2009年07月24日14時27分掲載  無料記事
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8.30総選挙で問うべき真の争点 平和と暮らしを壊す「日米同盟」 安原和雄

  8.30総選挙の争点をどこに見据えるべきか。目先の景気対策を含め、個別の政策を羅列すれば、多様であり、それこそ貨車一杯に積み込むほどあふれるだろう。だが、大局的に観察すれば、来年(2010年)、発足以来半世紀を迎える日米安保体制の是非こそが最大の争点であるべきだと考える。軍事・経済同盟としての日米安保体制が半世紀も続くこと自体がすでに異常であるだけではない。 
 軍事同盟としての日米安保は、今や「世界の安保」に変質し、軍事力中心主義を克服できない米国との共通戦略に踏み込み、憲法9条(軍備及び交戦権の否認)の空洞化をさらに進めつつある。一方、経済同盟としての日米安保は、米国主導の新自由主義路線によっていのちの軽視、貧困・格差の拡大などをもたらし、憲法25条(生存権)の理念を骨抜きにした。9条(平和)と25条(暮らし)の本来の理念をどうよみがえらせるかを問いただす総選挙にしたい。 
 
▽大手紙社説は外交・安保・日米同盟をどう論じたか 
 
 まず大手4紙の社説(7月22日付)は総選挙に絡めて外交・日米安保・「日米同盟」についてどう論じたか。社説の見出しと主張の骨子を以下に紹介し、私(安原)のコメントをつける。 
 
*毎日新聞=政権交代が最大の焦点だ ごまかさない公約を 
 自民、公明両党はこれまでの実績を強調するだろう。(中略)共産党や社民党、国民新党、新党日本、今後できるかもしれない新党も含め、大切なのはこの国をどんな形にするのかだ。未来に向けたビジョンを示してもらいたい。有権者の目は一段と厳しくなっている。何よりごまかさず、正々堂々と政策論争を戦わせることだ。それがむしろ支持を集める時代なのだ。 
〈コメント〉 
 「大切なのはこの国をどんな形にするのかだ」という指摘はその通りである。しかし当の毎日新聞として「どんな形の国」を期待するのかにはほとんど触れない。なぜなのか。 
 
*朝日新聞=大転換期を託す政権選択 
 日本が寄り添ってきた米国の一極支配はもうない。(中略)日米同盟が重要というのは結構だが、それでは世界の経済秩序、アジアの平和と繁栄、地球規模の低炭素社会化に日本はどう取り組んでいくのか、日本自身の構想と意思を示してほしい。それが多国間外交を掲げる米オバマ政権の期待でもあろう。 
 現実的な国益判断に立って、国際協調の外交を進めるのは、そもそも日本の有権者が望むところだ。 
〈コメント〉 
 「日本が寄り添ってきた米国の一極支配はもうない」は国際情勢の現実認識としては正しい。しかしつぎの「日米同盟が重要というのは結構」という指摘は軽視できない。ここには日米同盟を無批判に肯定する姿勢がうかがえる。あの大東亜戦争の直前に日独伊3国軍事同盟を結んだことを当時のメディアははやし立て、戦争への道を煽った。その結末が日本人犠牲者310万人を数え、敗戦となった。その失敗に学ぶときではないか。 
 
*読売新聞=政策本位で政権選択を問え 
 民主党は、インド洋での海上自衛隊による給油活動など国際平和協力活動に反対姿勢を示してきた。ただ、最近になって、鳩山代表は、給油活動を当面、継続する考えを表明した。政権交代を視野に入れ、外交の継続性から現実的方向に政策転換するのは当然のことだ。だが、社民党の福島党首は反発した。基本政策で隔たりがある社民党との連立政権は、極めて難しい運営を迫られるだろう。 
〈コメント〉 
 民主党の鳩山代表が海上自衛隊による給油活動に賛成の態度に転じたことを「現実的方向」として評価している。いかにも自民党寄りの読売新聞らしい評価だが、ここで疑問が生じる。わざわざ社説の見出しにしている「政策本位で政権選択を問え」はいささか無理難題とはいえないか。同じ政策についてその是非をどのように選択できるのか。本音は自民党と同じ政策なら、民主党も悪くない、という判断なのだろう。 
 
*日本経済新聞=政権選択選挙の名に恥じぬ政策論争を 
 民主党政権が実現した場合の大きな不安要素は、外交・安全保障政策だ。インド洋上での海上自衛隊の給油活動については、小沢一郎前代表当時に「憲法違反」と断じて反対した経緯がある。日米関係などに禍根を残す判断だった。 
 鳩山由紀夫代表は政権獲得後も即時撤退はしない考えを表明した。現実的な外交路線に修正する試みかどうかを注視したいが、社民党は反発し、波紋が広がっている。 
〈コメント〉 
 読売の論調と大同小異である。給油反対は「日米関係などに禍根を残す判断」という認識は「日米同盟」を絶対視する姿勢である。読売同様に社説の見出しで「政策論争のすすめ」を説きながら、その実、論争を歓迎しないという矛盾がある。本音は「自民・公明政権の継続を」ではないか。 
 
 
 さて今日の外交・日米安保・「日米同盟」のあり方を考える上で示唆に富む孫崎 享(注)著『日米同盟の正体 迷走する安全保障』(講談社現代新書、09年3月刊)の趣旨を以下に紹介する。それを手がかりにして、変質する日米安保の実像とその意味するところを追跡したい。 
(注)孫崎氏は1943年旧満州国生まれ。外務省入省後、米国ハーバード大学国際問題研究所研究員、外務省国際情報局長、駐イラン大使などを歴任。国際情報局長時代に各国情報機関と積極的に交流。2002年より防衛大学校教授、09年3月退官。著書に『日本外交 現場からの証言』(中公新書)など。異色の「安全保障官僚」と呼ぶにふさわしい存在である。 
 
▽変質する日米安保(1) ― 「世界」の安保、国連の軽視へ 
 
 2005年10月日本の外相、防衛庁長官と米国の国務長官、国防長官は、「日米同盟:未来のための変革と再編」という文書に署名した。この「日米同盟」と1960年調印の現行「日米安保条約」とはどう異なっているのか。 
 
*「日米同盟」で「極東」から「世界」の安保へ 
 日米安保条約は第6条の極東条項によって、あくまで活動の範囲は極東である。他方「日米同盟」では「地域及び世界における共通の戦略目標を達成するため」とされている。舞台を極東から世界に移した。全く新しい動きである。 
 
*国連の役割を軽視 
 日米安保条約は前文で「国連憲章の目的及び原則にたいする信念・・・を再確認」と述べ、第1条で「国連の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎む」「国連を強化することに努力する」などと国連の役割を重視している。 
 しかし「日米同盟」には国連の目的、原則への言及はない。これは偶然ではない。国連憲章第1条「目的」に「国際的紛争・・・は解決を平和的手段によって、且つ正義及び国際法の原則に従って実現する」「人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく」という2点が含まれている。 
 さらに第2条「原則」で、「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」としている。 
こうした原則、行動指針は、冷戦終結以降の米国戦略の流れと異なる。人民の同権及び自決の原則は、今日の米国戦略の考えにはない。民主化、市場化を目指す国と目指さない国とは、同等ではない。テロを保護する国は敵である。国際政治の構図は敵と味方に峻別されている。 
 何をなすべきかは米国が決める。国連が決めるのではない。この流れは国際協調を主張するオバマ政権でも変わらない。 
 
*「国際的な安全保障環境の改善」と先制攻撃 
 「日米同盟」では、目的を「地域及び世界における共通の戦略目標を達成するため、国際的な安全保障環境を改善する上での二国間協力は、同盟の重要な要素となった。この目的のため、日本及び米国は、それぞれの能力に基づいて適切な貢献を行う」としている。「国際的な安全保障環境を改善する」という文言は、誰にでも受け容れられる雰囲気を持った表現である。しかし具体的な政策に置き換えると、深刻な意味合いを持つ。具体例は以下のようである。 
・米国は冷戦後のイラン・イラク・北朝鮮等での核兵器など大量破壊兵器の拡散を防ぐため、この諸国に対する軍事力使用の計画を考えてきたこと。 
・アフガニスタンにおけるタリバンのようなテロリストをかくまう政権を排除すること。 
 
 軍事力の使用は敵が軍事行動を行ったときに限らない。当然先制攻撃も選択肢としてある。オバマ大統領は変革というスローガンで、この流れを変えられるか。その際には叡智と既存勢力と戦う意思と力が必要になる。残念ながら、その動きはまだ見えない。 
 
〈安原のコメント〉― 軍産複合体とどこまで戦うのか 
 オバマ米大統領はチェンジ(変革)を国民に訴えて多数の支持を得た。果たしてそのチェンジをどこまで期待できるのか。ここで重要なのは『日米同盟の正体』が指摘する次の2点である。 
・何をなすべきかは米国が決める。国連が決めるのではない。この流れは国際協調を主張するオバマ政権でも変わらない。 
・軍事力の使用は敵が軍事行動を行ったときに限らない。当然先制攻撃も選択肢としてある。オバマ大統領は変革というスローガンで、この流れを変えられるか。その際には叡智と既存勢力と戦う意思と力が必要になる。残念ながら、その動きはまだ見えない。 
 
 この指摘からも分かるように著作『日米同盟の正体』は、オバマ大統領の変革にはむしろ悲観的な診断を下している。 
 しかも真の変革のためには「叡智と既存勢力と戦う意思と力が必要」と指摘している。その意味するところは、今や戦争なしには生存できないあの軍産複合体(軍部、兵器メーカー、後方支援を担う民営企業などの複合体)という巨大な戦争マシーン勢力とどこまで戦う意思と力があるのかという問いかけであろう。私はオバマ大統領がイラクから米軍を撤退させ、その一方でアフガニスタンへ増派するのは、軍産複合体との妥協の産物と推察する。 
 
▽変質する日米安保(2) ― 「日米同盟」への日本の対応 
 
 「日米同盟」に日本はどういう姿勢で対応しているのか。『日米同盟の正体』から紹介したい。その主な内容は以下の通り。 
 
・日米同盟の戦略とは米国が提唱し、それに日本側が同意する以外にない。 
・日本は、さしたる考察をすることなく、米国戦略イコール日米共通の戦略とすること、今日本はこの方向に動いている。 
・いま自衛隊では、作戦、運用、訓練、教育などほぼすべての分野で日米一体化に向けて動き出している。なぜなのか。安全保障面で日米の価値観が接近したからか。そうではない。冷戦終結以降、米国は圧倒的な軍事力優勢の下、自分達の価値観を受け容れる者と、これに抵抗する者とを峻別し、両者に対する対応も変えた。これに対し、欧州は異なる価値観を持った。力を超えて、法律と規則、国際交渉と国際協力の世界を重視している。日本国民の価値観もヨーロッパ的であった。 
 日米一体化を進める理由が共通の価値観でないとすれば、何か。大野伴睦自民党元副総裁が述べた価値判断「政治は得か損かだ。理屈は貨車一杯であとからやってくる」ではないか。理屈が政策を決めるのではない。得か損かが政策を決める。力の強い者につくのが得、これが日本の政策決定の価値基準になっている。 
 
・日本側からみると、米国が進める国際戦略が素晴らしいと確信して踏み切った結果ではない。損得を計算し、得だと判断したからである。この判断が問われるのは、日本が派遣した自衛隊員に死者が出たときであろう。 
 日本が自衛隊派遣の決断を迫られるアフガニスタンでは、西側各国軍の死者数は09年1月時点で米国574名、英国141名、カナダ107名、ドイツ30名、スペイン25名、フランス25名となっている。 
・現在の日米関係の危うさは、損か得かで決めていることにある。(中略)日米安保関係は一気に崩れる危険性がある。 
・日米共通の戦略には無理がある。米国は軍事力で国際的環境を変えることを志向しているが、この考えは伝統的な西側理念に反している。かつオバマ大統領が最も重視するアフガニスタンでのテロとの戦いは、誰がアフガニスタンを統治するかという土着性の強い問題であり、この政策は成功しない。 
 
〈安原のコメント〉― 力の強い者につく選択は地獄への道 
 安全保障の分野に大野伴睦自民党元副総裁(故人)が登場してくるのには、アッと驚いた。それもあの有名な「政治は得か損かだ。理屈は貨車一杯であとからやってくる」という日本的セリフとともにである。しかも「力の強い者につくのが得、これが日本の政策決定の価値基準になっている」とすれば、先行き何が待ち受けているのか。 
 「力の強さ」には決して永続性はない。やがて必ず崩壊するときが来る。その場がアフガニスタンでのテロとの戦いであろう。著作『日米同盟の正体』はアフガニスタンでのテロとの戦いは「成功しない」と言いきっている。これではベトナムへ侵略して敗走した米軍の二の舞である。地獄の底知れぬ苦しみが広がって、その時やっと「日米同盟の正体」に気づくようでは遅すぎる。 
 
▽変質する日米安保(3) ― 核兵器と北朝鮮と日本と 
 
 ここでは北朝鮮と日本の核兵器保有について考える。『日米同盟の正体』の主張は以下のようである。 
 
*北朝鮮の核兵器開発について 
 われわれにとって北朝鮮の核兵器開発がどうなるかが、極めて重大な関心事である。われわれは通常西側の観点で考える。では北朝鮮側からはどう見えるだろうか。 
 
 「米国にとり、北朝鮮の核は過去10年ほど主要な問題であったが、北朝鮮にとっては米国の核の脅威は過去50年絶えず続いてきた問題であった。核時代にあって北朝鮮の独特な点は、どんな国よりも長く核の脅威に常に向き合い、その影に生きてきたことである。朝鮮戦争では核による殲滅(せんめつ)から紙一重で免れた。米軍はその後核弾頭や地雷、ミサイルを韓国の米軍基地に持ち込んだ。1991年核兵器が韓国から撤収されても、米軍は北朝鮮を標的とするミサイル演習を続けた。北朝鮮では核の脅威がなくならなかった。何十年も核の脅威と向き合ってきた北朝鮮が、機会があれば『抑止力』を開発しようと考えたのは驚くことではない」(ガバン・マコーマックの『北朝鮮をどう考えるか』平凡社・2004年=参照)。 
 
 北朝鮮がこの恐怖心を持っている際には、西側はどう対応すべきか。ヘンリー・キッシンジャー(元米国務長官)は、「核兵器を有する国は、それを用いずして無条件降伏を受け容れることはないであろう。一方でその生存が直接脅かされていると信じるとき以外は、核戦争の危険を冒す国もない」と判断した。同時に「無条件降伏を求めないことを明らかにし、どんな紛争も国家の生存の問題を含まない枠を作ることが米国外交の仕事である」と指摘している。これが北朝鮮の核兵器開発に対する西側の基本理念となるべきではないか。 
 
*日本の核兵器保有の選択は正しくないし、米国の核の傘も万全ではない 
 孫崎氏は日本の核兵器保有に否定的であり、さらに米国の核の傘も機能しないとしている。その理由は以下の通り。 
 
 核を保有することは核戦争を覚悟せざるを得ない。 
 日本への核攻撃は東京など政治・経済の中心部への攻撃が主となる。日本はわずかな都市に政治・経済の集中が進み、核攻撃に極めて脆弱である。その一方で日本は、例えばロシア、中国の広大な地域に壊滅的な打撃を与えられない。日本が核保有の選択を模索する場合の最大の弱点である。 
 米国の核の傘も万全ではない。核戦略のなかで、核の傘は実は極めて危うい存在である。米国が核の傘を提供することによって、米国の都市が攻撃を受ける可能性がある場合、米国の核の傘は、ほぼ機能しない。 
 
〈安原のコメント〉 ― 核廃絶への大道を進む時 
北朝鮮の核兵器の開発は日本にとって脅威という認識はメディアの間にかなり広がっている。これは核保有国・米国に基地を提供しながら、その日本自身の真の姿を見ようとしないことに気づかないまま、あるいは気づかない風を装って、相手を非難する一つの具体例である。この種の一方的な見方を是正するためには何が必要か。 
 「何十年も核の脅威と向き合ってきた北朝鮮が、機会があれば『抑止力』を開発しようと考えたのは驚くことではない」という著作『日米同盟の正体』の認識をまずは理解することである。もちろん北朝鮮が核兵器を保有することは容認できないのだから、そのためにも米露英仏中国の核兵器保有5大国が核廃絶へ向けて大きく舵を切り替えるという大道を進む以外に妙手はない。 
 
▽「日米同盟=日米安保体制」の変革を目指して 
 
 著作『日米同盟の正体』は「日米同盟:未来のための変革と再編」という文書についてつぎのように指摘している。「日本ではさほど注目されてこなかったが、これは日米安保条約に取って代わったものと言っていい」と。この表現では日米安保条約そのものが死文化したような印象もあるが、これにはいささか疑問なしとしない。結論から言えば、日米安保体制の質的変化が進んだのであり、安保条約そのものが死文化したのではない。安保条約は厳然として健在であり、日本の政治・経済・社会を支配している。 
 質的変化を遂げた日米安保体制そのものが平和と暮らしを壊す元凶となっており、諸悪の根源は日米安保体制にあるといっても過言ではない。だからこそ日米安保体制を丸ごと変革、つまり破棄しなければ、毎日新聞社説が指摘する「新しい形の国」を作ることは、およそ夢物語でしかないだろう。 
 
 といっても当面、日本政府の通告による安保破棄(注)のための政治的、社会的条件が熟しているわけではない。民主党が総選挙で勝利し、新政権の座についたとしても、この条件は変わらない。客観的な矛盾は噴出しているが、主体的な変革条件は未熟であり、途上半ばというほかない。しかし中長期の展望を見失うところに「新しい国の形」を作ることは困難である。 
(注)日米安保条約(1960年調印)10条(条約の終了)は、「締約国は、他方に対し、条約を終了させる意思を通告することができ、その場合、この条約は通告後1年で終了する」と定めている。つまり一方的破棄が可能な規定である。 
 
▽日米安保は平和(憲法9条)と暮らし(同25条)を壊す元凶 
 
 さて日米安保体制は平和と暮らしを壊す元凶であり、諸悪の根源ともいえる。なぜそういえるのか。 
 まず日本列島上を覆っている数え切れないほどの偽計、偽装、隠蔽、ごまかしの根因は憲法理念と日米安保体制とが矛盾しているところにある。周知のように憲法9条は理念として「戦争放棄、非武装、交戦権の否認」を明記している。一方、安保条約3条は、「自衛力の維持発展」をうたっている。日本の歴代保守政権は、この3条を忠実に実行し、今では自衛力という名の世界有数の軍事力を保有し、憲法9条の理念を骨抜きにしている。日本の最高法規、憲法に政府自らがごまかしを埋め込んでいる国柄である以上、日本列島上に偽装、ごまかしが溢れるのは避けがたい。 
 
 つぎに日米安保条約は「日米軍事同盟」と「日米経済同盟」という2つの同盟の法的根拠となっている点を指摘したい。 
 前者の軍事同盟は安保条約3条(自衛力の維持発展)、5条(日米共同防衛)、6条(在日米軍基地の許与)などによって成立している。特に巨大な在日米軍基地網は、米国の世界戦略上の前方展開基地として必要不可欠の機能を果たしている。かつてのベトナム侵略もそうだったし、昨今のイラク、アフガニスタンへの米軍事力の展開も在日米軍基地網の存在なしには不可能であるだろう。 
 「安保の変質」によって「極東の安保」から「世界の安保」へと自衛隊自体の行動範囲が地球規模に広がりつつある。最近のその具体例が東アフリカのソマリヤ沖海上での海賊対策という名の海外派兵である。状況によって武器使用も容認されており、従来の人道支援という名の海外派遣とは質的に異なってきている点は見逃せない。 
しかし軍事力の行使によって平和(=多様な非暴力)をつくる時代では、もはやない。軍事力によるテロとの戦いに失敗していることから見ても、軍事力行使は平和を壊す結果しかもたらさない。 
 
 後者の経済同盟は安保条約2条(経済的協力の促進)によって規定されている。2条では「自由な諸制度を強化する」「両国の国際経済政策における食い違いを除く」などをうたっている。これを背景に日米安保体制は米国主導の新自由主義(=市場原理主義)を強要し、憲法25条(生存権、国の生存権保障義務)の理念を蔑(ないがし)ろにする装置として機能してきた。 
 周知のように憲法25条は「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とうたっているが、現実には新自由主義路線によって失業、貧困、格差の拡大、病気の増大、医療の質量の低下、社会保障費の削減、税金・保険料負担の増大などがもたらされ、生活の根幹が脅かされている。その上、いのちがあまりにも粗末に扱われている。 
その打開策は、まず破綻した新自由主義路線と決別することである。新自由主義は破綻はしたが、死滅したわけではない。再生の機会をうかがっていることを見逃してはならない。 
 
 以上のように日米安保体制を背景に憲法9条と25条の空洞化が進んできたわけで、平和と国民の暮らしを守り、生かしていくためには日米安保の解体をこそ視野に入れる必要がある。従来型の自民・公明党政権では新しい時代の要請に応えられない。一方、民主党政権が誕生しても、政策面で自民党に接近するようでは期待できない。目先の景気対策を中心に政権選択を競い合うときではない。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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