2009年08月27日20時45分掲載  無料記事
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創価学会による「日本占領計画」  総選挙後の公明党の去就に注目  安原和雄                 

  初めての「政権選択」となる8.30総選挙の結果、民主党が勝利するとしても、もう一つの焦点は第三党公明党の去就ではないか。有り体にいえば、新政権の一翼を担うのか、それとも新政権から去らざるを得ないのか、である。元公明党委員長が明かした〈創価学会「日本占領計画」〉によれば、公明党は創価学会に操られて、「政権与党であり続けることが使命」となっている。「一度でも与党という権力を握ると、その蜜の味が忘れられなくなる」とも記している。 
 メディアの予想通り民主党が圧勝すれば、公明党が政権与党の一角に食い込むことは困難だろう。それにしても公明党の去就がどうなるか、その雲行きが気がかりな日本の秋ではある。 
 
▽ 元公明党委員長による内部告発 
 
 元公明党委員長・矢野絢也(注)著『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』(講談社刊・09年6月)を読んだ。本書のタイトル、「日本占領計画」からして刺激的である。まえがきの見出しも「池田大作名誉会長による独裁国家の建設」となっている。創価学会、さらに公明党の内情は一体どうなっているのか。これは元公明党委員長による内部告発とでも呼ぶにふさわしい内容である。 
 (注)矢野氏は、1967年衆議院議員になり、連続9回当選。1986年第4代公明党委員長に就任。1988年汚職事件で公明党議員が相次いで逮捕され、その責任を取って、翌89年委員長を辞任、最高顧問となる。1993年に政界を引退、政治評論家となる。 
 
 まず同書の「まえがき」の要点を紹介しよう。 
 本書では私(矢野)がこの数十年間に見聞きし、体験してきた事実を淡々と記し、創価学会と公明党の実態と事件、その底に流れる思想にアプローチしている。 
 今、(公明党、学会とも)距離を置いて振り返ってみると、恥ずかしながら、当時の私はマインドコントロールにかかっており、創価学会によって操られていたと思わずにはいられない。池田大作名誉会長の野望 ― 学会の「日本占領計画」、一言でいえば独裁国家の建設 ― を成就させるため、その計画のど真ん中で働いていたのではないか、との思いが日増しに強くなっている。 
 
 創価学会の意のままに動かされている公明党は、自民党と連立政権を組んできた。私の政治家時代などより、はるかに学会の政治への影響力が強まっている。「池田創価学会」によって、日本の民主主義は、今や危機に瀕しているのだ。「日本占領計画」はまさに民主主義にしのびよる「クーデター」といっても過言ではない。 
 
▽ 公明党は政権与党であり続けることが使命 
 
 ここでは創価学会が小選挙区制導入のお陰で政権を操れるようになったそのからくりに触れて、「公明党は政権与党であり続けることが使命」「自民党が与党から転落すれば、創価学会は見放す」とまで言いきっている。その要点は以下の通り。 
 
 自民党候補者の基礎票が少なくなって、創価学会でも支えきれなくなり、自民党が与党から転落すれば、学会は見放す。 
 今後、政界再編成が行われ、政界地図が大きく変わろうが、一つだけはっきりしていることがある。どのような形になろうと、公明党は与党の一角に加わろうと必死の努力を続ける、ということだ。 
 「政権与党であり続けよ」「常に権力の一角に居座れ」は、一つには創価学会の組織防衛本能からでてくるものだろう。 
 昔は、野党であるがゆえに「是々非々」(ぜぜひひ)を貫けたともいえるが、一度でも与党という権力を握ると、その蜜(みつ)の味が忘れられなくなる。野党と与党とでは、権力に対するグリップが天と地ほど違うということなのだろう。公明党は今や、与党であり続けることこそが使命になっている。 
 
 二大政党時代といわれながら、第三党の公明党、そのバックにいる創価学会が政権を意のままに操れるような力を得ていることになる。 
 このような奇妙な現象を生みだした原因は、皮肉にも二大政党を意図した小選挙区制導入にある。小選挙区制が導入された後五年間、政界再編の渦のなかで翻弄(ほんろう)された公明党だったが、気がつけば、与党の立場を手に入れるとともに、学会は時の政権を動かし得るポジションを得ていた。なぜこのような不思議な現象が起こったのか。 
 
 小選挙区制では三〇〇の選挙区のうち公明党が勝てるのは一〇選挙区ほどで、あとの二九〇は空く。その選挙区では選挙協力によって二大政党のいずれかに学会票を回せる。いいかえれば、学会が選挙協力をした党が政権を握るという構図ができあがっている。(中略)それまで公明党の議席を通じてしか政治を支配できなかったが、学会票で政治を支配できる構図が生まれた。すなわち創価学会直営の政治が実現したのだ。同時に公明党は学会の傀儡(かいらい)でしかなくなってしまった。こうして自民党の派閥領袖(りょうしゅう)さえ、学会票の前にひれ伏すようになった。 
 自分たちに不利だと思っていた小選挙区制が実は、政権を牛耳れるほどの強大な権力を創価学会に付与してしまったのだ。これは小選挙区制が議論されたときには、ほとんどの人が気づかなかった。 
 
▽ 日本占領計画のシナリオ ― 政権奪取の青写真 
 
 ここでは池田創価学会名誉会長の「日本占領」なるものの野望に言及している。池田会長の理想は自・公政権で、それはすでに実現した。さてそれではつぎは何を狙っているのか。日本占領、つまり政権奪取のために「クーデターもやりかねない怖さがある」という指摘は穏やかではない。要旨はつぎの通り。 
 
 池田氏は、私たちに「天下を取れ」「創価王国をつくる」とハッパをかけた。われわれは半分は夢物語としてしか聞いていなかったが、池田氏の頭の中には、政権奪取までの青写真が描かれていたようにも思える。その青写真によると、第一段階として自民党との連合政権をつくり、第二段階として大臣のポストを三つ(法務、文部、厚生)取る。 
 その後勢力を拡大し、総理大臣のポストを取り、政権を完全に掌握し、天下取りを現実のものにするという筋書きだったらしい。 
 
 三つの大臣のポストをまず握るというのもごく自然な発想である。 
 内向きの論理で進んでいった創価学会は、過去にたびたび裁判沙汰を起こし、世間から叩かれていた。創価学会への弾圧を阻止するためにも、学会が法務大臣のポストを握っておきたいと考えても不思議ではない。 
 宗教法人を管轄しているのは文部省(現文部科学省)の宗教課である。それだけではない。学会は創価学園、創価大学を擁し、学会員の子弟の洗脳教育にも力を注いでいる。文部省を支配下に置くという発想もうなずける。 
 公明党は福祉にとくに力を入れていたので、厚生(現厚生労働)大臣のポストを手中にしたいと考えたのも理解できる。 
 
 池田氏は、かつて「学会が自民党候補を応援することがあるのか」と記者に問われて、つぎのように語っている。 
 「もともと、私の理想としているのは自・公政権です。国民は自民だと安心します。保守中道なんてスタンスはポーズですよ。本質的にはやっぱり保守だ」 
 現在、自民・公明政権が現実になっていることを考えると、この池田発言は意味深長である。 
 自民党が分裂すればしたで、学会にはもっけの幸いである。自民党を飛び出した方と手を組み、政権を握る。あるいは過半数を割った自民党と手を組み、内閣に入るという道が開ける。まさにその通り事は進み、自公政権が続いた。 
 
 池田氏は、国家を転覆させても、自分が天下を取りたいという野望を抱いており、中国の『水滸伝(すいこでん)』『三国志』、ヒトラーの「第三帝国」を、公明党議員や青年部幹部に勉強させ、あらゆる権謀術数を会得させようとしているという話もある。いざというときには、日本占領のためにクーデターもやりかねない怖さがある。 
 実際、青年部最高幹部の間で過激なクーデター計画が話し合われていたという証言もある。学会の人材を密かに送り込んで、自衛隊と放送局、電波を全部押さえ、クーデターを決行するという内容だったらしい。 
 そこまではしまいと思いたいが、池田名誉会長の執念深さは、生やさしいものではない。「日本占領」という野望は決して諦(あきらめ)めることはないだろう。 
 
▽総選挙後に問われる公明党の去就 ― 野望はどうなる? 
 
 私(安原)は部外者なので、上記の著作の内容がどこまで真相をついているのかを判断できる立場ではない。しかし元公明党委員長という要職にあった矢野氏が責任を持って書いた著作であるだろうから、十分評論するに値するものと考える。 
 読後の感想をいえば、8月30日に行われる衆院総選挙(定数480=小選挙区300、比例代表180)投開票後の公明党の去就はどうなるのかである。 
 
 毎日新聞(8月22日付)の党派別推定当選者数によると、民主が320議席(公示前115)を超す勢いであり、一方自民は100議席(公示前300)を割り込む可能性もある。公明は多くて27議席(公示前31)である。一方、朝日新聞(8月27日付)の総選挙中盤情勢調査によると、毎日新聞の予測とほぼ同じで、「民主、320議席獲得も」「自民激減 100前後」の大見出しが並んでいる。公明は「24前後」となっている。 
 このように民主が圧勝すれば、公明にとって政権に参加する機会はなくなる。つまり日本占領計画は挫折することになる。ただ民主が予測と違って、単独過半数(241議席)を若干上回る程度になった場合は、第三党の公明の出番である。しかし民主がそれを受け容れるだろうか、疑問である。 
 
 ここで気になるのは、矢野氏のつぎの指摘である。 
 池田名誉会長の執念深さは、生やさしいものではない。「日本占領」という野望は決して諦めることはないだろう ― と。 
 率直に言って、この種の野望は宗教家、特に仏教者の信条とは異質である。参考までに私(安原)が唱える仏教経済学(思想)で大切と考える八つのキーワードを挙げると、以下のようである。 
 生きとし生けるものすべてのいのち、非暴力、知足(貪欲を捨て、足るを知ること)、共生、簡素、利他、持続性、多様性の八つで、さらに慈悲心なども貴重だと考えている。これに反し、野望は貪欲、暴力、無慈悲などにつながりかねない性質のもので、大乗仏教の思想とは相容れないのではないか。 
 
 最後に著者、矢野氏が公明党に贈る忠言を紹介したい。 
 池田氏に面と向かって直言、諫言(かんげん)できる人はいまや見当たらない。 
 創価学会は社会から虐(しいた)げられた人、見捨てられた人の精神的支柱となって組織を拡大した。公明党もまた、庶民、大衆の政党として存立意義を保ってきた。今、格差社会が訪れ、無情な派遣切りや高齢者医療の切り捨てがまかり通っている。公明党もそれに手を貸してきた。 
 公明党は出来たての頃、小さくとも清流だった。汚濁した大河に、微力ながら清らかな水を注ごうと、われわれは懸命に働いた。決して自らが大河になることが目標ではなかった。今は、政界の汚れた大河と合流し、自身も濁流となって流れている。私は公明党が大きな清流となる日が来ることを信じている ― と。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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