2009年08月15日15時12分掲載  無料記事
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戦後世代にとっての戦争と平和 64回目の終戦記念日を迎えて 安原和雄

  「戦争と平和」というテーマはこれまで戦争体験者たちの独占物となっていたきらいがる。しかしこれでは戦争を拒否し、平和を新たにつくっていくことはできない。なぜなら戦争体験者は少数派であり、戦争を知らない戦後世代が日本全人口の4分の3を超え、多数派となっているからである。こういう時代の変化を踏まえて、戦争を反省し、平和をつくっていくためには何をどうしたらいいのか。戦後世代の活躍に期待するほかない。 
 戦後世代の青年男女は青年らしく真剣に考え、行動を始めており、新しい感覚で平和の集いをあちこちで開催している。64回目の終戦記念日を迎えて、青年たちによる手づくりの平和イベントを紹介したい。 
 
▽大手紙の社説は「戦争と平和」をどう論じたか 
 
 64回目の終戦記念日「8.15」を迎えて大手紙の社説(09年8月15日付)は平和について何を論じたか。5紙社説の見出しはつぎの通り。 
*朝日新聞=あの戦争の記憶 世代を超え、橋を架ける 
*毎日新聞=終戦記念日に際して 「打たれ強い日本」に 低エネルギー化急げ 
*読売新聞=終戦の日 追悼めぐる論議を深めよ 
*日本経済新聞=悲劇を繰り返さぬ決意を新たにしよう 
*東京新聞=終戦の日に考える 九条とビルマの竪琴 
 
 見出しの多様さを競い合っている印象だが、多くは割愛して、朝日社説の一部のみを紹介する。つぎのように書いている。 
 神(じん)直子さん(31)は、学生時代にスタディーツアーでフィリピンを訪ねた。現地の集会で、一人のおばあさんに「日本人なんか見たくない」と言われたことが胸に突き刺さった。日本兵に夫を殺されたという。 
 フィリピンは太平洋戦争の激戦地だ。日米両軍の死闘のなかで、日本の軍人・軍属60万人中50万人が死亡した。フィリピン人も100万人以上が犠牲となった。 
神さんにとって戦争の歴史は、モヤモヤとよどんでいる、という。 
 あの時代に近づき、戦争に携わった当事者に向き合わなければ、モヤモヤを埋めて先へと進めない ― 。 
 神さんは「ブリッジ・フォー・ピース」という団体を立ち上げた。若者たちが手分けして70人近い元兵士の話を聞いた。フィリピンの市民団体などの協力で、毎年のように上映会を開く。(以上、引用) 
 
 ここに出てくる「ブリッジ・フォー・ピース」が主催する集いに私(安原)自身、参加したので、その体験と感想を以下に報告する。 
 
▽夏のイベント「平和をつくる・みんなと出会う」に参加して 
 
 「ブリッジ・フォー・ピース」、すなわち「BRIDGE FOR PEACE」(略語BFP、代表・神直子)主催の平和集会、「つながるBFP夏のイベント〜平和をつくる・みんなと出会う〜」が09年8月8日、東京メトロ日比谷線広尾駅脇の「JICA(国際協力機構)地球ひろば」で開かれた。BFPは、戦後30年以降生まれの世代の自主的な集団で、戦場体験者から生の非人間的な体験を掘り起こしながら、それを語り継ぎ、戦争を拒否し、平和をつくっていくことを目指している。イベントに集まったのは私(安原)を含めて老若男女合わせて100名余。 
 
 この集団は、テーマ「戦争と平和」やBFPそのもののあり方にどう向き合おうとしているのか。イベントに参加したBFPメンバーの声を紹介したい。 
 (『私たちの歴史認識〜戦後世代の声〜戦争について知らなくていいの?戦後世代だって考える!!』=企画・発行:ブリッジ・フォー・ピース〈BFP〉=を参照) 
 
*代表・神直子さん(昭和53年生まれ)=BFP5周年を迎えて〜緩やかなネットワークであり続けたい 
 今年で活動も5周年を迎え、何らかのきっかけで戦争に関心をもつようになった人が共感し、どんどん輪に入ってくれている。外国で戦争被害者と出会ったり、戦争について日本人として意見を求められて戦争を考えるようになったり、本や映画がきっかけとなったり、家族や語り部の方から戦争体験を直接聞いて関心をもった者もいる。それぞれの原点は様々である。 
 同じ過ちが繰り返されないためにも戦争を語り継いでいきたい。私は、メンバー全員が同じ意見を持つ必要はないと思っている。違って当たり前である。私の掛け声のもと、皆が同じ方向を向くような集団だったら、戦時中と変わらないかも知れない。これからもそのような緩やかなネットワークであり続けたいと思っている。 
 
*Mさん(開発コンサルタント・昭和51年生まれ)=日本はまた戦争になる 
 戦争放棄をうたった9条を含む日本国憲法がつくられた当時と比べて、現状、日本はまた戦争になるという危機感が大きくなっていると主張しても、それほど的外れではない。私にそう危惧させるのは、昨今の憲法改正の動きだけではない。 
 根本的かつ危機的な動きは、政府に対する主権を持っている国民の考えのなかにある。それは「平和のための戦争、戦争を終えるための戦争など、正当化される戦争もある」という理屈に納得する人々が増えていること。その原因は彼ら自身が戦争の悲惨さ、殺戮の恐ろしさ、人間が人間でなくなる悲しさを知らないこと、換言すれば、「戦争を知らない世代」が増えているためではないか。 
 
*Aさん(イベントコーディネーター・昭和55年生まれ)=「戦争」から「平和」を考える 
 どれだけの人に平和に対する想いを伝えることができるか。 
「何を言ってるの?日本は平和じゃない」「そんな過去のことを掘り返してどうするの?」「戦争はなくならないよ」など否定的なことを言われる。 
 ある時、『戦争』という単語を使うと、人は敬遠することに気づいた。BFPは「平和のための架け橋」で、戦争体験を語り継いでいくことは、平和を求める活動なんだと気づいた。「私たちの未来のために平和を守っていきたい」と言った時に違う反応が返ってきた。多くの人に広めていくためにも、伝え方を変えるべきだと気づいた時でもある。 
 
〈安原の感想〉― 新しい平和人群像の登場 
 戦争を知らない戦後世代のなかでも若い世代に属する青年たちの平和イベントに参加して得た第一印象は、旧来の平和活動家とは異質の新しい活動家たちが育ちつつあるということである。平和人(へいわびと)群像とでも呼んだら適切だろうか。「戦争反対」のスローガンを叫び、スクラムを組み、あるいは拳を振り上げて「頑張ろう!」などと気勢をあげることはしない。日常感覚で「戦争と平和」について語り合う。しかも目を輝かせながら、である。 
 代表の神直子さんは「緩やかなネットワーク」を目指している。こういうネットワークは旧式の団結感覚とは合わない。多様な個性を集めるには「緩やかなネットワーク」が最上といえる。Mさんは、「戦争を知らない世代」が増えているからこそ、日本はまた戦争に走りそうだという危機感を抱いている。Aさんは『戦争』を語ると、敬遠されることに気づき、平和をどう伝えるかに苦心している。いずれも地に足がついている。考え、工夫している。今後の大いなる成長と発展に期待したい。 
 
▽元日本兵・戦地体験者たちと膝を交えて語り合う 
 
 ゲストとしてつぎの元日本兵・戦地体験者4名が参加した。ゲストの中には90歳過ぎの高齢者もいる。(50音順) 
*谷口末廣さん=フィリピンでの戦争・戦場の生き地獄を知る人。 
*中谷孝さん=陸軍の特務機関要員として中国・南京周辺で活動。捕虜の斬首などに立ち会った。 
*成川貞治さん=フィリピンでの戦争体験を告白する「フィリピン戦記」を執筆。 
*松浦俊郎さん=1943年(昭和18年)学徒兵として召集され、フィリピンに送られる。 
 
 元日本兵4名と参加者との交流は、元日本兵1名をそれぞれ囲み、膝を交える形で4つのグループに分かれて行われた。私(安原)が参加したのは、中谷孝さんのグループで、印象に残ったのはあの南京大虐殺(1937年=昭和12年から始まった日中戦争初期に南京で行われた日本兵による大虐殺)のこと。中谷さんは要旨つぎのように語った。 
 
 中国で日本兵たちは、人には言えないほど残虐なことを数多くやってのけた。だから多くの元日本兵はいまなお本当のことを語ろうとしない。どうしても事実をそのまま語ることはできいないのだ。このように「言わない」状態が続いていると、事実を知らない人は「事実そのものがなかった」と誤解してしまう。これが問題である。 
 あの南京大虐殺の中国人犠牲者は12万人から10数万人に上ると思う。20万人以上という説もあるが、それは違うのではないか。逆に南京大虐殺そのものがなかったという人も自衛隊関係者の中などにいるが、そういう意図的な発言は事実に基づいていない。私(中谷)自身は手を下したわけでないが、自分で殺した当事者本人から直接話を聞いたのだから間違いない ― と。 
 
 こういう証言は戦争の残酷な真実を知る上で貴重である。 
 さて最近の自衛隊海外派兵に関連して、後方支援について私(安原)が中谷さんに質問したこと、それへの回答を紹介しておきたい。明白になったことは、自衛隊はすでに海外での戦争に参加しているという事実である。こういう事実に対する認識を共有して、今後の「戦争と平和」を考えるようにしたい。 
 
〈安原〉「日本では憲法9条(戦争放棄)のお陰で戦争に参加していないし、また自衛隊員が海外で人を殺したこともないと考えている人が少なくない。これは後方支援は戦争への参加ではないと誤解しているためだと思う。例えば海上自衛隊がインド洋で米軍などに石油を補給しているのは軍事上の後方支援であり、明らかに戦争参加であると思うが、いかがですか」 
〈中谷〉「その通りだと思う。石油など燃料のほかに弾薬や食糧の補給は後方支援であり、これらの後方支援がなければ前線での戦争は出来ないのだから」 
 
▽「天皇陛下、お国のため」「上官の命令」は言い訳になるのか 
 
 なぜ戦争が始まってしまったのか、なぜ戦地では人殺しなど残虐なことが出来るのか―などが戦争を知らない戦後世代にとっては大きな疑問となっている。 
 フィリピン人や元日本兵たちが戦地での生々しい体験を語るビデオが会場で上映されたが、その中で元日本兵らは「天皇陛下のため、お国のためと言われたら、戦争に行くほかなかった」「捕虜らを殺せという上官の命令には逆らえない」などと語っている。 
 当時の侵略戦争を肯定し、推進する軍国主義教育によって国民一人ひとりが心身共に拘束されて、自由に考え、行動することができなくなっていたこと、さらに治安維持法(最高刑は死刑)によって戦争批判者らは逮捕され、牢獄に閉じこめられたこと、などの事情も大きい。 
 
 これに対し、年配の女性Bさんからつぎのような趣旨の問題提起があった。 
 「天皇陛下、お国のため」と言われたら、戦争に行くほかなかった ― などという言い訳をしていていいのだろうか。一例を挙げると、当時川柳を武器にして反戦に生きた若者がいた。鶴彬(つる・あきら)、本名は喜多一二(きたかつじ)。その若者を主役にした映画「鶴彬 こころの軌跡」(注)が最近出来上がった ― と。 
 
 大変重みのある問題提起であるが、話題はあまり発展しなかった。女性Bさんが言いたかったのは恐らくつぎのようなことではないか。 
 今再び戦争への流れが目立ち始めている。これにどう立ち向かうのか。日本国憲法9条は戦争放棄、非武装、交戦権否認を定めている。しかも生存権も自由も人権も民主主義も憲法上は保障されている。そこがかつて侵略戦争に突入していった明治憲法下とは180度異なっている。そういう恵まれた条件を生かさず、行動もしないで、再び悲惨な体験(戦後世代にとっては初体験)をしてから、またもや言い訳をあとになってするのか ― と。 
 
 有り体に言えば、「昔陸軍、今企業」である。「上官の命令」は今では、会社の上司の指示と同じようなものだと考えれば分かりやすい。上司の指示に対し、例えばそれは犯罪に相当するとか、企業の社会的責任に反するとか、の視点から疑問を感じたら、率直に指摘しなければならないはずだが、現在のサラリーマンたちはどれほど実行しているだろうか。そもそも疑問に感じない風潮もあるのではないか。「無自覚」「無批判」「無抵抗」が累積した結果、企業破綻に追い込まれるケースが少なくない。 
 「企業破綻」を「日本破綻」に置き換えてみると、根っこは、真実を見ようとせず、批判にも行動にも訴えようとしない点で同じだと分かる。Bさんの問題提起は単なる昔話ではなく、今日のテーマ「戦争と平和」にどう向き合うか、と深くかかわっている。 
 
(注・安原)映画監督は『郡上一揆』などの作品で知られる神山征二郎さん。同監督は「人の子鶴彬が、戦争という暴力の、暗黒の時代を、平和とリベラリズムのためにどう生きたかを、とにかく描いてみようと・・・」と語っている。 
 鶴彬を演じた俳優の池上リヨヲマさんは「苦しい状況の中でも必死に命を燃焼させて生きようとしていた鶴彬や当時の人たちのパワーを感じてもらって、魂を燃やして生きようよ、ってみんながちょっとでも思ってくれるきっかけに、この映画がなってくれたら嬉しい」と期待をかけている。 
 なお鶴彬は1909年(明治42年)石川県生まれ、15歳の頃から川柳を作りはじめる。軍隊内での反戦活動で逮捕され2年間服役、さらに1937年(昭和12年)治安維持法違反で逮捕され、留置所で赤痢にかかり、翌38年29歳で亡くなった。短い生涯に1000を超える句と90余の評論、自由詩などを残した。(『鶴彬こころの軌跡』=シネ・フロント社刊「シネ・フロント」別冊37号、09年3月=から) 
 
▽戦争はなぜなくならないのか(1)― 戦争勢力・軍産複合体に着目しよう 
 
 イベントの会場でつぎのような質問用紙が配られた。「なぜ戦争はなくならないのか? なぜなくせないのか? 自分の答えに近いものをつぎの中から三つ選んで下さい」とある。選択肢の主なものを紹介すると、以下の通り。 
・過去の憎しみを消すことができないから 
・「テロリスト」がいるから 
・大国が自分の考えを押しつけようとするから 
・戦争によって利益を得る人がいるから(国、企業があるから) 
・差別され、抑圧されている人たちがいるから(地域、国があるから) 
・宗教、民族、言葉などのちがいを人間は乗りこえることができないから 
・平和を求めようとする(戦争に反対する)力が弱いから 
・貧富の差があるから 
・武器を持っているから(軍事基地・施設があるから) 
・大国・豊かな国(に暮らす人)が資源や領土など自分の国の利益ばかりを考えているから 
・メディアが人々を戦争へとあおるから 
 
 どの選択肢も、それぞれ戦争の背景となり得るが、私(安原)は戦争勢力・軍産複合体の存在を指摘したい。 
 広島市、広島平和文化センター、朝日新聞社主催の国際平和シンポジウム「核兵器廃絶への道」が朝日新聞(09年8月6日付)に掲載された。その中で基調講演者の平和運動家 ブルース・ギャニオンさん(米国の市民団体「宇宙への兵器と原子力配備に反対するグローバルネットワーク」のコーディネーター)がつぎのように語っている。 
 日本は憲法9条を守っていただきたい。北朝鮮の能力が過大評価され、恐怖をかき立てられることで、新たに多額の資金を軍拡競争、宇宙開発に振り向けることが正当化されている。私たちは、軍産複合体が何をしようとしているのかを吟味する必要がある ― と。 
 
 この発言の中で注目に値するのは、末尾に出てくる「軍産複合体」である。一般のメディアではこの軍産複合体に言及することは皆無といってもいいほどである。珍しく新聞記事に登場してきたが、軍産複合体とは何か、の説明がない。実は上記の選択肢のなかにヒントがある。つぎの諸点である。 
・戦争によって利益を得る人、企業がいる 
・武器を持っている 
・大国が資源など自国の利益ばかりを考える 
・メディアが人々を戦争へとあおる 
 これらを総合的にとらえないと、軍産複合体の素顔は描けない。その正体は、以下、戦争はなぜなくならないのか(2)、で明かしてみたい。念のため指摘すれば、この軍産複合体は第二次世界大戦後に新たに形成された戦争勢力であり、大戦前には存在しなかった。 
 
▽戦争はなぜなくならないのか(2)― 日米軍産複合体の正体 
 
 1961年1月、アイクこと軍人出身のアイゼンハワー米大統領が、ホワイトハウスを去るにあたって全国向けテレビ放送を通じて、有名な告別演説を行った。 
 「アメリカ民主主義は新しい巨大で陰険な勢力によって脅威を受けている。それは軍産複合体(Military Industrial Complex)とでも称すべき脅威であり、その影響力は全米の都市、州議会、連邦政府の各機関にまで浸透している。これは祖国がいまだかつて直面したこともない重大な脅威である」と。 
 この警告から半世紀近くを経て、昨今の米国軍産複合体は、「政軍産官学情報複合体」とでも呼ぶべき存在に肥大化している。その構成メンバーは、ホワイトハウス内で影響力を行使する新保守主義者=市場原理主義者たちのほか、保守系議員、ペンタゴン(国防総省)と軍部、国務省、CIA(中央情報局)、兵器・エレクトロニクス・エネルギー・化学産業などの軍事産業群、さらに保守的な科学者・研究者・メディアからなっている。 
ブッシュ前米大統領の「イラン、イラク、北朝鮮は悪の枢軸」という有名な言を借用すれば、「悪の枢軸・軍産複合体」と名づけることもできよう。 
 
 これがブッシュ大統領時代に覇権主義に基づく身勝手な単独行動主義を操り、イラク、アフガニスタンへの侵略戦争を行うなど世界に大きな災厄をもたらしてきた元凶である。オバマ米大統領はイラクからは米軍を撤退させるが、アフガニスタンへはむしろ米軍を増派することになっている。このような「終わりなき戦争」の持続は、戦争ビジネスを拡大し、国家財政を食い物にしようとする軍産複合体との妥協の産物というほかない。オバマ大統領が唱える「核兵器の廃絶」も、大統領自身が軍産複合体とどこまで戦うのか、その成否にかかっていると言っても過言ではない。 
 一方、地球上の発展途上国で多発している内戦(政府軍と反政府軍との戦争)は、米国主導の侵略戦争とは異質であるが、米国の軍産複合体が兵器輸出によってその内戦を煽っている側面もあることを軽視するわけにはいかない。ここには兵器輸出という名の戦争ビジネスがかかわっている。 
 
 米国版軍産複合体という権力集団に追随しているのが日本版軍産複合体である。米国ほど巨大ではないが、その構成メンバーは、首相官邸、国防族議員、防衛庁と自衛隊、外務省、エレクトロニクスを含む多様な兵器メーカー、保守的な科学者・研究者、さらに大手新聞・テレビを含むメディア ― などである。一口にいえば、日米安保体制=軍事同盟推進派のグループである。しかも日米安保体制=軍事同盟を軸に日米両国の軍産複合体が一体化しているところに特色がある。 
 アフガニスタンへの米軍増派と日本の対米協力、ミサイル防衛(米国向け長距離弾道弾をミサイルで撃ち落とす構想)、憲法9条の改悪(非武装平和の理念を放棄し、正式軍隊保持へ転換)、― などを狙う日米連合型軍産複合体の欲望をどう封じ込めることができるか。これは平和を求める戦後世代の青年たちにとって未経験で新しく、かつ巨大な挑戦的課題といえる。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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