2009年03月31日13時20分掲載  無料記事
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文化

個と壁 村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチに思う

  作家村上春樹氏はエルサレム賞受賞スピーチで、個の精神の重要性とそれを押しつぶす壁─元々は脆い個を守る為に個によって作られた壁が存在し、壁の中の個が押し潰されそうになる時、村上氏はそれに照明を当て警鐘を鳴らすとのメッセージを発したと考えられる。(トーマス・モリカワ) 
 
 この壁を朝日などのメディアではイスラエル批判と理解し、パレスチナ人の個の精神を潰すものと考えているようであるが、壁自身があたかも命を持ち、意思を持ちだし「壁の創造主なる」個を押し潰す危険性こそを村上氏が恐れているのは私には疑いの余地もない。 
 
 しかし村上氏のメッセージはこれだけであろうか? 
 そうではない筈である。 
 
 個の精神はみな同一ではなくそれこそ、個性のあるものだ。それは村上氏も認めているところである。個性とは壁の犠牲になる事を承知で壁の中の個を守る為、自らを犠牲に出来るのも個性のある精神であろう。実際にはそのような精神の持ち主なる個の方がはるかに多いのである。これは、それ故に高い強固な壁が出来るとの証明にもなる。 
 
 村上氏の真意は、個自身がその心の奥底深い所に棲む個の弱さに光を当て警鐘を鳴らす事を彼の第一の仕事としていると言っているのではなかろうか。心の中の弱さこそが敵を恐れ、恐れるが故に最新の科学の粋を武器に応用し敵を破ろうとする壁である。 
 
 この心の弱さは悪であり陽が射さない暗闇で氷のように冷たいものであろう。村上氏はこの個の弱さなる壁に打ち勝つのは他の個との善なる心の部分との連帯から生まれる暖かさからであるとする。 
 
 彼の父上は仏僧だったとスピーチの中にあった。私は私自身の思い入れのせいか、聖書的世界を村上氏の文に感じる。聖書の世界では個の精神の心の奥底を覗き込むと個の弱さの象徴として「傲慢さ」が見えるのだ。 
 
 この自身の「傲慢さ」に打ち勝つ為には超人間なる絶対服従出来る存在を自らの中に持つ必要が生まれる。これは仏であっても、自然界の神々でも、聖書の一神教でもその役にはなるであろう。必要なのは宗教ではなく信仰である。 
宗教の教義などはどうでもよく、自分の能力、人間の能力では絶対に勝つことの出来ない存在を持ちえる信仰である。 
 
 しかし、私は村上氏についてはこのスピーチ以外全く何も知らない。彼に何かしらの信仰があるかどうか訊いてみたい気もする。 


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