とは異質の考えである。特にコストを削減し、それによって価格、利益共に抑えることの重要性を指摘している。石田梅岩の「倹約を守る」とは、そういう意味である。 
 
(2)持続可能性 
 御法を守り、我が身を敬(つつし)むべし(コンプライアンス=法令遵守に徹し、おごり、自己中心を戒めなければならない)。商人といえども聖人の道を知らずんば、不義の金銀を設(もう)け、子孫の絶(た)ゆる理(ことわり)に至るべし。子孫を愛せば、道を学びて栄うることを致すべし(今日、グローバル資本の時代になって、企業が短期的視点で考え、その成果を期待し、過ちを犯している。子孫のことまで視野に入れながら、商売の持続性を考えなければならない)。 
 
 江戸時代以降、商家の共通願望は、事業の継続にあった。200年以上続いた企業数をみると、韓国ゼロ、インド3社、中国9社、ドイツ800社で、これに比べ日本は3000社と世界NO.1である。持続可能性の重要性に着目したい。 
 
(3)営利と倫理のバランス 
 今日世間のありさまに、曲げて非なること多し。二重の利を取り、二升の似(まね)をし、蜜々(みつみつ)の礼を請(う)くることなどは危うして、浮かめる雲のごとくに思うべし(世間には昨今間違った言動が多すぎる。暴利を貪り、詐欺的商法を行い、さらに邪(よこしま)な金品を懐に入れることなどはとんでもない所業である)。 
 是をそれぞれつつしむは只(ただ)学問の力なり(以上の間違った所業を慎むためには人の人たる道を修める以外にない)。 
 身は苦労すといえども邪なきゆえに心は安楽なり(心の正しいあり方こそなによりも大切である)。 
 
 アダム・スミス(イギリスの経済学者、1723〜90年))もその著作『道徳感情論』(1759年刊)で「幸福の究極とは平静な心の保持である」と説いている。同様の趣旨を石田梅岩も江戸時代中期にこの日本で説いたことは注目すべきことである。梅岩は倫理を欠いた営利の追求は没落への道だと強調したいのだろう。 
 
(4)共生の思想 
 世間のありさまを見れば、商人のように見えて盗人あり、実の商人は先(相手)も立ち、我も立つことを思うなり。紛れものは人をだまして、其の座をすます(その場の恰好をつけるだけに終わる)。 
 
 「実の商人は先(相手)も立ち、我も立つことを思うなり」ーこれこそが共生の思想の表明である。自然との共生は日本の伝統であり、万葉集、和歌、俳句などに人間と自然との連帯感を見出すことができる。ここには自然を開拓し、文明を形成していく欧米の思想との質的な相違がある。自然の尊重、自然との共生という日本の伝統こそ世界に向かって発信していかねばならない。 
 
《石田梅岩の思想にみる企業の社会的責任》 
 以上のような4本柱にみる梅岩の思想は、今日風にいえば、企業の社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility)を意味しており、つぎのように表現することもできる。 
 「持続可能なビジネスの成功のためには社会的責任ある行動が必要である。そういう認識を企業が深め、事業活動やスティーク・ホルダーとの相互関係に社会・環境問題を自主的に取り入れる企業姿勢でなければならない」と。 
これこそが梅岩の主張の要点であり、今日の企業の社会的責任論に関する先見の思想でもあった。(以上、平田氏の基調講演から) 
 
▽21世紀に光る梅岩の思想 (1)― その独自性 
 
 1980年前後から日米英を中心に企業・経済思想の主流となってきたあの新自由主義路線(規制緩和、自由化、民営化を軸に弱肉強食の競争を強要し、貧困、格差を広げ、凶悪犯罪さえも誘発した)が「100年に1度の危機」ともいうべき世界金融危機、大不況とともに破綻した今、再生のための思想をどこに求めたらいいのか。その有力な手がかりとなるのが、石田梅岩の企業・経済思想である。 
 
 梅岩の思想の今日的意義としてまず、その独自性を挙げたい。 
 主著『都鄙問答』(1739年刊)は、近代経済学の父ともうたわれるアダム・スミスの著作『道徳感情論』(1759年刊)の20年前、同『国富論』(1776年刊)の37年も前に書かれた。だから当時の近代的なヨーロッパ思想の模倣ではない独自性がうかがわれる。 
 もちろん彼の思想の基底にあるのは、独学で学んだ神道、儒学、仏教であるが、明治以降のわが国の経済学(思想)が欧米に依存したのとは大きな違いである。特に1980年頃からのわが国の新自由主義論は米国版新自由主義に隷従したイデオロギーそのものであったのに比べると、梅岩の独自性は光っている。 
 
▽21世紀に光る梅岩の思想(2) ― その先見性 
 
 つぎにその先見性に着目したい。梅岩の思想の中核部分を再録し、その今日的意味を考えてみる。 
 
*富の主(あるじ)は天下の人々なり(富は一般庶民のものである) 
=今日の消費者、生活者、労働者など庶民が経済の主役であることを明示している。江戸時代の身分制度の下で一般庶民が主役であることをうたうには並はずれた勇気を要するが、その先見性は高く評価できる。 
 
*万民の心をやすむるなれば(スティ−ク・ホルダー=消費者、労働者、地域などを尊重すれば)、万物育(やしな)わるると同じ(自然の摂理に従うことになり) 
=万民の心を慈(いつく)しむことをすすめ、それが自然の摂理に従うことだと指摘している。これは仏教の慈悲と縁起(えんぎ)論の反映といえるのではないか。仏教の縁起論は、人間を含めてあらゆる事物は相互依存関係の下でのみ存在しており、それぞれが独自に存在することはあり得ないという真理を説いている。 
 今日風にいえば、例えば企業は他者(=消費者、労働者、地域など)のお陰で成り立っている。にもかかわらず株主、経営者が企業を私物化し、利益を貪るのは自然の摂理に反する悪行ということになる。 
 
*子孫を愛せば、道を学びて栄うることを致すべし(子孫のことまで視野に入れながら、商売の持続性を考えなければならない) 
=江戸時代の当時、商家の念願は事業の継続にあった。この継続という願望、理念は今日の地球環境保全のキーワードである持続可能性(Sustainability)と重なる。当時の「子孫」は商家の子孫に限られていたかも知れないが、今日、地球環境保全は地球上の子孫、いいかえれば自然環境も人間も含めた地球全体の持続性にかかわっている。 
 
*実の商人は先(相手)も立ち、我も立つことを思うなり。 
=「先も立ち、我も立つ」とは「共生の思想」の表明にほかならない。人と自然との共生は日本の伝統的思想であり、自然を人間の下位に位置づける欧米の思想との質的な相違となっている。ここでは梅岩は本来の「人と自然との共生」に加えて「人と人との共生」も視野に収めている。こういう多面的な共生観を今日風に読み解けば、もっと視野を広げて、「人と地球との共生」にも行き着く。 
 
 以上は、つぎの4つの柱に整理することができる。 
(1)経済の主役は庶民(市民) 
(2)慈悲と縁起論 
(3)地球環境保全と持続可能性 
(4)「人と人」、「人と自然」、「人と地球」との共生 
 
 江戸中期に生きた梅岩の思想は、むしろ21世紀にこそ生き続ける先見性を秘めている。この優れた日本的思想をどう生かし、発展させていくか、それが今後の課題である。基調講演ではシンポジウムのテーマ、「企業不祥事はなぜ多発するのか」に答えるという問題関心から梅岩の思想を望ましい「企業の社会的責任」のあり方として、いいかえれば「企業モデル」として集約している。 
これと重なってはいるが、もう一つ、新自由主義破綻後の新しい「経済モデル」として継承発展させることはできないだろうか。上記の先見性に満ちた4つの柱は、新しい「経済モデル」になり得る資格十分である。米国の経済思想の模倣から今こそ脱して、日本独自の経済思想を世界に向かって発信していく努力が求められる。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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