2009年04月16日10時12分掲載  無料記事
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経済

「グリーンGDP」の導入を 脱「成長主義」へ転換するとき 安原和雄

  世界大不況への対策をめぐって経済成長政策論議が活発である。麻生首相も成長戦略を発表し、論壇誌などメディアも分析・提案に忙しい。その多くは経済成長論の焼き直しのように見える。しかし新自由主義路線破綻後の新経済モデルとして相も変わらず経済成長主義を追求するのは適切だろうか。 
むしろここでは発想を転換して、経済成長には執着しない脱「成長主義」への転換を図るときである。しかも従来の成長主義のためのGDP(国内総生産)に代わる環境重視の「グリーンGDP」導入を提案したい。このことは、あのケインズ主義を超えることを意味している。 
 
▽麻生首相の成長戦略構想への疑問 
 
 麻生首相は4月9日、日本記者クラブでの記者会見で「新たな成長に向けて」と題する2020年までの日本とアジアの成長戦略を発表した。その骨子は以下の通り(朝日新聞09年4月10日付)。 
 
1 はじめに 
 「百年に一度」とも言われる経済危機。ピンチをチャンスに変えることができる国が大きな繁栄をつかむことができる。新たな成長戦略を示したい。名付けて「未来開拓戦略」。対象は2020年まで。伸ばすべき産業分野の姿と、その実現の道筋。 
 
2 日本経済の未来 
 2020年には実質GDP(国内総生産)を120兆円押し上げ、400万人の雇用機会を創出する。当面3年間で40兆円から60兆円の需要を創出、140万人から200万人の雇用創出を実現する。 
・低炭素革命で、世界をリードする国=太陽光発電世界一プラン、エコカー世界最速普及プランなど 
・安心・元気な健康長寿社会=30万人介護雇用創出プランなど 
・日本の魅力発揮=キラリと光る観光大国など 
 
3 アジア経済倍増に向けた成長構想 
 アジアは21世紀の成長センター。膨大な中間層が育ちつつある。 
・アジアの成長力強化と内需拡大 
 
4 さいごに 
 額に汗して働く。チーム全体で高い成果をあげていく組織力。日本のものづくりを支えてきたのは、この伝統。自らの強みを見失うことなく、その土台の上に作り上げたのが今回の成長戦略。日本とアジアの未来は明るい。 
 
〈安原の感想〉21世紀版所得倍増計画はお目出度すぎる 
一読して、池田内閣の所得倍増計画(1960年12月閣議決定、10カ年計画)の21世紀版ではないかという印象である。新安保(現行の日米安保条約)の強行締結に踏み切った岸内閣が退陣した後、「寛容と忍耐」のキャッチフレーズを掲げて登場した池田内閣の目玉政策が所得倍増計画という名の経済成長政策であった。「月給倍増政策」とも呼ばれた。 
 10年間でGDP(当時は「GNP=国民総生産」という経済用語が使われていた)を2倍に増やし、国民生活を豊かにするという触れ込みで、本格的な高度経済成長時代を迎える。自動車、カラーテレビ、クーラーなどの新商品が一挙に普及したが、その半面、公害による深刻な被害も日本列島上に広がった。 
 
それから半世紀を経て、時代は激変した。なによりも人類の生存にかかわる地球環境保全が最重要な課題となっていることである。だから地球環境保全と国民生活の質的充実(自然エネルギー、雇用、教育、健康、貧困対策など)のための多様なグリーン政策が必要である。しかし資源エネルギーの浪費と環境破壊につながる経済成長政策はもはや追求すべき課題ではない。首相の21世紀版所得倍増計画は時代感覚がずれてはいないか。まして「日本とアジアの未来は明るい」などという夢物語が通用すると考えているとすれば、お目出度すぎる。 
 
▽『世界』の特集「日本版グリーン・ニューディール」にみる経済成長論 
 
 論壇誌『世界』09年5月号(岩波書店刊)が特集「日本版グリーン・ニューディール」を組んでいる。その主な柱はつぎの通り。 
*経済成長のパラダイム・シフト=佐和隆光(立命館大学教授) 
*石油の終焉から持続可能なエネルギーの時代へ=槌屋治紀(システム技術研究所長) 
*日本の環境エネルギー革命はなぜ進まないか=飯田哲也(環境エネルギー政策研究所長) 
*若者を惹きつける農業の新たな価値=榊田みどり(ジャーナリスト) 
*林業再建のグリーン・ニューディール=熊崎 実(筑波大学名誉教授) 
*介護分野に現代版ニューディール政策を本当に機能させるために=結城康博(淑徳大学准教授) 
*エコツーリズムによる「自然と雇用」の融合=中嶋真美(玉川大学准教授) 
 
 示唆に富む有益な論文が揃っているが、ここではトップ記事の佐和論文のうち経済成長に関する部分(要旨)を以下に紹介する。その主旨は「成長のための成長」を排し、「持続可能な成長」へ転換せよ、と読める。その疑問点にも言及したい。 
 
《「成長のための成長」から「持続可能な成長」へ》 
 
 地球環境問題の識者兼活動家として名高いレスター・ブラウンは「成長のための成長は、ガン細胞の増殖と何ら変わるところがない」と述べている。20世紀末の地球上に雑草のように繁茂していた経済成長至上主義に対して、環境保全至上主義者が打ち鳴らした警鐘である。増殖を続けるガン細胞は、宿主である臓器をむしばみ、ついには生命維持システムを破壊する。同様に野放図な経済成長は地球のエコシステムを破壊すると言うのだ。 
 
 戦後日本の経済史を振り返ってみても、欧米先進諸国に「追いつき追い越せ」をモットーとする経済成長は、いつの間にか、「成長のための成長」すなわち経済成長が自己目的化し、実質国内総生産(GDP)の成長率を高めることのみが、経済政策の目的と化してしまった。 
 産業界の錦の御旗には「経済成長こそが幸せの原点」と書き記されている。環境税を例にとれば、「その導入が成長率を低下させるから」というのが、反対の最たる理由として挙げられる。 
 
 レスター・ブラウンは「だからゼロ成長を」と言うのではなく、成長の中身を見直すべきだと言うのである。(中略) 
 「現世代が、次の世代がそのニーズを満たせるよう配慮しつつ、みずからのニーズを満たす」という持続可能(サステイナブル)な経済成長は、在来型の経済成長とはまったく位相を異にするのだ。要するに、今、私たちに求められているのは、経済成長のパラダイム・シフトなのだ。 
 
 昨今、市場万能主義者の声は遠吠えと化し、代わって、財政出動を促すケインズ主義者(?)の声がやかましくなった。今、仮に本家本元のケインズに、世界同時不況の処方箋をと願い出れば、それは次のようなものだろう。「財政を出動させるのはいいけれども、使い途を誤ってはならないよ。教育、医療、環境、エネルギーなど『未来への投資』にカネを使いたまえ。いたずらに政府を大きくせよと私が言った覚えはない。必要なのは『大きくて賢い政府!』なのだよ」 
 近時、日本でも頻用されるようになったグリーン・ニューディールという言葉が掛け声倒れにならないためにも、優遇税制などによる巧妙なインセンティブを、「賢明な政府」が迅速に仕掛けることを願いたい。 
 
〈安原の感想〉「持続可能な経済成長」はあり得ない 
以上の佐和論文では「成長のための成長」、さらに産業界の錦の御旗である「経済成長こそが幸せの原点」という考え、主張には疑問を投げかけている。これには賛成である。しかし同論文はゼロ成長を否定し、「持続可能な経済成長」の重要性を強調している。これにはいささか異を唱えたい。 
 
「持続可能な経済成長」とは一体何を意味するのか。私は地球環境保全と生活の質的充実のために目指すべき新しい経済システムは「持続可能な経済」であって、「持続可能な経済成長」ではないと理解している。経済そのものと経済成長は同じではない。生産・消費・投資を含む経済活動そのものがなくなれば、人間は生存不可能に陥る。しかし佐和論文での「経済成長」は毎年、経済が量的に拡大していくことを意味しており、そういう経済成長は持続的ではあり得ない。 
 目下世界が直面している世界大不況によって経済成長率がマイナスになっているのは、持続的ではあり得ない証拠の一つである。特に政府は「持続的経済成長」という言葉を安易に使いたがるが、それは例えば消費税引き上げを目論むための宣伝文句にすぎない。 
 
▽ゼロ成長を含む脱「成長主義」へ転換しよう! 
 
 一般にプラス経済成長(GDP=個人消費、公共投資を含む財政支出、民間設備・住宅投資、輸出入差額など=の量的拡大)が毎年続かなければ、豊かな生活は実現できないという思いこみが強すぎないか。この思いこみは誤解、錯覚と言うべきである。経済成長がそのまま豊かな生活に直結しているわけではない。これからの経済のあり方としては脱「成長主義」への転換が必要である。 
 市場経済である以上、毎年の成長率を管理することは不可能で、プラス成長になったり、マイナス成長(経済の量的縮小)になったりする。平均してゼロ成長で十分と考えるのが脱「成長主義」である。重要なことは、プラス経済成長でなければ、経済は破滅するという思いこみを捨てることである。 
 
〈提案1〉日本はすでに成熟経済であり、ゼロ成長で十分 
 ゼロ成長とは年間GDPの量的規模が前年と同じ規模で推移することである。人間で言えば体重が増えもしないし、減りもしない状態である。 
 日本経済の年間GDPは現在約500兆円で、すでに成熟経済の域に達しており、米国に次いで世界第2位の巨大な経済規模となっている。人間で言えば、すでに熟年であり、もはや体重を増やすことが目標ではない。人間としての人格、品格、智慧を磨くときである。同様に日本経済も「ゼロ成長、つまり500兆円の経済規模で十分」と考えて、成長よりも経済や生活の質的改善・充実に専念するときである。 
 
〈提案2〉求めるべきは「持続可能な経済」 
 政策目標として追求すべきことは「持続可能な経済成長」ではなく、「持続可能な経済」である。プラスの経済成長には資源エネルギーの浪費、自然環境の汚染・破壊を伴う。にもかかわらず量的拡大に執着するのは、子どもの頃もっと大きくなりたいと考えていたことを熟年になっても捨てきれないという幼さを感じさせる。そういう惰性から抜けきれない発想は思い切って捨てるときである。 
 
 ここで強調したいのは、GDPという概念にはもともとつぎのような限界、弱点があることだ。しかしなぜか、現代経済学者の多くは、限界、弱点を丁寧に説明することに怠慢である。そのため経済成長に対する誤解が広がっている。(レスター・C・サローほか編/中村達也訳『現代経済学 上・下』、TBSブリタニカ、1990年=参照) 
 
*産出物の質を表示するには不完全な指標である=量を示すにすぎないので、個人消費や公共投資が増えても、それが生活の質の充実にそのままつながるわけではない。道路拡充と交通量増大が騒音、排ガス汚染、交通事故などを招くのはその一例。 
*売買されない産出物を表示しない=市場で取り引きされないため、貨幣価値に換算できない豊かな自然環境、環境の汚染・破壊、健康と長寿、人間の尊厳や絆、品格、愛情、時間のゆとり、暮らしの安心・安全感 ― など生活の質にかかわるものは、GDPが増えても保障されるわけではない。 
*所得分配を知るためにはまったく役に立たない=破綻したあの新自由主義路線下でプラスの経済成長を実現しながら、その一方で所得格差拡大、貧困、凶悪犯罪の増大をもたらしたが、それをGDPは表示できない。 
 だから経済界などに見られる「経済成長こそ幸せの原点」という捉え方は錯覚である。「経済成長のためにも企業の売上増を!」という旗を掲げて、ノルマを課せられると、サラリーマンにとっては労働強化を強いられ、ノイローゼにもなりかねない。経済成長に執着することが不幸を引き寄せる一例である。 
 
▽ケインズを超えるとき― 「グリーンGDP」の導入を 
 
 新自由主義路線が破綻した後の新しい「経済モデル」をどう築いていくかが目下の大きな課題である。まず問われるのは財政拡大政策につながるケインズ主義に帰るだけで十分なのかである。麻生首相の「日本とアジアの成長戦略」も佐和論文の「大きくて賢い政府論」もケインズ主義への回帰は濃厚である。佐和論文はつぎのように指摘している。 
 
 今、仮に本家本元のケインズに、世界同時不況の処方箋をと願い出れば、それは次のようなものだろう。「財政を出動させるのはいいけれども、使い途を誤ってはならないよ。教育、医療、環境、エネルギーなど『未来への投資』にカネを使いたまえ」― と。 
 
 ケインズ(イギリスの経済学者、1883〜1946年)流の今日的「賢い政府論」は、グリーン政策にもつながるが、むしろ世界不況への処方箋として登場してきた。麻生首相の「成長戦略」もグリーン政策を志向してはいるが、21世紀版所得倍増計画であるからには、やはり成長主義に著しく傾斜している。つまり「百年に一度」の世界不況に引きずられているという印象が残る。成長主義に回帰するのでは、またもや景気の浮沈に大きく左右されかねない。 
 ここは「百年に一度」の世界不況を好機として活用する視点に立ちたい。その軸となるのが脱「成長主義」、さらにグリーン政策を含む生活の質的充実 ― の2本柱である。その意味ではケインズに帰るというよりも、むしろケインズを超えるときではないか。 
 
 私(安原)は国連主催の第一回地球サミット(1992年)の頃から脱「成長主義」への転換を唱えてきた。当時、グリーンGNP(今日で言えば、グリーンGDP)という新しい発想が浮上していた。このグリーンとは、自然環境全体を指すもので、環境破壊をマイナス要因としてGNPに反映させようという試みであった。当然、成長率は低下するが、環境を含めて生活の質を重視する考え方で、ケインズにはみられない発想である。しかしこの貴重な試みであるグリーンGNPは新自由主義路線の猛威の中で消え去っていた。今こそ復活させ、導入する好機と考える。 
 
 もう一つ、ケインズの主著『一般理論』(1936年)は「戦争は富の増進に役立つ」として戦争を肯定している点が軽視できない。今日、ケインズに帰ることは戦争肯定につながりかねない。だからこそケインズを超えなければならない。世界大不況の克服策として軍事力行使を志向し、兵器増産など戦争ビジネスを潤し、経済を活性化させようとするのは時代錯誤である。あの「1929年大恐慌」から世界経済が立ち直ったのは、多くの犠牲者を出した第2次世界大戦を通じてであった。その再現は時代が許さない。 
 
 ともかくケインズを超えるという視点が不可欠である。中長期の「持続可能な経済」戦略は、脱「成長主義」とグリーン政策を含む生活の質的充実(環境、医療、教育、社会保障、自然エネルギー、農林漁業、中小企業などの重視。財源は消費税上げではなく、環境税導入、大企業・資産家への優遇税制廃止、道路建設・軍事費の削減など)が主軸であるのが望ましい。短期の不況克服策はその一環に位置づけられる性質のものであり、それ以上ではない。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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