2009年05月02日21時43分掲載  無料記事
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文化

日本の法の世界は「ガラパゴス的状況」  大河原眞美著『裁判 おもしろ ことば学』を読む    

  日本には専門用語、業界用語が多く、一般市民にはわかりにくいものや、誤解しやすいものが少なくない。今回は、大河原眞美著『裁判 おもしろ ことば学』を紹介したい。著者は言語学者であり、日本弁護士連合会(日弁連)の「法廷用語の日常語化に関するプロジェクトチーム」の一員であり、裁判員裁判の実施を見据えて、法廷用語をやさしく言い換えるための提案を行ってきた。その成果の一部が本書である。ここで、漢字クイズを出してみよう。次の漢字は、法廷用語としてはどのように読むのだろうか。(1)遺言(2)図画(3)居所(4)立木(5)問屋(6)一月(7)同人(8)競売 あなたはいくつ正解できるだろうか。(根本行雄) 
 
  あなたはいくつ正解できただろうか。 
(1)遺言(2)図画(3)居所(4)立木(5)問屋(6)一月(7)同人(8)競売 
不正解というか、一般的な読み方は、次の通り。(1)ゆいごん(2)ずが(3)いどころ(4)たちき(5)とんや(6)いちがつ(7)どうじん(8)きょうばい。 
  正解は、次の通り。(1)いごん(2)とが(3)きょしょ(4)りゅうぼく(5)といや(6)いちげつ(7)どうにん(8)けいばい 
この漢字クイズは、本書の64ページにあるものだ。 
 
  このように法律や法廷で使われている用語には、私たちが日常生活で使っているのとは異なる読み方をするものが少なくない。明治時代における急速な欧化政策のもと、専門用語、業界用語が大量生産され、それは権威主義を支えるものとして利用されてきた。今回の裁判員制度のもと、このような法律用語、法廷用語の見直しが  進められている。それは歓迎すべきことであるとともに、市民が参加することを考えれば、この制度を成功させようと考えれば必要不可欠なことでもある。 
 
  この本の最初の章は、「無罪」についての説明である。裁判員候補である一般市民の多くは、きっと、この言葉を誤解しているだろうと思われる。じつは、法廷用語としての「無罪」とは「罪がない」という意味ではない。「有罪だと立証できない」という意味である。 
 
  一般市民の多くは、被告人が「無実だ」と主張するのならば、無実を証明する証拠や証人を出すべきだと思い込んでいる。しかし、裁判において、裁判官および裁判員に対して「被告人は有罪である」と証明し納得させる立証責任は検察側にある。検察および警察には、犯罪を捜査していくうえでのさまざまな強制力が付与されている。それに対して、被疑者および被告人は、潤沢な資金も、逮捕をしたり、取調べをしたりする強制力も持っていない。また、逮捕、勾留をされていれば、捜査をすることはもちろんできない。 
 
  弁護士もまた、逮捕をしたり、取調べをしたりという強制力を持っていない。だから、捜査能力には、格段の差がある。このような格差があるために、近代刑事訴訟法では、有罪の立証を検察(政府)に義務付けているわけである。だからこそ、被疑者が逮捕され、裁判で有罪の判決が出るまでは基本的人権を擁護する立場から「無罪」であると推定されることになっており、「疑わしきは罰せず」ということわざもできているのである。 
 
  「無罪」の次に、著者は「合理的な疑い」という言葉について述べている。しかし、言語学的な説明のみで、刑事訴訟法の発想をわかりやすく説明することはなされていない。残念ながら、良くも悪くも、言語学的な説明に終始している。 
 
  しかし、この「合理的な疑い」を超える有罪の証明こそが、刑事裁判の肝腎かなめの点である。裁判員裁判になれば、検察(訴追)側は裁判官のみではなく、裁判員に対しても、被告人が有罪であることをわかりやすく立証しなければならない。 
 
  この「合理的な疑い」を超えた有罪の証明とは、どのようなことなのかをわかりやすく説明することは、とてもむずかしい。そういう点においては、弁護側は裁判員に「合理的な疑い」を超えた証明がなされていないということを、検察側の立証が不十分だということをわかりやすく説得することが要求される。だが、現状においては、多くの弁護士にとってそれは困難な課題である。 
 
  「合理的な疑い」を超えた有罪の立証とは、どのようなことか。「無罪推定」の法理にもとづくならば、裁判官と裁判員は、被告人が有罪か、無罪かを判断するに当たって、まず、真っ白な紙のイメージを出発点とすべきでしょう。そして、検察側の提出する証拠を一つ一つ検証していきながら、被告人を有罪とする証拠が十分に納得できる時だけ、一つ一つ、黒く塗りつぶしていくべきでしょう。その結果、真っ白な紙が真っ黒に塗りつぶされた場合か、画面のほとんどが黒いという印象を与える場合にのみ、有罪だという認定をすべきでしょう。そういう厳しい検証を踏まえて、自信をもって、被告人が犯人だと認定できる場合こそを「合理的な疑い」を超えた立証ができたことということになるのである。 
 
  しかし、拙著『司法殺人』(影書房刊)のなかで説明しているように、もう70年代から、ずっと、日本の裁判はセレモニー化し、形骸化していると批判されて続けてきた。日本の法廷は、欧米諸国のように、有罪か無罪かを検証する場ではなく、有罪であることを確認する場となっている。そのために有罪率が99.9%という異常な数字なっている。簡単に言えば、1000人に1人しか無罪にはなれないということである。その背景には、冤罪を生み出しやすい構造とそのメカニズムがある。つまり、日本では、逮捕されたら、たいていの場合、有罪にされてしまうという現実があるということである。冤罪がおこりやすい、こういう現実を改善することなく、裁判員裁判の制度を実施しようとしている。とても怖ろしいことだ。 
 
  今回は、裁判員裁判に関連した視点からのみ、この本を論評したが、じつは、この本は、いろいろな楽しみ方ができる。特に、おすすめしたいのは、「接続詞の迷宮」というタイトルのところだ。「又は」と「若しくは」の違い、「及び」と「並びに」の違いを取り上げている。また、「法廷ことばミニ辞典」というタイトルの、「ややこしい法廷類義語」、「法律は同音異義語の見本帖」なども、おもしろい。法律版「漢字検定」をするにはうってつけの一冊である。 
 
《大河原眞美著『裁判 おもしろ ことば学』大修館書店 本体価格900円 2009年2月刊》 


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