2009年08月01日15時17分掲載  無料記事
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禅僧・松原泰道老師を偲んで 仏教思想を現代に生かした功績 安原和雄

  仏教にいう「人生の四苦=生老病死」の最後の死はやはり誰しも避けられないのか ― 禅僧・松原泰道老師死去の知らせに静かに胸中に広がる感慨である。著作や講話から数え切れないほど多くのことを教わった。汲めども尽きぬ智慧の泉のような存在でもあった。しかも2000年以上も昔の仏教思想を21世紀という現代にどうつなぎ、生かしていくかが老師の終生のテーマであったに違いない。その功績は顕著である。 
 老師自身は仏教経済学(思想)を志向しているようにはみえなかった。とはいえ、その柔軟にして深い仏教思想を変革の思想、仏教経済学とどう融合させていくか。仏教経済学の構築を心掛けている者の一人として、今後に残された大きな課題である。 
 
 松原泰道老師の死去について朝日新聞(09年7月30日付)は、要旨つぎのように報じた。 
 
 わかりやすい仏教の本や講演で人気だった臨済宗龍源寺前住職の禅僧、松原泰道(まつばら・たいどう)さんが29日午前、肺炎のため死去した。101歳だった。葬儀は8月3日午後1時から東京都港区三田5の9の23の同寺で。 
 東京都生まれ。臨済宗妙心寺派教学部長や仏教伝道協会理事などを歴任。65歳のときに書いた「般若心経入門」がベストセラーに。著書は130册以上あり、100歳を過ぎてからも執筆や講演をこなしていた。76年には、多くの人に仏教に親しんでもらうため都内の喫茶店などで辻説法や講演をする「南無の会」を宗派を超えて結成し、会長を務めていた ― と。 
 
 私(安原)は老師の講話を身近に聴く機会に何度も恵まれた。その機知とユーモアに富んだ語り口にはいつもうなずきながら学ぶところが多く、感謝あるのみである。晩年はさすがに車椅子愛用となっていたが、語り口の妙味は衰えることがなかった。 
 
▽松原老師の「経典入門シリーズ」に学ぶこと 
 
 死去のニュースを聞いて、私は無造作に書籍が積み上げられているわが家の本棚を探した。松原老師の著作である「経典入門シリーズ」(新書版、祥伝社刊)が埃(ほこり)を被ったまま並んでいる。15年ほど前に読んだつぎの6册である。 
・『般若心経入門』(276文字が語る人生の知恵) 
・『観音経入門』(もう一人の自分の発見) 
・『仏教入門』(あなたの家は何宗か?) 
・『法句経入門』(うつろう人生の意味を解く50詩句) 
・『法華経入門』(七つの比喩に凝集した人間の真実) 
・『わたしの歎異抄入門』(こころ豊かに生きる知恵) 
 
 ページをめくってみると、余白のあちこちに読んだときのコメントなどが書き込まれている。一例を紹介すると ― 。 
 『般若心経入門』の36頁に「本当に別個か?」という疑問符つきの短いコメントがある。これだけでは意味不明だが、そこの老師の文章はつぎのようである。 
 
 人間は、貧しければ悲しみのあまり消えたくなります。ところが、豊かになると、またそれがうとましくて蒸発したくなります。現代は、この両方の蒸発希望者を産みだしています。前者は政治や経済の責任だと一応は考えられても、後者の、豊かなる世界からの脱出は、自我の現実的満足にあきたらず、より高次なものを求めての自己の願いであるから、政治や経済とは別個の問題です ― と。 
 
 末尾に「政治や経済とは別個の問題」という文言があり、それへの疑問符であることが分かるが、さて何をどのように疑問に思ったのか。自分自身のコメントを読み解く、というのもおかしいが、15年ほども前のことだから、ここは記憶を辿りながら読み解く以外にない。多分つぎのようなことではないか。 
 
 私(安原)は当時、現役経済記者を辞めて、大学教員になったばかりで、政治・経済社会の真実に目を背ける既存の現代経済学に空しさを感じ、仏教経済学(思想)に関心を持ち始めていた。それなりの構想も頭の片隅に芽生え始めていた。いいかえれば現実の政治・経済と仏教との相互関係、融合のあるべき姿を考え始めていた。ちょうどその頃、上記の老師の一文を読んだ。そして何を考えたか。 
 今、読み返してみると、老師は「貧しさによる悲しみの責任は、政治や経済にあるといえるが、豊かでうとましい世界からの脱出は、政治や経済とは別個の問題だ」と指摘している。問題は後半の部分で、私の考えでは「豊かな世界」にも「量的な豊かさ」と「質的な豊かさ」がある。前者の量的豊かさは、貪欲な物的豊かさにつながるところがあり、うとましく感じもするが、後者の質的豊かさは、例えば簡素な暮らしのように持続性があり、決してうとましくはない。このように一口に「豊かな世界」といっても、その中身は政治や経済のあり方と深くかかわっている。そうとらえなければ、仏教経済学そのものが成り立たない。そこで「本当に別個か?」のコメントを書き込む気になったのだろう。 
 
 以上は私にとって仏教経済学的思考上の遍歴の一つといえるが、ここで強調したいのは、仏教経済学(思想)を構想していく上で、老師の著作に負うところが極めて大きいということである。今、「経典入門シリーズ」を改めて読み直してみたいと考えている。多少読み方も変わってくるだろうし、新たな発見がいくつも期待できるのではないかと楽しみにしている。 
 
▽仏教を駆使して現代の諸問題に切り込む 
 
 もう一つ、老師の著作を紹介したい。松原著『「足るを知る」こころ ― 般若心経と仏教の智慧』(プレジデント社刊、1999年)も教えられるところが多く、つぎのように現代の諸問題、原子力発電から臓器移植までを多面的に論じている。 
 
 「自分だけでは決して自分というものはあり得ないんだという相互依存関係、縁起関係を突き詰めていって、初めて口をつく〈お陰様〉という言葉が、般若心経の最高の理想だと思う。(中略)〈お陰様〉がわかるということは、言葉を換えていえば、〈足ることを知ること〉である。しかし足ることを知るところで納まってしまってはいけないんで、そのポールを超えなければならない。それは〈与える〉ということだろう。マックス・ウェーバー(注)は、働け、儲けよ、蓄えよ、そして与えよといっている。儲けて与えることができれば、エコノミック・ヒューマンで、それを自分のポケットに入れたらエコノミック・アニマルになってしまう。〈与える〉は仏教の言葉ではお布施だが、それでは若い人たちはついてこないんで、今の言葉で〈貢献〉と言えばいい」 
 (注)マックス・ウェーバー(1864〜1920年)はドイツの社会科学者。ベルリン、フライブルク、ハイデルベルク、ミュンヘンの各大学教授を歴任。著書『プロテスタンチズムの倫理と資本主義の精神』が知られる。 
 
 「〈知足の英知〉を身につけること。今日の不況はそれを実行するいいチャンスではないか。今、人々の心は、ようやく〈倹約が美徳〉という風潮に少しずつ傾きつつある。だから例えば節電に務め、用が済めば電気器具のスイッチは必ず切ることを習慣づけるよう心がける。便利な機械のスイッチを切るというのは、欲望をコントロールすること」 
 「冷暖房完備、トイレの温水洗浄を当然のこととしながら、原子力発電反対を唱えるのは、道理が通らない。やはり〈足ることを知る〉ことによって、現在の高度な生活のレベルを下げる実践が必要である」 
 
 「仏教の思想からいうならば、欲が悪いんじゃなくて、とらわれることを非とする。だから人間、長生きしたいという欲望が悪いんじゃない。それにとらわれて他人の内蔵まで貰おうという執着、それも外国まで行ってカネに任せて臓器を貰ってくる。仏教徒として、それはいけませんというのが親切だと思う」 
(以上は安原和雄著『足るを知る経済 ― 仏教思想で創る二十一世紀と日本』=毎日新聞社刊、2000年=から転載) 
 
▽仏教の先達からの遺言と受け止めて 
 
 松原老師の文章や語り口は、やさしく分かりやすいが、それだけではない。仏(ほとけ)の教えを駆使しながら、現代のわれわれが直面している政治、経済さらに生き方に至るまで切り込んでいくところに特色がある。ここが葬式仏教に甘んじている多くの僧侶たちとの大きな違いである。 
 その具体例を上述の文章から引用すると ― 。 
・〈与える〉は仏教の言葉ではお布施だが、それでは若い人たちはついてこないんで、今の言葉で〈貢献〉と言えばいい。 
・冷暖房完備、トイレの温水洗浄を当然のこととしながら、原子力発電反対を唱えるのは、道理が通らない。やはり〈足ることを知る〉こと。 
 
 以上のように高齢を重ねながら、現代の現実的課題から逃げないで、絶えず創意工夫をこらすという精進ぶりにはただただ頭が下がるほかない。こういう生き方は、仏教の先達からの遺言と受け止めて胸中に納めておきたい。できることなら実践してゆきたい。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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